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巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

結願をめざして、栃木、茨城方面に行ってきます。

二泊三日となりますので、明日はブログアップができません。

中禅寺と佐竹寺が特に楽しみです。

平清盛が平安時代の栄華を楽しんでいる頃、伊豆に流された流人、頼朝はすっかりトウがたった青年になっていました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-欄干

その頼朝が伊東祐親の娘に近づいて、長男千鶴が誕生しています。

近くの橋にデートの様子が描かれています。(上の写真)
その一連の舞台が東伊豆伊東に残っていました。会社のメンバーで伊豆旅行に行ったときに、二日酔いもなんのことと、早朝に散策することに。伊東の住宅地の中、小さな公園の隣に、小さな神社があります。
小説『源頼朝』でイメージしていたのは、木がこんもりと茂った森のはずでした。800年以上の昔のこと、当時を偲ぶのは『日暮』という名前だけかもしれません。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-日暮神社

案内板
ひぐらしの森と日暮八幡神社
日暮(ひぐらし)の森は、若き日の流人源頼朝が、伊東祐親の娘八重姫との逢う瀬を楽しみに、日暮らし過ごしたというロマンスの伝承を秘めている場所で、明治中期の絵図では、田んぼの中に大きくこんもりと繁った日暮の森が川のふちまで続いている。
この周辺の発掘調査により、弥生時代(約二千年前)から古墳時代(約千五百年前)にかけての集落跡が発見され、日暮(ひぐらし)遺跡と名づけられて、出土品の一部は伊東市文化財管理センターに展示されている。
この神社の創建年月の明らかな記録は無いが、古くから村民の五穀豊穣、家内安全、安産の守護神として崇敬されて来た。
祭 神:誉田別命(ほむだわけのみこと)
例祭日:九月十五日
平成十一年記 伊東市教育委員会


小説で出てきた森の名前の神社を偶然見つけ、ワクワクしました。

2009年4月19日 訪問

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-鎌倉の寺 北鎌倉の円覚寺からはじまり、鎌倉のお寺を網羅しています。

前回の神社と今回のお寺、それぞれ小辞典ということになっていますが、持ち歩くにはけっこうかさ張ります。

でも、持ち歩きます。

こちらも八幡宮で買いました。

追分公園の笹野台の出口を左側にまっすぐ行くと、こじんまりした小さな地蔵尊があります。
岩船地蔵です。

我が家からそう遠くはないので、けっこうな頻度でお参りにきます。堂の左の壁の下に、お地蔵様の説明文が額に入ってありました。年代を見ると『昭和四十六年三月二十三日』とありました。30年以上も前に書かれたものなので、字がかすれて読めない部分もありますが祈願の仕方、成就したときの御礼の仕方が書かれてありました。

今までは、ある意味ごく普通に祈願していましたが、額の中の文章を読んで、祈願の仕方を合わせるようにしました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-笹野台岩船地蔵尊

説明文より

岩船地蔵尊の祈願成就について
此の岩船地蔵尊の祈願成就の由来について
以前は広く旧都岡村、西谷村、二俣川村、瀬谷村から多くの人々がお参りに来て祈願を致し成就した実例は明治大正昭和の初期までの約三時代に続き数多くありました事が伝説されて居ります。

祈願の方法について
必ずお参りに来てその患部○○(快癒かな?)させてくださいます様祈願をかけます。○○帰りに此の処にお供えしてありました石を一旦お借りして行きます。○○にならない処にお供えして置き一日に朝夕の二回その石で患部を祈願しながら一回に三度癒します。尚祈願中には月に一回位はお参りを致します。命日は毎月二十三日でございます。○かなすと○○祈願が成就いたします。又身体にできてゐるイボ箸も右の祈願方法で必ず取ます。

祈願成就後の御礼参りについて
祈願が成就いたしましたならお借した石は必ずお返しをする事です。その時は御礼として清流の川の小石を採取してきて数個に増し○供えすることを忘れないで下さい。又小さいのぼり旗をお供えになっても結構であります。これには必ず年月日氏名を書入れて下さい。

岩船地蔵尊の供養日について
毎月の二十三日が一応命日となってをります。尚年一度の供養日として三月二十三日の春のお彼岸の中日となっていて大供養が営まれます。之には金ヶ谷の○農家の有志方々に依って執り行われて居ります。此の日には祈願なされたかたがたは勿論のことでありますが一般の方々にも皆様をお誘いの上お参りをして供養に御協力を下さいます様御願い致します。
右の通り祈願成就についてお供えをいたします。

昭和四十六年三月二十三日  祈願成就


想像力豊かに解読したところもあります。○印はどうしてもわからない部分です。

ということで、患部快癒の祈願としては、お堂の小石をひとつ持ち帰り、朝夕に患部を3度ずつさすります。直ったならば、清流の小石を数個増してお供えするか、のぼり旗をお供えするということと理解しました。3月23日に大供養が営まれるとのことなので、機会あればその日にお参りしたいと思います。お供えについては、具体的な物の指定は書かれていませんでした。

たぶん・・・たぶんですが、横浜の中で一番広い地蔵尊ではないかと思います。
たぶん・・・たぶんですが、唯一地蔵尊を名前にしたお菓子が売られている地蔵尊ではないかと思います。
ということで、地蔵尊巡りについては、一番先に登場していただかなければならなかったのかもしれません。
ワタシの地図には卍マークが書かれています。


案内板より
由来
ここ境木は武蔵相模の国境で、江戸時代にはそのしるしが建てられていて、境木の地名はそれからおきたといわれています。
また境木は東海道中の難所であった権太坂を登りきった所にあり、名産の牡丹餅を食べながら旅の疲れを休めることができて大変賑わったとも伝えられています。
境木の名を有名にしたものは地蔵で、江戸の人達にも崇敬され今でも境内に寄附された燈籠が残っています。
なおこの地蔵には次のような珍しい伝承があります。即ち、いつの頃か相模国鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵が土地の漁師の夢枕にたち、「俺は江戸の方へ行きたい。運んでくれたら、この海を守ろう」と告げたので、漁師たちが江戸へ運ぶ途中、この境木で動かなくなったため、村人達は地蔵を引き取り、お堂を建てて安置したことろ、それからは村が繁昌したということです。
地蔵堂の鏡は明治になって野毛山の時の鐘に使用され横浜市民に大正の大震災まで親しまれました。
平成元年十月四日
岩間町 見光寺

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-境木地蔵尊

尚、このお堂のあるところには、良翁寺という小さなお寺があったそうです。ここの和尚さんは鐘を造ろうと資金を集めたのですが、飲み食いで使い果たしてしまったとか。しかし、もう一度集め直したら、以前より多く集まり、鐘楼ができたそうです。それ以来「お金の集まるお地蔵さん」として拝まれるようにもなったそうです。

良翁寺は大正12年の関東大震災でなくなってしまいましたが、お堂に『良翁院』の名称が残っていました。

2007年5月5日 訪問