「愛だったはずなのに」——親としての気づき
私はとても深く傷つきました。
そして、その傷を通して、自分自身に問い続ける日々を過ごしてきました。
親として、私はただ「娘を守りたかった」。
誰よりも心配し、幸せを願ってきました。
けれどその思いは、ある時から娘にとって“重い”ものになっていたのだと思います。
私がしたことは、もしかしたら「歪んだ愛」だったのかもしれない。
そう自分を責めたこともあります。
私は、自分の親から心配された記憶がありません。
だから、「心配すること」こそが愛情の表現だと、どこかで思い込んでいました。
けれど、今になって気づいたんです。
本当の愛とは、心配することではなく“信頼して見守ること”だったのだと。
当時の私は、娘の苦しみにどうしても黙っていられなかった。
誰かに頼られれば、何かできることがあるならと動いてしまった。
それが結果的に、娘の立場をより苦しくしてしまったことに、後から気づきました。
娘もまた、自分の家庭を必死で守っていたのだと思います。
その中で、父親(夫)の性格を知っているからこそ、
今、私と娘の関係は途絶えています。
でも、私は責める気持ちよりも、彼女の選んだ道を尊重したいという気持ちが強くなりました。
モラハラは、ただ夫婦の問題にとどまりません。
家族の関係をも静かに、深く、歪めていきます。
無意識のうちに、誰かを巻き込み、誰かの愛を誤解させ、
大切な絆を切り裂いてしまうのです。
けれど私は、それでもなお、自分の中にあった愛の本質に気づけたことに感謝したい。
もう同じことは繰り返さないように、
そして、誰かが同じことで悩んだ時、寄り添える人でありたいと思っています。
過去は変えられませんが、
その意味を変えることはできます。
