昨日、日輪寺の帰りに、実は佐竹寺に寄ろうかと思っていました。ナビをセットしたら、そう遠くはなかったからです。しかし、日輪寺から佐竹寺への一番近いコースは、通行止めとなっていて、あきらめました。そして、この日2つ目のお寺として出かけました。我が家から見れば、たぶん一番遠いところのお寺のように思えます。
到着して、あぁどこかで見たような・・・思い出したのは、二十八番龍正院。それほど広くない道路の横にあって、門の横に駐車スペース、本堂の位置関係・・・レイアウトがよく似ているなぁというのが、最初の感想でした。山門の瓦が落ちそうで、頭上注意の看板もあります。山門をくぐると正面にある観音堂は茅葺屋根です。なんと重厚な感じがするのでしょう・・・。
ご朱印をいただきに寺務所にいきました。やさしそうなおばあさんに御朱印をいただきました。交通安全のお守りをいただき、『最近、大きな交通事故が多いから、気を付けないとね』と、やさしいお言葉もいただき、心も癒された感じを頂戴いたしました。
案内板
佐竹寺
佐竹寺は妙福山明音院と号する真言宗豊山派の寺院で、寛和元年(九八五)に花山天皇の勅願により元密上人が開山したと伝えられ、創建当時は現在地から西北西に約七〇〇m離れた鶴ヶ池の洞崎の峰に建てられ、観音寺と称していた。
佐竹氏初代昌義は、治承元年(一一七七)に同寺に寺領として三○○貫の土地を寄進し、六代長義は衰えていた寺堂を佐竹氏の祈願所として再興するなど、佐竹氏の隆盛とともに寺運も栄えた。しかし、天文十二年(一五四三)に兵火にかかって焼失してしまい、同十五年に十八代義昭によってこの地に再建された。
明治三十九年(一九〇六)に国指定重要文化財となった本堂は、茅葺屋根寄棟造で、主屋の周囲にこけら葺の裳階をめぐらし、正面中央に唐破風をあげている。元禄時代に内部の柱を取り除くなどの大改造が行われたが、正面の火頭窓や柱、外陣の繋ぎ梁の海老虹梁や組物などに桃山建築の先駆としての様式を残している。
古くから安産、厄除けの仏様として信仰され、坂東三十三観音霊場の第二十二番札所として巡礼が絶えない古刹である。 常陸太田市
2012年5月1日 訪問







この日、3寺は巡らねばと、次の大谷寺に即向かいました。再び日光宇都宮道路に戻り、宇都宮方面に向かいました。徳次郎ICで下りて、一般道から大谷寺に向かいました。1時間弱で到着。




