昔の豪族、権力者は一族の神社と菩提寺を持っていることが多く、それらが現存していると、彼らを偲んだり、歴史の面白さを味わうことができます。特に、神社の規模は彼らの権力の大きさに比例しているように思えます。
伊東家の神社は葛見神社ということです。大神社とは行かないまでも、けっこう広い境内で、木々に囲まれた境内の雰囲気は、なかなか重厚なものがあります。
案内板
伊東家の守護神・大樟・葛見神社
(祭神) 葛見神(不詳)倉稲魂命 (稲荷神) 大山祇命
(由緒)
全国届指の老樟が千古の縁を湛えて神域に聳える当葛見神社は、今から凡そ千数十年の延長五年に制定された延喜式神名帳所載の久豆彌神社に当てられる古社であります。
住昔、伊豆の東北部を葛見の庄と称し、当神社は此の庄名を負い、約九百年昔、葛見の庄の初代地頭工藤祐高公(伊東家次-伊東家の祖)が守護神として社殿を造営し、京都伏見稲荷社を勧請合祀してから、伊東家の厚い保護と崇敬を受けて神威を高めてきました。
このことは元禄十年(一六九七年)の棟札に「葛見大社岡村稲荷者藤原朝臣鎌足十六代後胤工藤太夫祐高之修造也」と記されていたり、慶長十五年(一六一〇年)の棟札に「藤原氏伊東正世公伊東郷住人鈴木近守仰面焼失後造立」ということからも判明いたします。
明治迄は代々の領主から供米が献じられ、又、岡明神と称えて地方民の氏神として信仰されてきました。
このような由緒により明治六年四月新制度により、旧伊東、小室村の唯一の郷社に列格されました。
近年も伊東在住の元首相故若槻礼次郎氏の崇敬を受け、氏は老樟を讃える石碑を寄進いたしました。(大樟右手前)
(例祭)
十月十五日(本来は十月十九日)祭礼時に奉納される神楽は「岡のカグラ」として有名で庁舎(チョウヤ)で演じられます。
二十数年間とだえていましたが、神楽保存会、青年有志により昭和五十九年の祭礼より復活いたしました。
(大樟)
神木の巨樟は樹間二十メートル、樹令千数百年といわれ、本多静六林学博士の著書大日本老樹名誌では、全国第二の老樟とされ、昭和八年二月文部大臣から天然記念物に指定されました。
老樟を讃へる 勺水(日下寛試)作五言絶句
霊快神龍に似たり 晴天雲雨起す
誰が図らむ陵谷の変 一木千古を支ふ
案内板にあるように、巨大な樟は迫力もあり、中世当時のいろいろな出来事にも関わってきたものと思われます。
写真を撮ったときに、何か写った・・・ と思ったら、白い大きな光が写っていました。光のいたずらかもしれませんが、境内には自分ひとり。背筋にゾクゾクを感じたので、巨木から離れました。
