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巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

佐奈田与一の霊を祀るということで、霊社。神社に定番の鳥居がありません。ここにお参りに来るということは、神様に願い事をしに来るのではなく、佐奈田与一の供養にくるということなのでしょう。社殿は中に入れそうでしたので、お邪魔することにしました。いつの間にか閉まって、入れなくなるのではと恐れ、まずは入れるところに入るというのが、ワタシの散策の壷だと思っています。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-石橋山の戦い3

黄金の○に三の入った、三浦一族の家紋が目に入ります。 佐奈田与一の父は、岡崎義実で、彼は三浦大介義明の弟にあたります。源氏に仕えてきた一族でもあり、頼朝側につくのは自然だったのでしょう。

社殿の中に、お守りなどの販売所がありました。宮司さん?もいましたので、ご朱印とお守りをお願いしました。 佐奈田与一の霊が喉を守ってくれるということで、『佐奈田あめ』という飴を売っていました。 見る限りでは、ニッキの飴のように見えます。暑いのでベタベタになるのもよくないと思い買うのは諦めました。

境内に出ると、セミの合唱です。このセミの声の響きだけは、当時も聞こえていたのでしょう。与一塚の碑がありました。そばに石段があり、それを降りると与一が俣野五郎景久と組み合いながら戦った場所があります。佐奈田与一と組戦った俣野五郎、首を掻き切った長尾新六。
長尾新六という人物は、源実朝を暗殺した公暁を殺害することになります。運命ということでしょうが、うまくできすぎています。

メンバーの中で、この戦いで亡くなった主な武将は三人。

<北條三郎(宗時)>
北条四郎時政の嫡子。敗走の途上小平井名主紀六久重に討たれました。 彼の墓は、JR東海道本線の函南駅(かんなみえき)の近く宗時神社にあります。

<工藤介茂光(狩野茂光)>
伊豆最大の勢力。保元の乱で、大島に流罪となった源為朝の監視役となり、彼を自害に追い込んでいます。敗走の途上に割腹しています。宗時とともに宗時神社に祭られています。

<岡崎余一義忠(佐奈田与一)>
岡崎義実の嫡子。 先陣を命じられ、俣野景久を組みふし奮戦するも、長尾新六に首を掻き切られました。享年25。彼を祀った佐奈田霊社が石橋山にあります。 彼の家来で、共に討ち死にした文三家安の堂もあります。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-石橋山の戦い2

宗時神社に行かなくてはいけないと思うのですが、チャリで行くには遠すぎますので、まずは石橋山にある佐奈田霊社に行きました。 ワタシのチャリの行動エリアは、原則神奈川県内で限りなく横浜周辺になります。

霊社とは?いきなり疑問符となります。寺か神社?

写真は治承4年、頼朝旗揚げの最初の敗戦の地である石橋山の案内板です。中世の歴史を楽しむには、まずはこの地にこなくてはと、小田原駅から折りたたみチャリ行きました。

吾妻鏡に載っているこの戦いの頼朝側のメンバーです。彼らの郎党を含め、約三百騎が頼朝の戦力です。結果的に鎌倉幕府が誕生して、その後も何度かの権力争いが起きているのですが、このオリジナルメンバーを時として追いかけています。このころは彼らのベクトルは同じ方向に向かっていたんです。きっと

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-石橋山1

北條四郎      子息三郎
同四郎        平六時定
藤九郎盛長     工藤介茂光
子息五郎親光    宇佐美三郎助茂
土肥次郎實平    同弥太郎遠平
土屋三郎宗遠    同次郎義除
同弥次郎忠光    岡崎四郎義實
同余一義忠     佐々木太郎定綱
同次郎經高     同三郎盛綱
同四郎高綱     天野藤内遠景
同六郎政景     宇佐美平太政光
同平次實政     大庭平太景義
豊田五郎景俊    新田四郎忠常
加藤五景員     同藤太光員
同藤次景廉     堀藤次親家
同平四郎助政    天野平内光家
中村太郎景平    同次郎盛平
鮫島四郎宗家    七郎武者宣親
大見平次家秀    近藤七國平
平佐古太郎爲重   那古谷橘次頼時
澤六郎宗家     義勝房成尋
中四郎惟重     中八惟平
新藤次俊長     小中太光家

2009年8月29日 訪問

変わりゆく戸塚駅を望む高台にあります。ワタシが訪問したときは、古い商店街を取り壊している最中でした。最近は行っていないのですが、もう新しく生まれ変わっているはずです。
ここの場所には、かつては安達盛長の一族の長林氏が創建した林長寺という名前のお寺があったそうです。そこに、元和元年(一六一五)に清源院尼が開基したそうです。

徳川家康の側室、於万の方が、家康の菩提を弔うため、元和6年(一六二〇)に廃絶していた寺を再興したものだそうです。
とぎれとぎれですが、いろいろないきさつのあるお寺です。それだけでなく、文久3年(一八六三)心中事件の結果から、その男女の句碑も建てられているそうです。いろいろなテーマで散策できるお寺でした。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-22清源院

2007年6月23日 訪問

箱根駅伝の花の2区から3区にバトンを渡すポイントに近いところにあるなぁ、というのが印象です。バス停が門のそばにあります。ワタシはチャリでの訪問です。大きな門は閉まっていて、その横に小さな扉があります。どこかよその家に入るようで、気が引けます。ワタシはシャイで臆病なのですが、せっかく来たという気持ちが勝って、その小さな扉を開けて入っていきました。
お寺のかたがいたので、『こんにちは』と挨拶しました。
『何者じゃ!曲者!』

と言われず、
『こんにちは』と挨拶を返していただいたので、安心して散策しました。
特にお寺の場合、勝手に入るな!と怒られたこともあったので、そのトラウマが尾を引いています。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-27 宝寿院

野溝ナオさんといわれる文学者のお墓があるそうです。
また、ここの枝垂れ桜は 踊場駅前郵便局の風景印の図案になっているそうです。 
2006年7月22日 訪問