6人の大部屋で
プライバシーもなく
ベッドの周りとトイレ以外は
歩いてはダメで
食事も美味しくなく
最初はとても辛かった
お腹の張りを抑える点滴を
24時間刺してないといけなくて
点滴針の差し替えも
産科の先生がヘタでものすごく痛かった
でも慣れというのは恐ろしいもので
2週間もすると同室の人たちと仲良くなり
雑談したり
看護師さんに内緒で
みんなでカップラーメンをこっそり食べたり
家族から差し入れられた大量の雑誌を
まわし読みしたり
結構快適に過ごせるようになり
暇なのが苦痛だったが
このまま出産まで
意外と平穏に過ぎそうだな、と
思っていた
担当の先生からは再三
難しい帝王切開になること
胎盤の位置が最悪で
出血量が相当多くなりそうなこと
出血が止まらないようなら
子宮の全摘出も有り得ること
などを事前の説明で聞いてはいたが
あまり実感が湧いていなくて
どこか他人事だった
で、当日
朝イチの9時から手術が決まっていたが
夫は雪で到着が遅れ
それを看護師さん達に苦笑いされながら
誰の見送りもなく手術室に運ばれた
全身麻酔になる、と言われていたので
娘の産声は聞けないけど
きっと3時間くらいで目が覚めたら
もう娘が隣に寝ていて
全て終わっているんだろうな
とぼんやり思っていた
でもそれが甘かった
実際お腹を見てみたら
先生達が思っていた以上に胎盤の位置が悪く
ものすごい出血を起こしたそうだ
娘は予定通りすぐ取り出せたが
そのあとの止血に時間がかかり
輸血も大量に必要になった
母子手帳の記録を見ると
出血の欄に『多量7737㎖』とある
麻酔が切れかかっていたのか
ところどころ記憶があるのだが
ドラマのワンシーンみたいに
ベッドの周りに先生や看護師さんがたくさんいて
チューブや機械を大急ぎでたくさんわたしにつけながら
「なんで数値が上がらないんだ!!」と
担当の先生が怒鳴っていて
看護師さんも甲高い声で何かを言い返していた
あぁ、わたし死ぬのかな
とぼんやり思ったが
相変わらず点滴?で刺される針が痛くて
「先生ほんとヘタだな」と
意識朦朧としながらも頭に来た記憶がある
結局手術が終わるまでに14時間もかかり
大量に出血したので自分の病室には戻れず
ICUで過ごすことになった
ICUはテレビもスマホもダメで
トイレも管が繋がれてたので
完全にベッドに貼り付け
容態が急変しても平気なように?
心電図モニターもつけられていた
唯一流れていたラジオにとても救われたけど
(今でも横浜そごうの時報を聞くと記憶がリアルに蘇る)
夜中に急患が運ばれてくるたびに
ものすごく騒がしくなるので
ドキドキした
娘に対面できたのは
2,3日後だったと思う
結局子宮は全摘出になってしまって
術後の経過も悪く
退院できたのはそこから更に
3週間後だったが
娘が元気で本当に良かった
むしろ元気すぎるくらい
来週で7歳になる娘
「ママはあんたを産むとき
すっごい大変だったんだからね!!」と
これからも恩着せがましく
言おうと思う