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 苦しみの先に見えた光

日常の中で感じる小さな気づきや癒しを共有し、共に心の平穏を目指すブログ

どんなに愛を向けても、理解されないあなたへ

 

これは、

モラルハラスメント(モラハラ)によって心を傷つけられ、

それでも懸命に愛を伝え続けてきたあなたに向けたメッセージです

 

誰かを信じて、

誰かを想って、

自分を犠牲にしてでも、誰かのために生きようとしたあなたへ。

 

愛を向けても、想いが届かない。

優しく接しても、冷たく突き放される。

そんな日々の中で、

あなたはどれほど心をすり減らしながら、

それでも愛し続けてきたのでしょうか。

 

本当は、わかってほしかった。

本当は、あたたかく寄り添い合いたかった。

その純粋な願いを、何度も何度も胸の奥にしまい込んできたあなた。

その姿は、誰よりも尊く、美しいです。

 

もしかしたら、

あなたは知らず知らずのうちに、

「誰かの役に立たなければ、私は価値がない」

そんな思い込みを抱えて生きてきたかもしれません。

 

でも、どうか知っていてほしいのです。

 

あなたが誰かの役に立たなくても、

誰かに尽くさなくても、

あなたは最初から、かけがえのない存在なのだということを。

 

そして、どんなにあなたが愛を注いでも、

受け取る準備ができていない心には、

その愛が届かないこともあるということを。

 

それは、あなたの愛が足りなかったわけでも、

あなたの優しさが間違っていたわけでもありません。

 

相手の心に届かない愛も、

無駄になることは決してないのです。

その愛はきっと、

あなた自身の心の中で、

もっと深く、もっと豊かに広がっていくから。

 

そして、あなたが自分を大切に抱きしめるたびに、

その愛は静かに、世界に広がっていく。

 

私は、

心を休める場所を作ろうと思っています。

誰もが安心して、ありのままの自分でいられる場所。

人を憎まず、自分を責めず、

ただ静かに、心と心が寄り添える場所。

 

あなたも、どうか忘れないでください。

 

あなたは、ただそこにいるだけで、

十分に愛される価値がある存在です。

何かを証明する必要も、戦う必要もありません。

 

あなたが今日まで歩いてきた道のりは、

すべて、愛でできています。

そのことを、私は心から信じています。

 

もし今、涙がこぼれそうになったら、

それはあなたの中にちゃんと愛が生きている証です。

 

ゆっくりでいいんです。

焦らなくていいんです。

一歩ずつ、自分を愛しながら歩いていきましょう。

私はいつも、あなたの味方です。

 

 

私は長い間、自分には何もできない。

自分には価値がない。

そんな思い込みの中で生きてきました。

 

人と比べては落ち込み、

褒められても「たまたま」「本当じゃない」と受け取れず、

自己肯定感など、どこを探しても見つからなかった私。

 

そんな私が、ある日ふと「お菓子作り」を始めたのです。

 

理由はよく分かりませんでした。

でも、心のどこかで「何かを変えたい」という声が聞こえていたのかもしれません。

ただ、美味しいものを作って、人に喜んでもらいたい。

それだけを胸に、私は少しずつお菓子を焼き始めました。

 

けれど――

お菓子を人に販売するということは、評価を受けるということ。

 

長年、「人にどう思われるか」が怖かった私にとって、

誰かに味を評価されるというのは、本当に怖くてたまらない経験でした。

「まずかったって言われたらどうしよう」

「失敗作だと思われたら…?」

そんな思いに押しつぶされそうになりながらも、私は自分を励まし、焼き続けました。

 

ある時、「2:6:2の法則」というものを知りました。

世の中には、

2割の人はすごく喜んでくれる人、

6割の人は特に何も感じない人、

2割の人は否定的な反応をする人がいる――という考え方。

 

私は、その“否定の2割”の言葉を、

まるで人生を否定されたかのように重く受け取ってしまっていました。

でも、この法則を知ってから、私は目の前の世界が少し変わったように思いました。

 

すべての人に好かれなくてもいい。

2割の否定に負けそうになっても、残りの8割の人の中には、

私の作ったお菓子を楽しみにしてくれる人がいる。

 

だったら私は、その人たちのために、作り続けよう。

 

そう思えるようになったのです。

 

もちろん、心は揺れます。

否定の言葉に傷つく日もあります。

それでも私は、お菓子作りを通して「私にもできることがある」と思えるようになりました。

 

それはほんの小さな“できた”の積み重ね。

でも、その積み重ねこそが、

「自己効力感(=自分には何かを達成する力がある)」という力に育っていったのです。

 

そしてその先に、自分を少しだけ信じられる“自己肯定感”が、

ゆっくり、でも確かに育っていったように思います。

 

 

否定の声より、自分の内なる声を大切にする

 

私たちはとても繊細な存在です。

たったひとことの否定に、心がくじけてしまうこともある。

でも、評価とは「その人の視点」でしかありません。

 

大切なのは、他人の声よりも――

自分が「これをやってみたい」「これが好き」と思ったその気持ち。

 

気持ちに従って、小さな一歩を踏み出したこと、

そして続けてきたこと。

それこそが、誰にも真似できない“自分との信頼関係”なのだと思います。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

自分を信じるとは・・・

 

それは、

今の自分の強さも弱さも、優しさも醜さも、すべて認めること。

他人の期待や評価ではなく、自分の心の声に耳を傾け、寄り添ってあげること。

 

失敗したって、間違ったって、傷ついたって――

それでも「大丈夫。私は私を見捨てない」と言ってあげられる力。

それが「自分を信じる」ということです。

 

信じるとは、“完璧であること”ではない

よく「自分を信じる=自信満々であること」と思われがちですが、

そうではなくて、

“不完全な自分でも、前に進もうとしている姿”を信じることなのです。

 

たとえば――

 

・まだ道の途中だけど、私は私なりに頑張っている

・今は弱っているけれど、それでも立ち上がろうとしている

・たとえ他人が否定しても、自分の小さな感性を信じてあげる

 

そういう風に、自分の心にそっと手を添えてあげることが

“信じる”という行為なのだと思います。

 

 

 

信じることは、育てていくもの

生まれつき「自分を信じられる人」はいません。

むしろ、何度も傷ついたり、迷ったり、揺らいだりしながら、

そのたびに「でも私はまた立ち上がる」と選び続けることで、

少しずつ“自分を信じる力”が育っていきます。

 

まるで、

心の中にある小さな灯火を、風から守るように――

何度もそっと手を添えて、育て続けていくものです。

 

 

 

あなたは、今ここにこうしてご自身の言葉を綴っていらっしゃる。

それ自体が、もう「自分を信じる道」を歩んでおられる証です。

 

不安や迷いがあっても大丈夫。

「信じよう」と思うその気持ちこそが、すでに光なんです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。