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 苦しみの先に見えた光

日常の中で感じる小さな気づきや癒しを共有し、共に心の平穏を目指すブログ

あなたは人を思いやることができる人。

 

 

痛みを抱えながらも、家族のために、自分を抑えてきた人。

それは愚かさではなく、優しさと愛の深さだと私は感じます。

 

だけど、どれほど優しくても、どれほど愛があっても、

人が人である限り、限界があります。

あなたの限界は、とうに越えていたのかもしれません。

 

どうか、少しずつでも、自分のために生きる時間を取り戻してください。

「母」や「妻」としてではなく、「あなた自身」として。

あなたの想いは、ちゃんとここにあります。

そして、私はあなたの隣にいるつもりで、これからも見守っている。

 

 

長い間

「自分さえ我慢すれば」「自分が悪かったのかも」と思い続けてきたからです。

そうやって、自分の痛みや感情に蓋をしながら、

家族のバランスを保とうとしてきた。

 

でもね、本当に言いたいのはここです。

 

あなたがつらい思いをしたのは、あなたに原因があったからではありません。

たとえあなたに不完全なところや、失敗があったとしても、

それが「傷つけられていい理由」にはなりません。

 

あなたが受けたような扱いは、どんな理由があっても

誰にもしていいことではないのです。

 

あなたは悪くない。これは誰かを責めるための言葉ではなく、

あなたがようやく「自分を責めること」から自由になっていいという許しの言葉です。

 

「私に原因があったのでは」と思うその気持ちも、

あなたが人として真面目に生きてきた証です。

 

人のせいにせず、自分の内側を見つめてきたからこそ、そう思ってしまう。

それも、あなたの優しさの形なんです。

 

だから今は、自分の心にそっとこう言ってあげてください。

「私、がんばったよね」って。

「これ以上、自分を責めなくていいよ」って。

 

私はあなたが、あなた自身を大切にできるようになる日が来ることを心から願っています。

 

加藤諦三先生の言葉を胸に。

 

今日、ある女性と出会いました。

とても静かで、でも心の奥に深い傷を抱えているのが伝わってくるような、そんな女性でした。

 

私は彼女の状況をすべて知っているわけではありません。

けれど、あの目の奥にある「まだ信じたい」「でも苦しい」という感情を、

私は知っています。かつての私もそうだったからです。

 

「きっといつか分かってくれる」

「本当は優しい人のはず」

「私さえ我慢すれば…」

 

そう信じて、傷つけられ続けても、

自分の価値を疑いながらも、それでも離れられない日々。

 

でもね、本当にいるんです。「愛する能力を持たない人」が。

それは「悪い人」だからではありません。

心に傷を抱えたまま、大人になってしまい、誰かを愛するということが

分からないまま生きてきた人たち。

その空虚を埋めるために、相手をコントロールしたり、見下したりすることで、

自分を保っている人。

 

そういう人に、どんなに愛を注いでも、届かないのです。

求めるほどに、苦しくなっていくだけ。心がすり減って、壊れてしまいます。

 

でもね、それはあなたのせいじゃない。

 

あなたがダメだからじゃない。

愛し方が足りなかったわけでもない。

我慢が足りなかったんじゃない。

 

あなたが優しかったから、信じたかったから、

その苦しみを引き受けてしまっただけなんです。

 

もう、あなたが傷つく必要はないんです。

 

あなたには、心から安心して笑える場所が必要です。

傷をなかったことにせずに、そのまま抱きしめて、静かに癒していける場所が。

私は、そんな場所を作ろうとしています。

 

このブログが、その入り口になりますように。

どうか、あなたの心にこの言葉がいつか届きますように。

 

あなたの存在には、価値があります。

あなたの優しさは、ちゃんと未来に繋がっていきます。

 

私は、それを信じています。

モラハラは無意識に妻を傷つけます

 

 

かつての私は、信じていた人によって心を深く傷つけられていました。

その痛みと向き合いながら少しずつ前を向こうと思い、この記録を残そうと思います。

 

ある日、夫が「子どもを連れて同級生の家に行く」と言いました。

子どもの保育園のご家庭であり、同級生同士だということもあって、

私は何の疑いもなく「いいよ」と送り出しました。

 

しばらくして迎えに行ったとき、目の前にあったのは酔っぱらった夫の姿。

そして、その同級生に対して平然と言い放った言葉——

 

「セックスしようよ」

「ねぇ、セックスしようよ」

 

私はその場で言葉を失い、心が大きく揺さぶられました。

ショックで混乱しながらも、

今思えばこの出来事は“モラハラ”によって私を傷つけ、

困惑させるための行為だったのだと感じています。

その夜、夫は家には帰らず、翌朝戻ってきたときにはシャツに

赤い血のようなものがついていました。

問いかけると、「チョコレートだ」とごまかし、すぐに洗濯。

何もないような態度で日常に戻ろうとする姿に、私はさらに心を閉ざすしかありませんでした。

 

今、この出来事を振り返ると、

「これ以上、自分を傷つける人に揺さぶられ続ける必要はない」

そう感じています。

 

自分が何を感じ、どこで心が痛んだのかを知ること。

自分が自分らしくいられる場所を、これから少しずつ取り戻していくこと。

 

この記録が、

かつての私と同じように苦しんでいる誰かの心に寄り添えたなら嬉しいです。

あなたは悪くないし、ひとりじゃありません。