この日の朝ごはん前の最後の訪問のお寺です。伊東一族のお寺です。
ワタシが知っていたことだけでも、あぁここだったのかぁということがあります。
まずは、相撲の技の『かわづかけ』の産みの力士、河津三郎祐泰の墓があります。案内板にあるように彼は暗殺されましたが、今でも相撲を見ていると、たまにこの技の名前を耳にすることがあります。
そして、彼の遺児で、頼朝の富士の巻狩りの最中に仇討の物語が残る曽我兄弟の首塚があります。
案内板
稲荷山東林寺 伊東家菩提寺・河津三郎の墓
東林寺の開基は、伊東祐親公です。もとは久安年中 (十二世紀中頃)に真言宗久遠寺と称して開創されたといわれますが、伊東祐親が我が子河津三郎の菩提を弔うために、仏門に入って東林院殿寂心入道と称して、法名にちなんで東林寺と改めました。
天文七年(一五三八)、円芝春徳大和尚を開山として曹洞宗に改宗しました。
祐親は、源頼朝の助命を断って自刃し、以後、東林寺は伊東家の菩提寺となりました。祐親の墓は向かい側の丘の上(大原一丁目)にあり、伊東市指定文化財となっています。
祐親の嫡男河津三郎祐泰は、領地争いのもつれから、相手方の遠矢にかかって、赤沢の椎の木三本で無念の死をとげました。二人の遺児が、母の再婚先の曽我で成長して、富士の裾野で父の仇を討つのが、有名な曽我兄弟の物語です。
河津三郎は、奥野の相撲で大活躍して「かわづがけ」の名を残し、相撲界では大切な人です。昭和三十四年五月、ここで横綱栃錦が土俵入を奉納し、時津風理事長が除幕した相撲碑が参道上がり□にあります。大日本相撲協会の時津風理事長(元双葉山)・現役横綱栃錦・若乃花・朝潮という豪華な顔ぶれです。
この寺の本堂内部の一角(向かって左)は、伊東家のための区画となっており、伊東祐親や河津三郎祐泰など、伊東一族の位牌が安置されています。また、伊東祐親の木像や、千鶴丸(頼朝と八重姫の間に生まれた)の木像もあります。
鐘つき堂左の参道を数十段上がった所に、河津三郎祐泰の墓と曽我兄弟の供養塔があります。参道に沿って三十三観音の石仏も安置されています。
弘法大師伊豆八十八ヶ所二十七番札所
伊東七福神第三番布袋尊札所 伊東市教育委員会
河津三郎祐泰墓と曽我兄弟首塚
2009年4月19日 訪問





