昨日と同じようなタイトルですみません
昨日は東日本大震災が発生してから3ヶ月が経ったと書きましたが、今日は1978年の宮城県沖地震が発生してから33年目に当たります。
宮城県沖地震は1978年(昭和53年)6月12日午後5時14分に発生、仙台では当時の震度表記で「震度5」でした。
当時、私は週1回のエレクトーンの個人レッスンに行っていて、自分の順番を待っているところでした。
地震発生時、大きな揺れで目の前の本棚が倒れてきて押しつぶされそうになりましたが、部屋にあったベッドの上に避難して助かりました。
ライフラインも全部ストップし、レッスンどころではなくなったので、先生に自宅まで送ってもらいました。
当時住んでいたのは、父が勤務していた東北電力の社宅でしたが、家の中はガラスや食器などが割れて足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃになり、母は家の柱にしがみつき、妹はとっさに庭に飛び出して、庭に植わっていた松の木にしがみついていたそうです。
父は本店勤務でしたが、停電対応に追われてすぐには家に帰ってこなかったような・・・。
ウィキペディアによると、被害は死者28名(そのうちブロック塀などの下敷き18名)、負傷者1万名余り、建物の全半壊7400戸、停電70万戸、断水7000戸、都市ガスは13万戸で供給停止になったそうです。
確かこの時もガスの復旧が一番遅く、1ヶ月近くかかったのではなかったかと思います。
家屋倒壊被害が甚大だったため、3年後の1981年に建築基準法が改正されたと聞いています。
住んでいた家は、築年数がかなり経っていて古かったこともあって取り壊しが決定し、地震の4ヵ月後には引越しを余儀なくされ、学校も転校せざるをえませんでした。
この地震を後世に伝えていこうということで、6月12日は「県民防災の日」になりました。
本来でしたら、今日は県内各所で防災訓練が行われるはずでしたが、今年は震災の影響で訓練は中止となりました。
宮城県民にとって地震はしょっちゅうあることなので、結婚して今の家に引っ越してからは、家具が倒れて来ないように地震対策はしていましたが、食器棚や戸棚が開いて食器が落ちたりしたので、今は扉がすぐには開かないように紐で縛ったりして、被害を少しでも減らそうとしています。
皆さんも家具転倒防止用具などを使って、対策をされることをオススメします。