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巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

お寺の名前は難しい。
あさくさのせんそうじ。漢字で書けば浅草の浅草寺。
子供の頃は、あさくさでらだと思っていました。

信楽寺はしんぎょうじと読むそうです。

京急新大津駅から向かいました。
京急には大津駅という駅もあり、いただいた地図を見るときに混乱していました。
今からでも、どちらかの駅名を変えて欲しいと思うくらい、初めての人は混乱すると思います。

町を歩くと、いたるところにのぼりが立っています。
『おりょうさんの町』だそうです。
信楽寺は、そんな町中にありました。
このお寺、おりょうのお墓があるので有名です。
本堂には二人並んでいる座った木像があります。
町のイベントともコラボしているようでした。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_27信楽寺2 巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_27信楽寺3
案内板
信楽寺
 開山は永正元年(一五〇四)といわれ、本尊は運慶作と伝える阿弥陀如来です。地蔵菩薩を祀り三浦地蔵尊第二七番札所となっています。
 聖観音は行基の作で新編相模国風土記によれば熊谷蓮生坊こと源氏の武将・熊谷直実の守護仏であったと伝えています。直実が熊谷寺から近江国大津の信楽寺に移すものを使者が間違えてこの信楽寺に納めたといわれています。
 墓地には幕末の志士・坂本龍馬の妻龍子の墓があります。龍子は龍馬の死後、再婚し西村ツルの名で横須賀・米が浜通に住んでいました。毎年秋には墓前祭にあわせ龍子を偲び「おりょうさんまつり」が催されます。


ワタシの好きな中世の登場人物は、熊谷直実となります。
寺を間違えたというのはおかしすぎますが、近江大津の信楽寺と三浦半島大津の信楽寺の違いは、スケールが大きすぎます。
熊谷直実というと、敦盛を討った武将として印象に残っています。
敦盛とくれば信長の好んだ歌「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか・・・」を思い出します。
とくれば、昨年の大河ドラマでテーマソングの中で江の踊っているのが、この『敦盛』ではなかったかと。
おりょうさんより、熊谷直実の印象のお寺ですが、せっかくなので、おりょうさんの墓参りもしてきました。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_27信楽寺4

墓の案内板
市制施行七十周年記念
横須賀風物百選  「坂本龍子の墓」
 江戸末期の風雲児、坂本龍馬の妻 龍子は、「寺田屋騒動」の折、龍馬の危急を救った女性として広く知られています。
 龍子は京都の町医師 樽崎将作の長女として生まれました。
生年月日については、天保十一年説もありますが、本市に残る除籍簿によれば、嘉永三年(一八五0)六月六日となっています。
 名は、「りょう」また「とも」と呼ばれ伏見にいた頃は「お春」と呼ばれていたようですが、確かなことは不明です。
 坂本龍馬は、慶応三年(一八六七)十一月十五日、京都のしょうゆ商近江屋で京都守護職の輩下 見廻組与力の乱入を受け、斬りつけられて、三十三歳の若さで斬殺されました。
未亡人となった龍子は、夫龍馬の実家 土佐の坂本家に移り住みましたが長続きしませんでした。
その後、京都・大阪・東京と明治初年まで流浪の生活が続きました。 その原因や生活状況については、いろいろの説があり、現在のところでは、定説がありません。
 ただ、はっきりしていることは、明治十一年七月二日、三浦郡豊島村深田二百二十二番地(現在の米が浜通り)の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍し、明治三十九年一月十五日の午後十一時に死亡した事実だけです。 いろいろな資料によりますと、龍馬の死後、龍子の生活は波乱の連続であったようです。
 龍子の葬儀は、知人や隣人の助力で明治三十九年十月二十日にささやかに営まれました。
また、遺骨は、当時の信楽寺住職新原了雄師の御好意により、この地に葬られたとのことです。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_27信楽寺ご朱印  巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_27信楽寺1
どこでもそうなのでしょうけれど、来て見なければわからなかった中世のマイナーな歴史に触れることが、けっこう楽しい巡礼です。
2011年5月22日 訪問

ワタシの巡礼のスタートは自転車ダイエットでした。
ダイエットでお寺を巡っているうちに、中世の歴史にはまってしまいました。
古本屋さんに足繁く通って、歴史小説を読み漁るようになりました。
五十歳前までは歴史など興味がまったくなかったのが、ウソのような変わりようです。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-時代小説秀作づくし 先週買って、電車で読みました。
この本は、名前のように短編を11編収録しています。
興味があるのは、平安・鎌倉の前後の3編です。
・天眼の人-行基 梅原猛    著
・仏御前と蜃気楼 杉本苑子   著
・流れ星       戸部新十郎 著
を楽しみました。

この中に出てくる当時の名のある人物は、行基、仏御前、忍性。
彼ら自身、またその縁者を題材にした物語なので、当時の時代、彼らの性格など、ヘェ~というものが多かったです。
特に仏御前の生まれと死について書いてあるものを初めて読んだのが新鮮でした。

行基の名前は、お寺巡りをしているとしょっちゅうでてきます。
仏御前は平家物語で、祇王に代わって清盛に寵愛を受けるも、追い出された祇王を追って出家したという物語を読みました。
忍性については、極楽寺の裏山に墓があることぐらいしか知りませんでした。

