本の一等幼い日の記憶は、一冊の絵本だった。着物姿の『花嫁さん』の。白無垢ではなく、黒地に色とりどりの模様のお嫁さん。とってもお気に入りだった。
けれども、今はどこにあるのかわからない。



母の話に昔、駅前にあった古本屋さんで手に入れた一冊だということだ。
物心ついた時には、本を読むことが当たり前で、私の生活の一部になっていった。



小学生になったとき図書室はキラキラしていて私の宝箱のような場所だった。
「赤毛のアン」「若草の四姉妹」「ピーターラビット」「不思議な鍵ばあさん」「押し入れの冒険」「コロボックルシリーズ」
何があっても本の中の想像の世界は、私に前を向いていさせてくれたし、たくさんの知識を与えてくれた。


中学校でも相変わらず、図書室は私の安らぎの場所。
「シャーロックホームズ」「アガサクリスティ」「いわさきちひろ」
時間を飛び越えさせてくれる大切な生活の糧だった。拠り所のひとつだった。


高校では、とうとう司書の先生の部屋に入り浸る様にまでなっていた。
地元の進学校へ進んだ私は、部活との両立で余裕がなかったにも関わらず、本を読みあさることだけは止められなかった。
「マリーネデートリッヒ」「花嫁人形」「雪の断章」「万葉集」や「柿本人麻呂」に関する書物。
もはや活字中毒としか言えなくなっていた。
目の前の辛いことや苦しいことの迷路に迷いそうになった時、読むことが私の支えになっていた。


大学には通学に片道数時間を費やした。もちろん想像の世界を楽しんでいた。

車内の同じ時間を共有した人々に何とはなしに目を向けて様子を伺い、想像を駆使することも楽しかった。

独りで楽しむ術だけはどんどんと、長けていった。

社会人になると自家用車が移動手段となり、活字を追うことも一期一会とも言える出逢いも瞬く間に失われていった。


本当に独りになった。


今、私の心残りは、『独りになったこと』を気づけなかった私がいたこと。


十代で人間関係の難しさを嫌というほど痛感してしまった私は、いつの間にか『独り』の気軽さばかりに囚われて


繋がること・・・絆を結ぶ』の尊さや大切さ


にきづかない様に心のふたをしてしまっていた。


なりたくない大人になっていた。


周りから「しっかり」「きちんと」「気が強い」=独りで生きていけると評価されていても、そうじゃないことを自身が一番気づいていたのに、目を背けて行き詰ってどうしていいかわからずもがいている自分がいる。


心残り・・・独りはイヤ。って素直になれない私にもっと早く目を向ける私になれなかったこと。