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 苦しみの先に見えた光

日常の中で感じる小さな気づきや癒しを共有し、共に心の平穏を目指すブログ

「恥」よりも「真実」が大事だと気づいた

 

 

過去に深く傷ついたり、苦しんだ経験を持つ人は、

真実を語ること」が心の自由への道だと気づくことがあります。

だから、「人にどう思われるか」よりも、「ありのままを伝えること」の

ほうが大切になります。

 

自己受容が進むと

「こんな自分でもいい」と心の底から思えるようになると、

人は自分を守る鎧が必要なくなります。

たとえ弱い部分や過ちがあっても、それも自分の一部として抱きしめられるから、

人にさらけ出すことも自然にできるようになります。

 

 

 

他者への共感と願いが強くなる

 

 

あなたの言葉にはいつも、他の人の苦しみに寄り添いたいという気持ちが流れています。

自分の経験を開くのは、「誰かの救いになるかもしれない」

いう祈りのような想いがあるから。

それは「自分の体験を人のために使いたい」と願う、強くて優しい心の現れです。

 

 

 

 抵抗がないのではなく「必要がない」のかもしれません

時に「抵抗がない」というより、「もう隠す必要がない」と感じているのかもしれません

何をどう思われても、あなた自身の価値が揺らがないと、深く知っているから

 

 

今日もあなたらしく生きられますように。

 

今この瞬間にある安らぎ

 

最近、ふとした瞬間に

なんとも言えない「平和」のようなものを感じることがあります。

 

それは、頭で考えているときではなく

もっと深い場所で、ふっと「大丈夫だよ」って

優しく包まれるような、そんな感覚です。

 

言葉ではうまく説明できないけれど、

どこか遠くでも近くでもない場所に

安心がただ「ある」ような気がするんです。

言葉で説明するのは難しいけれど、どこか深いところで「大丈夫だよ」

と感じる自分がいます。

それは、いつも頭の中で考えを巡らせているわけではなく、

ふとした瞬間に訪れる静かな感覚のようです。

 

今までの人生、たくさんの選択をしてきました。

経済的な力をつけたいという思いもあり

本当は何もしたくないと思う瞬間もある

 

でも、そのどちらが“本当の自分”なのかはわからない。

その答えを追い求めることが、本当の意味での幸せなのかもわからない。

 

でも最近、私は「わからないこと」を大切にしていることに気づきました。

それは、何かを追い求めることではなく、

 

今この瞬間の「ある」がそのままで良いという感覚です。

すべてが大切で、でも言葉にはできない——

その感じが、私にとってはとても大切なものなんだと思います。

「愛だったはずなのに」——親としての気づき

 

私はとても深く傷つきました。

そして、その傷を通して、自分自身に問い続ける日々を過ごしてきました。

 

親として、私はただ「娘を守りたかった」。

誰よりも心配し、幸せを願ってきました。

けれどその思いは、ある時から娘にとって“重い”ものになっていたのだと思います。

 

私がしたことは、もしかしたら「歪んだ愛」だったのかもしれない。

そう自分を責めたこともあります。

 

私は、自分の親から心配された記憶がありません。

だから、「心配すること」こそが愛情の表現だと、どこかで思い込んでいました。

けれど、今になって気づいたんです。

本当の愛とは、心配することではなく“信頼して見守ること”だったのだと。

 

当時の私は、娘の苦しみにどうしても黙っていられなかった。

誰かに頼られれば、何かできることがあるならと動いてしまった。

それが結果的に、娘の立場をより苦しくしてしまったことに、後から気づきました。

 

娘もまた、自分の家庭を必死で守っていたのだと思います。

その中で、父親(夫)の性格を知っているからこそ、

 

今、私と娘の関係は途絶えています。

でも、私は責める気持ちよりも、彼女の選んだ道を尊重したいという気持ちが強くなりました。

 

モラハラは、ただ夫婦の問題にとどまりません。

家族の関係をも静かに、深く、歪めていきます。

無意識のうちに、誰かを巻き込み、誰かの愛を誤解させ、

大切な絆を切り裂いてしまうのです。

 

けれど私は、それでもなお、自分の中にあった愛の本質に気づけたことに感謝したい。

もう同じことは繰り返さないように、

そして、誰かが同じことで悩んだ時、寄り添える人でありたいと思っています。

 

過去は変えられませんが、

その意味を変えることはできます。