また、彼らに魅かれてしまいました。

浅草は都会だから・・・ということで、今までの坂東三十三巡礼とは別格で、浅草寺だけを目標に出かけました。

とても寒い一日でした。

我が家から駅まではバスを利用します。風はほとんどなかったのですが、空気の冷たいこと。

陽がよく当たるバス停なのですが、足をガタガタさせながら遅れ気味のバスを待ちました。

交通の連絡はまあまあで、十一時過ぎに浅草に着きました。

途中、駅を間違え『浅草橋』で下車し、すぐに間違いとわかったので再度電車に飛び込みました。

横浜人間ですので、『浅草』と『浅草橋』の区別ができませんでした。

違う名前にしてほしい・・・次に来るときも間違えそうです。

さっそく腹ごしらえです。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-浅草寺4 先週は鎌倉でかつ丼セットだったので、この日は天丼セットにしました。ダイエットとはほど遠い選択・・・。

この食堂では窓際に通されましたが、スカイツリーがけっこう大きく見えます。それだけでなく、道行く人が中を覗くのも見えます。

写真のお値段は880円。まぁ満足でした。エビ天三本。

食後、浅草寺に向かいましたが、仲見世通が人であふれていました。この日十八日は縁日だそうで、歩くのもままならないほど混んでいました。

別腹の補給にできたての人形焼きを買って、ほくほくのを食べながら前進。

縁日気分のまま浅草寺の山門に突入しました。

境内も人だらけです。そこから右手方向を見るとスカイツリーも大きく見えます。さっそくカメラを構えパチパチと・・・。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-浅草寺1  巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-浅草寺2
今までの坂東三十三の中では一番の人出でした。

同じ霊場でも人気の違いがすごいものだと改めて感じました。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-浅草寺3  巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-浅草寺ご朱印
さみしすぎるお参りもあれば、人をかき分けてのお参りもあるし。なかなか楽しませてくれます。

2011年2月18日 訪問

和田義盛のファンです。

歴史小説などで読み取ることのできる彼の性格はあまり好きではありませんが、神奈川県のいたるところに彼の存在をしめすものがあります。 江ノ電にも相鉄にも彼の名前のついた駅名があります。その存在感にあこがれています。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_21西徳寺2  巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_21西徳寺3
そして、西徳寺にあるのが和田地蔵です。
ここは鴨居、多々良一族の地ではないかと思いますが、流れる小川は和田川とか。
この川に地蔵を沈めて、上流に流れれば戦の勝利と占ったそうです。
あんな重い地蔵様が上流に動くわけがない。
それ以前に、そんな発想をするほうもするほうがありえない。
でも、そんなことはいいのです。
和田づくしの西徳寺です。
干支を手にした可愛い地蔵様もあります。こちらは伝説よりも癒し系です。

浦賀側から見れば、山奥に怒田城があります。
和田義盛はそこの主。
何の戦いのときかはわかりませんが、多々良の叔父に何かの相談に来て、そのときにこんな地蔵様の伝説が生まれたのかもしれません。
「叔父上、今度の戦いは何が手に入るんだ。ワシにはわからない。」
「義盛よ、今度の戦いは、勝てばなんでも手に入るんだよ。」
「そっかぁ、じゃあ侍所の別当になれるよう祈ってみっかぁ。」
「そんなことは無理だって、重い地蔵が川の上流に流れていくようなもんさぁ」
「じゃあ、そこの地蔵様を沈めてみっか。」
鎌倉幕府ができ、彼は侍所の別当に。
ということは、地蔵様は上流に流れたってことか・・・。
こんな感じだったのかもしれません。

ワタシは和田義盛と多々良重春は仲がよかった叔父と甥ではなかったんではないかと思っています。
和田の子孫は、多々良の子孫の養子にもなったりしているので、そうではないかと。

石段を上って、右側の癒し系の地蔵様が目に入ります。
本堂は正面に、和田地蔵は右側にあります。 明るい境内でした。 この日ここで終了。
2011年5月8日 訪問
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_21西徳寺ご朱印  巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_21西徳寺1
バスで浦賀に出て、スシローでお昼にしました。

半年前のことですが、名前ははっきり覚えているのですが、写真を見ても場所の記憶がありません。
老化現象が加速している恐怖を感じながら思い出しています。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_31能満寺2  巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_31能満寺3
調べると
創建は一四九七年。北条早雲が活躍していた時代になります。
小田原城を奪取し、神奈川県を手中に治める頃にあたるのでしょうか。
その後、一六一四年、江戸幕府の直轄地になり、代官 長谷川七左衛門長綱が、曹洞宗の寺となっているそうです。

何でどんなところだったか覚えていないのだろう・・・。
行った道順は覚えています。
かもめ団地のコンブを干しているところを通り、鴨居の手前の山に登っていった。
持っていた地図ではよくわからず、道行く人に場所を聞いても知らないと。
何でも自衛隊のアパートのそばとか、地元の人にヒントをもらい、
狭い山道を歩いたような・・・。

少しは思い出しました。
ご朱印を書いていただいている間に、境内から海を眺めていた・・あの寺かぁ。
お昼時で、お腹が空いていたから記憶が薄れていたのかもしれません。
ボケではなさそうです。

2011年5月8日 訪問
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_31能満寺ご朱印  巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-M38_31能満寺1