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巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

大楠山に向かう道と衣笠城址に向かう道があります。城址に向かいました。山を完全に下りたところは、横浜横須賀道路の衣笠ICの出口の近くでした。衣笠山公園のとなりの山に再度上ることになります。作りかけで中断のように見える道路工事現場らしきところを越え、衣笠城址のある山を上り始めます。狭い山道。誰もいない寒々とした12月の道。けっこう不気味な雰囲気があり、上ってきたことに何度か後悔も。
落ち葉のじゅうたんをガサガサと踏み、山道に伸びている笹の葉を払いながら進みます。左側は、やや急な浅い崖のようになっています。狭い山道では、戦いが始まったら、一騎打ちになり、破れた側の死体を崖から落とし、一歩前進、一歩後退と、時間をかけながら戦っていたのかもしれません。当時の戦争とは、飛び道具は弓矢程度でしたから、こんな感じだったのでしょう。山道の途中には小さな祠もあり、不気味なムードは高まります。

歌が書いてある看板がありました。
『朝日さし夕日かがやく西山の稲荷の森は黄金なるなり』
坂道から平坦な道になってきました。開けた広場にでたところが城址ということのようです。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-衣笠城址20091219

2009年12月19日 訪問

ワタシは衣笠城址には、冬と夏の2度訪れました。
一回目は、年も迫った12月に衣笠山公園のある裏山側の狭い道から上りました。
二回目は大善寺のある、車で登れる道側から上りました。
一回目は、意識して裏山側から上ったのではなく、ネットの地図を調べていったのですが、衣笠山公園のそばのように見えたからです。

JR横須賀線を利用して、徒歩で行きました。 衣笠駅を降り、衣笠十字路を右に曲がり、メイン道路の坂道を上ります。しばらく進むと、衣笠公園の看板が見えてきました。そこを公園の方に入って行きました。桜並木です。ここの桜はかなり有名のようです。神社があります。衣笠神社です。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-衣笠神社

三浦一族とは無関係のようですが、衣笠山公園にあるというのも縁だと思い、お参りをしました。小さな神社です。地元の方々が清掃をしていました。神社を越えると、衣笠山公園がありました。この公園の桜は、『日本さくら名所100選』のひとつです。 神奈川県では、三ッ池公園、小田原城址公園の三箇所がその中にはいっています。ということは、12月ではなく、4月に来るべきだったかと。

三浦義明の名のついた桜の木がありました。頂上近くに展望台がありました。ハテ、頂上だからこの当りに城址があるはず・・・。でも、城址跡らしきものはありません。展望台に上ってみました。

ここのパノラマ展望はすごい!東京湾は一望できます。相模湾側も部分的に見ることができます。山側を見ると富士山がチョコンと頭を出しています。ここに城あったとしたら納得です。しかし、いくらまわりを見ても、城址らしきものはいっさいありません。ネットで見てきた衣笠城址の画像とだいぶ違うのではないかという思いがしてきました。とにかく進もう。進むということは、反対側から山を降りるということ・・・。山を下り始めました。来た道と違って、まったくの山の狭い道です。だいぶ下ると、案内版がありました。大楠山に向かう道と衣笠城址に向かう道です。やはり、ここではなかった。展望のすばらしい、こんな山頂に城址が無いのだから、きっと、ここよりも、もっと展望のよい場所に違いないと思いつつ、城址に向かいました。

2009年12月19日 訪問

由比ヶ浜といえば、鎌倉時代のいくつかの事件の現場になっています。

この日、頼朝挙兵に間に合わなかった頼朝側の三浦一族、平家側の畠山重忠軍の小坪合戦の地ということで訪問しました。

姻戚関係のある三浦と畠山は一戦交えました。源平盛衰記など、この戦いは結構載っています。しかし、ワタシのレベルでは解読が難しい。もう少し古文の勉強をしておけばよかったと・・・。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-小坪合戦

元気いっぱいの、和田義盛、その弟の杉本義茂がトリガーとなったようです。この場では、地元の有利もあって、畠山が引くことになります。しかし、このすぐあとに、決着をつけるべく衣笠城での合戦へとつながります。

2009年9月19日 訪問

血生臭いこの地ですが、そんな気配はもう残っていません。

戦の状況は、時代小説にも書かれていますが、佐奈田霊社でいただいたパンフレットを紹介します。

佐奈田霊社 パンフレットより

平治の乱によって戦敗れた源氏は滅亡し、源頼朝は、十四才で遠く都から追われ伊豆の蛭が小島に島流しとなり二十年間の永い配所生活をしたのであります。
治承四年(西暦一一八〇年) 八月二十三日、相模国石橋山に陣取って大庭三郎景親を大将とする平家の軍勢と戦ったのです。味方は三百余騎、敵はその十倍の三千余騎であった。この時、岡崎四郎義実の長男佐奈田与一義忠は二十五才の若さであったが、源頼朝より先陣として選ばれて敵将大庭三郎景親の弟で俣野五郎景久の隊と戦ったのでありますが、日はすでに暮れて、しかも大雨となり、二人は組んだまま馬から重なり落ち、雨の中を、上になり下になり山ぎわを転んで、与一義忠は俣野を組伏せたのですが俣野の家来が救援に近づいて来たので、早く首を取ろうと刀を抜いて刺せども刺さらず、刀を見ると、先程岡部弥太郎の首を取ったときに刀の血糊をふかずにいたので刺す事ができなかったのです。そこへ俣野の家来長尾新五、新六の兄弟が来て、弟の新六が佐奈田与一義忠の後から首を切り与一義忠は討死したのであります。
たよりにしていた勇士佐奈田与一義忠の討死で敗れた頼朝方は大雨の中、後方の箱根山中を五日程退陣し真鶴より小舟に乗って、現在の千葉県へと逃げる事ができたのです。
さて佐奈田与一義忠討死によって、今は佐奈田霊社がその忠魂を祭り、その附近に与一塚、与一手突石、与一矢ノ根石、ねじり畑や与一義忠の家来で主人と共に討死した文三家安の墓所である文三堂などの遺跡があります。
一説には与一義忠は俣野と組討の際に疾がのどにつかえて言葉が出ず、味方の救援を得られなかったのではないかとの説もあり、霊魂が残って同病の人々を救う慈悲の誓願があると言われ、霊社には、ぜんそく、せき、気管支炎など悩む人々や、後に頼朝が天下を治めた事から諸願に霊験ありと信仰されている。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-石橋山の戦い5

この戦いに間に合わなかった三浦一族は、同じく平家側で間に合わなかった畠山軍と遭遇することになります。

これが、与一の家来で、与一に続き打ち死にした文三家安を祀る堂です。家来にまで供養の堂があって、それが現代まで残っていることに驚きでした。堂の隙間から中を覗くと、文三家安の絵が飾られていました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-石橋山の戦い4