美麗。なんてキラキラな文字でしょう。
美しい。麗しい。
どちらもキラキラしていて眩しい響きです。
子どもの頃から容姿に自信がないからいつも猫背でした。
小学校の高学年から太り出してそこから私の頭の中はずーっとダイエットダイエット…。
私の人生はダイエットとの戦いの歴史でもあります(笑)
戦っては負け、戦っては負けの繰り返し。
笑ったら目がなくなるほど細くなる私を見て、クラスの女の子には、「目、見えてるの?」って言われたことがあるし、私が歩いたらクラスの男の子は「どすんどすん」と効果音をつけてくれたりして、まあ子どもって、時に残酷です。
そんなことが多感な時期にあったので、ずいぶんと容姿に自信がなくて、かなり長い間猫背で歩いてきました。
じゃあ、理想の体型になってしまえればいいのだけど、それがなかなか一筋縄ではいきません。
ダイエットは、たしかに一見食べなければいいという単純なことのようですが、心と密接に繋がっていて、単純に食べないということができないから苦しい。
お腹が満たされていれば、食べなくなるというものでもないから、満腹感のある低カロリーのものでお腹を満たしても根本的解決にはならないのです。
色んなダイエットを試しまくってきて、結果、心が変わらないと難しいなと思うようになりました。
まず何より、心の平穏を保つことが大事と思うに至ったことは今までダイエットと向き合い続けて得た収穫だと思います。
大人になった今も全くもって理想といわれる体型には近づいておりませんが…それでも闇雲に食べないとかサラダだけ食べるとか、そういうことはしなくなりました。
そして心の平穏を保つためには、自分という存在の良し悪しを他人の目によって決めないことだということがめちゃくちゃ大切であるという考えに至りました。
何のためにダイエットをしたいのか?
誰かに美しいと思われたいから?
誰かより美しいと思われたいから?
誰かを見返してやりたいから?
きっと以前の私はこんなことが動機だったのかなと思うのですが、ある時、ふと思ったんです。
誰かにどう思われるかというのは二の次で、自分が心地よい自分になるためにダイエットが必要なんだと!
それに加えてエコだし。
着られない服が増えていくのは、エコじゃないなと思ったのですよ。
(来年は着れるかもと取っておくのも、着れなくなって毎回捨てるのも…)
自分の存在の良し悪しは自分の感覚によって決めようと思うようになってから、とても楽になりました。
他人の目より自分自身の感覚や感情を最優先にして生きていこうと今は思っています。
