ミリタリーイベント -34ページ目

ミリタリーイベント

過去の各種基地祭、航空祭の写真を掲載していきます。(2019/3/1)
ヤフーブログからの引っ越しです。

調布飛行場    2023/3/29

 

相変わらず閑散とした調布飛行場

北海道からの外来機DA42 が撮れただけだった。

 

上空では海上自衛隊のUP-3C、アメリカ空軍のKC-135、C-130J、C-17などが確認できた。

そう言えば先週は航空自衛隊入間基地のEC-1が頭上を飛んでいた。

 

ダイヤモンド・エアクラフトDA42     JA666C  後ろは整備中のAW139

 

 

 

セスナ208  JA315G  国土交通省  飛行場の東沿は桜並木

 

西武多摩川線  調布飛行場と多磨霊園の間を縦断している

 

 

 

多磨霊園(33)  桜満開 2023/3/29

 

東京では天気不順が続くが、「開花」から昨日までの日照時間が記録的に短いとのこと。

そのため、桜の花もまだ散らずに沢山残っている、満開状態が続いているといった感じ。

 

この前、撮った時には地上には雪が積もっていたと思ったら、今は桜の花びら。季節の移り変わりは早い。

地上には散った花びらが沢山だが、まだまだ観賞出来る

 

 


 

多磨霊園(32)  田健次郎

 

田 健治郎(でん けんじろう)
安政2年2月8日(1855年3月25日)- 昭和5年(1930年)11月16日
官僚、政治家、華族(男爵)
衆議院議員・貴族院議員・逓信大臣・司法大臣・農商務大臣・台湾総督・枢密顧問官等を歴任
田艇吉(衆議院議員)は兄、田英夫(参議院議員)は孫、先祖に元禄時代の女流俳人田捨女

平田東助、清浦奎吾、大浦兼武らと共に元老の山縣有朋系の官僚政治家として活動。
男爵に叙爵される。九州炭鉱社長も務めた。
技師の橋本増治郎と出会い技術力を高く評価し、九州炭礦汽船株式会社の役員を務めていた竹内明太郎と橋本の自動車への夢の後ろ盾となり支援を始める。
橋本の同郷の友である逓信省技師の青山禄郎も援助に加わり、明治44年橋本は東京渋谷にて日本最初の自動車製造メーカー「快進社自働車工場」を創業。
大正2年日本初の国産自動車の製造に成功。

田健治郎の「D」、青山禄郎「A」、竹内明太郎「T」と支援者の名前の頭文字を取り「DAT」と名付け、「ダット号」として発表。
*ダットソン号は量産化を念頭に開発されており、戸畑鋳物および日本産業の鮎川義介は1931年にダット自動車製造を戸畑鋳物傘下に収める。
1932年は、DATSONの“SON”が日本語の“損”に聞こえ縁起が悪いということから、英語で同音のSUN(太陽)に変え、DATSUN(ダットサン)と改称。
ダットサンは日産自動車の源流。


 

 

私の愛車のエンブレム7も "DATSUN" だった


 

多磨霊園(31)  西郷従道

 

西郷 従道(さいごう じゅうどう / つぐみち)
旧字体: 西鄕 從道󠄁、1843年6月1日(天保14年5月4日) - 1902年(明治35年)7月18日
政治家
最終階級は元帥海軍大将、陸軍中将

名前は「つぐみち」だが、西郷家では「じゅうどう」が正訓となっている
兄の西郷隆盛が「大西郷」と称されるのに対し、従道は「小西郷」と呼ばれている

文部卿(第3代)、陸軍卿(第3代)、農商務卿(第2代)、元老、海軍大臣(初・4代)、内務大臣(第2・14代)、貴族院議員を歴任

隆盛が1877年(明治10年)に西南戦争を起こした際、従道は隆盛に加担せず、陸軍卿の山縣有朋が政府軍を率いて九州へ出征したため、陸軍卿代理に就任し政府の留守を守った。

(従道が陸軍少将になった後、明治6年に、武力をもって朝鮮を開国しようとする「征韓論」を巡って、留守番政府の首脳であった西郷隆盛と政府が対立する。
その際、薩摩藩出身の多くの人々が西郷隆盛に従ったが、西郷従道は隆盛の「おはんな、東京に残れ」という言葉に従い、明治政府側として残った。
)


以後は政府内で薩摩閥の重鎮として君臨。

面影が兄・隆盛に似ているとされ、エドアルド・キヨッソーネが隆盛の肖像画を作成する際、
彼の顔写真が参考にされた(首から上は従道を、体の部分は大山巌を参考にしたといわれる)。

大山巌は、従兄弟
 

 

 

横には西郷家の墓が有る

西郷家の墓所は多磨霊園の中で一番広く、面積は288平方メートル、約87坪、約 畳174枚分。

左から「西郷家」、西郷従道の墓、従道の妻の西郷清子の墓、従道と清子の長男の西郷従理の墓の4基建つ。灯篭は12基建つ。

多磨霊園(29)  新渡戸稲造

 

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう)
文久2年8月8日〈1862年9月1日〉- 昭和8年〈1933年〉10月15日
教育者・思想家。農業経済学・農学の研究者
国際連盟事務次長も務め、著書『武士道』は、長年読まれている
日本銀行券の五千円券の肖像ともなった
東京女子大学初代学長