本日もお読みいただきありがとうございます。
ゾウ



一昨日の七条。
実はペストリーブティックで
お茶をする(前記事)前に




こちら養源院を訪れました。
向かって右手は三十三間堂です。





俵屋宗達の杉戸絵が観たかったニコニコビックリマーク




養源院には初めてお伺いしました。
京都に引っ越す前、
観光であれだけ通っていた時期にも
何故訪れたことがないのだろう(・・❔と
記憶を辿ってみたら。。。
「血天井」が怖かったからなのです。
ガーンハッ



拝観できるのは毎日ではありません。





養源院は戦国武将 浅井長政の菩提寺です。
文禄3年(1594年)長政の長女で豊臣秀吉側室の
淀殿の願いによって、秀吉により創建されました。
その後元和5年(1619年)に火災で消失。
その2年後に三女のニ代将軍徳川秀忠夫人の
お江与によって再建。

現在の本堂は
その時の姿を留めているのだそうです爆笑




山門を入るとかなり広い敷地。
入ってすぐ右に弁財天 左に毘沙門天









まだ青もみじですが、
これから色づいてきたら綺麗でしょうね照れ




振り返ってみると、
わずかに紅葉している木もあります。




三つ葉葵の御紋









火災で消失し再建をする際、
いくらお江(ごう)さんが
時の将軍の御台所であっても、
また、父の菩提を弔うためのお寺であっても
戦った豊臣方の創ったお寺を再建することは
(だからこそ)
立場的に難しかったらしいです。


そこで、伏見城で
徳川家康のために戦って亡くなった徳川方の武士
鳥居元忠以下380名の慰霊のため、ということで
血に染まった伏見城の廊下の遺構を
養源院の(廊下の)天井に持ってきたのだとか。

ガーンやっやっぱり怖い。南無阿弥陀仏。
お願い



内部は案内の方が説明してくださいました。
伏見城の遺体は関ヶ原の戦いが終わるまで
2ヶ月間そのままだったとかで、
長い棒で「ここが元忠公のお顔のあと、
これがお腹でここが足」「こちらは別の人の手形」
と指し示しながらの説明は、、、
やっぱり怖かった〜〜ショボーン

(でも会津の上杉討伐に向かった家康の留守を
守って、1000人で石田三成軍40000人と
戦った忠義の武将達なんですよねお願い



★(追記)11月5日
訪れた時は、宗達の白象図が観たくて
行ったので、お寺にまつわる詳しい歴史は知らず。
訪れた数日後に放映された大河ドラマで、
家康と元忠の最期のシーンが出てきて鳥肌〜ガーン
本日11月5日の放送では伏見城の落城シーンが
流れました。彦殿安らかにお眠り下さいお願い




見事だったのは俵屋宗達の描いた
白象唐獅子、麒麟(きりん)の杉戸絵。

(普賢菩薩が白象に乗っておられることから
こちらも慰霊を意味するとか。)

教科書などで見たことのある白象図も
等身大の大きさで間近に観ると
迫力がありますお願い笑い
宗達の、誰も考えつかないような
ダイナミックなデザイン力 ❣
「京都ミュージアム探訪」からお借りしました 




他に
伏見城の秀吉の学問所を移築したという
牡丹の間の襖絵も(少し傷んでいましたが)
素晴らしかったです。狩野山楽の作です。

室内は薄暗い。
金ぴかだけど照明が和ろうそくしか
無かった昔には、反射して
幻想的な美しさだったに違いないラブ

そこに秀吉がいるような感覚に
とらわれた。。。



帰りに門のところにはにゃんこが3匹
黒猫黒猫黒猫
人に慣れているみたい。
近づいても逃げない。

     


















江戸時代の薄暗い建物の中、まるで
タイムスリップしたような気分を味わった
養源院さん。


血天井は怖かったけれど不安ブルブル
俵屋宗達や狩野山楽の作品は
一見の価値がありました。


オススメですうずまき


ウインク



HPより