人前で泣かない.。


応対は明るく元気に笑顔で。


「今日も元気だね。」「いつも気持ちがいい対応だよ。」とお褒めの声をかけていただく。




二十歳のころ学校で後輩から「学生課の先生と先輩の会話って、大人ですよね。どうしてそんなに敬語が使いこなせるんですかぁ~。」




「何でかな?」(『気を付けてるから。』)って心の中でつぶやいた。




だって物心ついた時から、きづいちゃうんだもん。私は私で『なんでそんなことも気づけないの?わかるじゃん。周りを見て入れば・・・』ってすごく周りに対して手厳しい考え方をしていた。それはまわりまわって、自分の首を絞める結果にもなった。




そう・・・学んだんだ。




何でこんなに自分に決めごとばかりつくるんだろ。いつからだろう。


職場の先輩に「顔にでるから損するぞ。気をつけろ。」って言われたことがあった。


その反面、特に恋愛に関しては「どんな人がタイプなのかも想像がつかないね。」とか「彼氏がいないなんて信じられない。」とか「あの時の異動は結婚が決まってたからって聞いてたよ。」とかいわれた。


有名人でもないのに『火のないところに煙がたつ』って身に染みていた。


けど「なんで?」私、一般市民で特別、容姿が目を引くわけでもなく人一倍秀でた才能があるわけでもないのに買いかぶられすぎるんだろう。


面倒に巻き込まれるのが嫌でいい子だったっていうことはないけれど、理不尽なことは大嫌いで勢いだけで同級生に「あんたのその根性が気に入らない。」って言ってみたり、先輩から「一生懸命頑張ってくれるんだけどなんかきにいらないんだよね。」って言われてみたりそんなとこは、変わりもんって自覚があったけれど、それもこれも私だからしょうがないやって受け入れていたはずだけれど・・・




わたしってすごくうそつきだって思い知った。




うまれかわっても自分に生まれ変わりたい。じゃなくて、自分に生まれ変わりたいって言える自分になりたい。ってしなきゃいけなかったんだ。



気持ちはキチンと言葉にしなきゃ「言霊(ことだま)に乗せなきゃ」伝わらないのに肝心の時肝心の人には言わずに逃げ続けていた。


せっかく独りになるのが怖いっていう自分と向き合えるようになったんだから。


周りの人に訪れる幸せを祝福している気持ちには、嘘はないって言い切れるけれどそんな報告を受けるたびにすごく泣き虫になる。それも独りじゃないと泣けない。重症だ・・・


先のことはわからないけれど、向き合うことが辛くて、苦しいくて、恥ずかしくて逃げていた代償はほんとに大きい


報告を受けるたびに泣いちゃうけど、反面連絡をくれるみんなの今までを私目線で振り返るとほんとに頑張っているものそれくらい当たり前だよねって感じてる。


頑張れない自分が情けないんだ、私。


弱音を吐かないっていうのもあった。それやめて弱音を吐ける居場所を家族以外でみつけるっていうのもいいかもしれない。つまんない意地や強がりいらないんだし。


そっか・・・決めごとをつくらないっていうのもやっぱり決めごとになっちゃうかな。






本の一等幼い日の記憶は、一冊の絵本だった。着物姿の『花嫁さん』の。白無垢ではなく、黒地に色とりどりの模様のお嫁さん。とってもお気に入りだった。
けれども、今はどこにあるのかわからない。



母の話に昔、駅前にあった古本屋さんで手に入れた一冊だということだ。
物心ついた時には、本を読むことが当たり前で、私の生活の一部になっていった。



小学生になったとき図書室はキラキラしていて私の宝箱のような場所だった。
「赤毛のアン」「若草の四姉妹」「ピーターラビット」「不思議な鍵ばあさん」「押し入れの冒険」「コロボックルシリーズ」
何があっても本の中の想像の世界は、私に前を向いていさせてくれたし、たくさんの知識を与えてくれた。


中学校でも相変わらず、図書室は私の安らぎの場所。
「シャーロックホームズ」「アガサクリスティ」「いわさきちひろ」
時間を飛び越えさせてくれる大切な生活の糧だった。拠り所のひとつだった。


