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巡礼を楽しむ レキササイズ season 4

歴史散策の楽しみのひとつ。霊場巡りをお気楽に楽しんでいます。

レキササイズって、造語です。
歴史散策をしながらダイエットをしようというところから
レキシ+エキササイズの意味合いで名づけました。
ダイエットもそろそろ頑張ります。

もう一度行かねばと思っている神社です。
境川の西側、藤沢市高倉にあり、『サバ』という名前ではなく、七ツ木神社という名前です。 サバ神社群のひとつで、明治の頃に名前を変えたようです。もう一度行かねばと思っている理由は、源義朝とともに金王丸(こんのうまる)の碑もあったという記事を見たからです。
彼は、平治の乱で義朝が落ちていき、長田忠宗の裏切りにあって、風呂場で殺されますが、その風呂場の前で番をしていたのが彼、彼は常盤御前に義朝が殺されたことを伝えに・・・・長くなるのでここまで。

そんな彼の碑もあると書いてある記事を見つけてしまいました。

私が訪れた夏の日は、ここについたと思ったら雨が降ってきました。境内は広場のようになっているので、子供達も遊んでいましたが、雨が降ってきて退散していました。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-七ツ木神社

2007年7月7日 訪問

2006年1月15日に訪問しました。短い参道を登ると『鶴遊山清来寺』の石柱があります。石段の上に山門が見えます。朝日が境内に入り込んで山門の向こう側は輝いて見えます。境内には『何かが居られる』という雰囲気が出ています。
一ヶ月後の2月11日に再訪問しました。 武将・畠山重忠ゆかりのお寺のひとつだそうです。境内には鎌倉時代に伝令として使われていた鐘があったところに鐘楼塚が残されているそうです。また寺宝に『夏の露』という巻物が伝えられています。十九代の住職曽我宵欣が、畠山重忠の武勇をたたえるため、近在の人々に呼びかけ歌の形にして集め編集したものだそうです。
墓地の入り口付近に犬の石像あります。大正5年(1916年)狂犬病の被害犬の遺骨を埋葬し、犬形石像の墓碑を建立したということがあったそうで、きっとこの石像がそれなのだと思います。

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-清来寺
神社の境内というよりは、雑草の茂った空き地に、小さなお堂があるといった神社です。
ここの名前は鯖神社で、『鯖』の字が書かれています。
ネットで調べると源満仲を祀っているようです。
なんで、魚の鯖の字なのかは興味がありましたが、由来は不明のようです。
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-中田鯖神社
2007年7月7日 訪問
長津田にはお地蔵様が多いですが、このお地蔵様はたすきをかけていました。
天王神社のそば、裏道のようなところにおられました。車での散策では、絶対にお会いできない地蔵様です。
願い事が叶うということで、何かをお願いしたと思うのですが、何を頼んだのか、叶ったのか、すっかり忘れました。
2009年6月27日 訪問
巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-緑区林地蔵
---案内板---
林地蔵尊
このお地蔵さまは、伯楽谷戸と後谷戸の女の人たち十四人で念仏供養として、宝暦十年(一七六〇年)に建てたもので今から二百二十三年前です。
その頃から皆さんの願いを何でもきいてくださると言うので霊験あらたかとされ崇拝され、親しまれてきました。
 昭和五十七年壬戌年(一九八二年)

地蔵尊って、地図によっては大きな地蔵尊は『卍』マークがあるものもあって、お寺かなぁと思うこともあります。寺社巡りをしていると、どうでもいいことに気がつきます。ワタシの整理ではお寺ではないと決めています。


ここは、手持ちの地図には記載がなく、町の案内板にある地図に卍マークを見つけ、寄ってみようと思い行きました。新横浜、ニトリの近くの鳥山川沿いにありました。運よく、堂の中に一枚だけパンフレットが残っていましたので、頂戴いたしました。港北区の昔話に残っているそうです。

2006年6月24日 訪問

巡礼を楽しむ レキササイズ season 4-港北乞食地蔵

パンフレットより

昭和三十三年五月から三十九年十二月にかけて行われた建設省施工の鳥山河川改修(又口橋下流)がなされる以前は、小机より横浜線で東神奈川方面へ向う途中の鳥山川堤の右手に一本の老松が茂っていた。人呼んで乞食松といい、松の下には小さな祠があり中に地蔵尊が安置されていた。この松は天保の大飢饉のおりに多くの乞食が餓死したため、ここた埋め、その墓標として植えたものといわれ、初め死人松と呼んだという。
餓死した乞食の遺骸を埋めてからそれほど時を経ずして、何処からともなく一人の乞食僧が鳥山村を訪れ、川沿い土手に小屋掛けをして住み、村の家々を回って仏法や功徳を説いていた。ところがある日、ふとした病気がもとで死んでしまった。また、別な伝えによると乞食僧は空腹と虫歯に苦しみながら死んで行き、いまわのきわに「我れ虫歯に悩むこと積年である。後世同じ病を患う者、我を祈らば正に利益を与えるてあろう。」という言葉を遺したという。乞食僧は生前に、自分は諸国を遍歴しあらゆる修行をつんでいるためどんな人の悩みも解決できるし、願いごともたちどころに聞き届けることが出来ると言っていた。事実その霊験もあらたかであったため、村人は乞食僧を名僧の世を忍ぶ姿ではないかとか、地蔵菩薩の化身ではないかと言うようになった。そこで、村人の手により死人松の所へ死骸を埋め、地蔵尊を安置して手厚く葬った。
その後、誰言うともなくお地蔵様にはご利益があるという話が広がったため、色々な願いごとをこめてお参りする人があとを絶たなくなった。特に虫歯に悩む人には良く効くといわれ、域の人々は歯痛で苦しむと、ここにお参りし願をかけるとともに、地蔵様に上っている小石を借りて来て痛む歯のところをさすると、たちまち治ってしまうとのことである。治るとお礼としておにぎりや花、線香を手向けると同時に、先に借りて来た小石を倍にして返した。なお、この地蔵尊は天保十三年(一八四二)十二月に鳥山村、岸根村の有志が世話人となって建てたものであるという。
乞食松のあった鳥山川ほ現在静かな流れを湛えているが、昔はよく氾濫をし大雨になると東側に岸根・篠原、西側に鳥山・小机の農民がかけつけ堤防の警戒に当った。いずれかの堤防が決潰すると、切れない方の農民は万才を叫んで喜んだ。ところが洪水の時期は稔の秋が多いため、稲の大半を苅り上げて田の畦に並べて置いたもめが水に押し流されて一ヶ所に寄ってしまい、後の分配に大分苦労することとなった。こういったことを防ぐため鳥山川の改修が行われ、由緒ある老松も切り倒されてしまったわけである。地蔵尊も横浜上麻生線道路近くの新しい堤の下に移され、新築された新しいお堂に安置された。傍には二代目乞食松も植えられすくすくと育っており、毎年春には信者によって供養が営まれ、過ぎし昔の面影が残るよう管理されている。
    (港北百話-古老の話より)