我が家のカリンの盆栽も芽を出し、春の訪れを感じさせてくれる昨今、卒業シーズンということで、「さようなら」のフレーズを度々聞きます。
国語辞典で調べると、さようならば、ごきげんようと記され、別れに用いられると書いてあります。
「左様なら」と「ごきげんよう」
「またお会いしましょう」でも違う意味合いに聞こえるとなんとなく感じます。
今生の別れでもない限り、「さようなら」という言葉はなんだか重く感じます。
特に卒業式では、「ごきげんよう」「また会いましょう」の方が、優しく感じます。
学び舎に対しての別れなのか?
そんなモヤモヤとした事をふと思いました。
それはさておき、本日は長女の小学校の卒業式でした。
公務で別会場に出席していたため、直に卒業証書を受け取る姿は見れませんでしたが、式典終了後に6年間の子育てを振り返り、感慨深くなりました。
実は私が山梨市に住所を移すことになった理由は長女の小学校の環境不適合によるものでした。
それは、長女が生まれた頃から家業として営んでいた洋服屋が山梨市駅前にあり、保育もお店の近くに通っていたため、住まいの学区の小学校へ入学したものの、新しい環境になじめず、不登校になり、夫婦で一学期間、交代で集団登校から付き添い、教室でともに授業を受けていました。
一学期が終わりを迎えても、環境になじめず、夫婦で相談した結果、お店のある山梨市で通っていた保育園の学区の小学校に学区外登校することにしました。
これ幸い。
二学期から馴染みの友達がいる小学校に通い始めた長女は何事も無かったように、一人で教室で終業時間まで授業を受けてくれたんです‼︎
夫婦でどんなに感激して、嬉しかったことか(^。^)
今でも昨日のことのように思い出します。
その後、車の送り迎えでの二重生活を見直し、長男も含めて家族全員でお店のある山梨市駅前に二学期の終わりに住所を移しました。
それから4ヶ月後の翌年の4月‼︎
まさかの市議選に立候補することになり、今にして思えば、長女がいなければ、今の環境にはなっていなかったとつくづく思います。
人生は何が起こるかわかりません。
しかし、家族の絆、仲間との友情は人生を終えるまで続いていくのだと思います。
3人の子を授かり、父親として様々な経験をできる喜びを噛み締め、今宵は物思いに耽りたいと思います(^。^)