高校では、とうとう司書の先生の部屋に入り浸る様にまでなっていた。
地元の進学校へ進んだ私は、部活との両立で余裕がなかったにも関わらず、本を読みあさることだけは止められなかった。
「マリーネデートリッヒ」「花嫁人形」「雪の断章」「万葉集」や「柿本人麻呂」に関する書物。
もはや活字中毒としか言えなくなっていた。
目の前の辛いことや苦しいことの迷路に迷いそうになった時、読むことが私の支えになっていた。


大学には通学に片道数時間を費やした。もちろん想像の世界を楽しんでいた。

車内の同じ時間を共有した人々に何とはなしに目を向けて様子を伺い、想像を駆使することも楽しかった。

独りで楽しむ術だけはどんどんと、長けていった。

社会人になると自家用車が移動手段となり、活字を追うことも一期一会とも言える出逢いも瞬く間に失われていった。


本当に独りになった。


今、私の心残りは、『独りになったこと』を気づけなかった私がいたこと。


十代で人間関係の難しさを嫌というほど痛感してしまった私は、いつの間にか『独り』の気軽さばかりに囚われて


繋がること・・・絆を結ぶ』の尊さや大切さ


にきづかない様に心のふたをしてしまっていた。


なりたくない大人になっていた。


周りから「しっかり」「きちんと」「気が強い」=独りで生きていけると評価されていても、そうじゃないことを自身が一番気づいていたのに、目を背けて行き詰ってどうしていいかわからずもがいている自分がいる。


心残り・・・独りはイヤ。って素直になれない私にもっと早く目を向ける私になれなかったこと。

卒業アルバムにやたらと出でくる「○○ベストテン」に『早く結婚しそうな人・・・ 』っていうのがあって、我がクラスでは、なぜだか私がNo1に選ばれていた。
初めて目にしたときの驚きったらありゃしなかったことが今でもしっかりと記憶に刻まれている。
それから月日は過ぎて、たぶん私は当時のクラスメートの中でも片手で数えられるほどの貴重な「おひとり様」。
それは、自身では当たり前で驚きではなく、やっぱりというニュアンスが含まれている。
今でも大きな謎のひとつである。なぜ、私が早婚に見られたのか。どんな風に見られていたのかしらと。周りからの私への印象と実際の私自身のギャップに振り回され続けた日々。
二十歳を過ぎて仕事に就くまで、ずーっと「しっかり者のちゃあちゃん」と言われ続け、そう思い込んで信じて疑わないでいた私。(どんだけ…な子でしょう)
泣き虫なのに泣くことをやめたあの日から「強い子」になったはずの私。
「ちゃあちゃんは、天然だね。自分でそう自覚がないところがまずそうだよ。」と言われ始めて、心の刷り込みが崩れていったとき、驚いたけど少しだけ肩の力が抜けて楽になったように感じた。
意図的ではなかったけれど、言い聞かせていないと自分じゃなくなるような気がして、怖くて恐ろしくて自己防衛のために自分を変えていったはずだった。
心が壊れないように自分を偽っていた。無意識に。
それがこんなにも辛くなる日がくるなんて気づかなかった幼かった自分。
人は一人では生きていけないんだと理屈では、解っていたつもり。ただ、心が解っていなかった。
ズルくて卑怯でちっちゃい私が一番嫌いなのは私自身だったのに。それから目を背けて嫌な大人になっている。
生まれ変わってもまた自分がいいって、言い切れる毎日を過ごしていきたい。
結婚してもしなくても子どもを産み育てても育てられなくてもそれが「ちゃあの人生」って微笑みを絶やさず歩いていきたい。十人十色って、笑って去っていける自分になりたい。
神戸の震災の時は、感じることがなかった(わからなかった)痛みが、年月を経て、少しばかりの人生経験を重ねた私には、「生きている意味・生かされている意味」と形を変えて考える時間をくれた。そんな時の3月11日の出来事。
無事を確かめあって安堵した日々を超え、徐々に日常を取り戻すうちにまた頭をもたげてきた「生きている意味・生かされている意味」。
自分が今を生きている理由を探してしまう。
命の灯が消えてしまった人の分まで生きていくということがおこがましく思えてしまう自分。
何もできていない自分。
泣き虫を受け入れた自分。
まだ、一人ときにしか泣けない自分。
守るべきものを探し出そうとしない自分。
たぶん私は八方美人なんだ。周りの人達にも人生にも。自分の心にも。
卒業したいと思えるようになっただけでも一歩踏み出せたと思うしかないのかもしれない。