文教祖の家庭の嘗糞(しょうふん) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

※統一教会では韓国人を「選民」としています。

■韓国の風習「嘗糞」(ウンチをなめること)

文教祖の故郷でも嘗糞文化があったようです。(下記み言葉参照)

『ああ、わたしの母がどういうことをしたか知っていますか? 弟が幼いときに病気になりました。天然痘あるでしょう? それは熱が出るのです。ですから、その熱をすべて発散しなければなりませんが、発散できずにいて、死んだのです。そのとき、母が弟のうんちの味が苦ければ生きるし、苦くなければ死ぬと言って……。うんちの味を見たのです。』
(6500双の約婚式のみ言葉 1988年10月23日 龍仁メッコール工場)

『昔、先生の弟がいました。とても美男子の弟でしたが、その弟が患った時にお母さんが「うんちの味が甘ければ死に、苦ければ生きる」と言ったのです。そうして、うんちの味を見るのを見ました。それがなぜそうなのかということを、物心がつくときまで気掛かりでした。甘ければいいとか、苦ければいいとか、それは分かりません。そのような習慣(俗信)があるのです。』
(第六回「七・一節」敬礼式後のみ言葉 1996年7月1日 アルゼンチン・コリエンテス)

『私の弟は数えの七歳の時に死んだのですが、その子は私よりハンサムで、とても闊達で、「やー、あいつ、一つ大きなことをしそうだな。俺もお前に負けない」と言っていた、本当に愛らしい弟でした。名前が「龍」の字と「官」の字で、龍官です。それが、ほうそうにかかりました。その時は日帝時代でした。薬を求めることができたでしょうか。種痘がなかったその時において、ほうそうにかかって熱がぶり返すから、かっかと熱いのです。ところで、その便が甘いならば死に、苦ければ死なないとかで、母がその便の味を見るのを私は見たのです。今もそれが忘れられません。』
(真の御父母様の生涯路程1)

『母親には、赤ん坊の匂いが、世の宴の食膳よりもこうばしく、唇をなめてあげたいと思い、耳もなめてあげたいと思い、体のすべてまでもなめてあげたいと思うのです。私は、私の母親がそのようにするのを見ました。大便が苦いか甘いかで、(体調が)良いか悪いか分かるので、弟が死にそうになったとき、大便の味を調べているのを見ました。
(「蕩減摂理時代終了」宣布時のみ言葉 2003年7月13日 韓国・鮮文大学)

『わたしよりも優れた弟がいたのですが、彼が不治の病にかかり、だんだんと深刻になって、それで母親は、大便の味までみたというのです。わたしは、母親の愛が、そのようなものであるとは知りませんでした。物心がつかないときにはそうでしたが、物心がつくようになってからは、母親を尊敬しました。』
(第四十四回「真の子女の日」のみ言葉 2003年10月25日 天宙清平修錬苑) 

信者の証から
『一九三〇年代の韓国の医学技術は遅れていた。親が重病になると、その子供は親の大便をなめて、その病状が致命的かどうかを判断していた。』
(「本質と心情の根源を求めて」より 金鎭文(430家庭)の証)


「嘗糞」をウィキペディアで調べてみました。

『嘗糞(しょうふん、상분)とは、人間の糞を舐めて、その味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化していると判断する、古代中国や朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われた民間療法。儒教では孝行の一種とされている。』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E

文教祖の弟の名前は龍官です。幼いころ、やはり文教祖も李氏朝鮮の風習の中で生活していたのですね。母親が子供のウンチをなめていたのは文教祖が幼いときの話ですから、1930年代初めの話でしょう。併合時代真っ只中でさえも「嘗糞」はなくなっていなかったようです。文教祖の生まれた時代(1920年)は日本が韓国を併合し、李氏朝鮮の嘗糞等の民俗医術を規制しましたが、何百年も続いた「人糞文化」の風習は韓国人にとって簡単にやめられなかったようです。


<その他の韓国の人糞文化>

■嘗糞(しょうふん)
「嘗糞」は、朝鮮古来の民俗医術の1つです。
人の糞を舐めてその味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化していると判断します。
過去には、6年以上父母の糞を嘗めつづけ、病気を治した孝行息子の話などの記録があり、指を切って血を 飲ませる行為と共に親に対する最高の孝行の1つとされた。
中国の南北朝時代や唐代の説話『二十四孝』や『日記説話』によれば、庚黔婁と言う役人の父親が病気になったので、帰郷して医者にみせたところ、糞を嘗めて見ないと状態が解らないと言われました。そして、その味が 甘かったので憂いたと言う「嘗糞憂心」の故事が残っています。ただし、これらの伝説と朝鮮における嘗糞との関連性はよく分かっていません。後に娯楽化し、人の糞を舐めてその味で誰の糞であるか当てる遊びが流行しました。

■糞盗み
北朝鮮に位置する平安北道江界では、旧正月の早朝に、農民は鶏が鳴くのを待って、富農のたい肥を盗んで自分のところのたい肥に投げかける習慣がありました。裕福な家の気運が移ってくるといういわれがあるためです。
15日のテボルムの日(旧暦1月15日)に、裕福な家の土を盗んで自宅の土に散らす「福土盗み」も、同様の意味合いで行われていました。

■大便酒(トンスル)
梅毒の治療に効果があるとされます。製造方法は、竹の筒に焼酎を入れて、注ぎ口は蝋で密閉し、便壺に半年以上漬け込みます。それを便壺から取り出して、表面をよく洗った後に飲みます。半年以上飲用を続けるのが良いとされますが、本当に効果が有るかどうかは不明です。

■野人乾
中宗(チュンジョン、1488~1544年)は解熱剤として「野人乾」の水を飲んだという内容があります。「野人乾」とは人糞のこと。

■洪濁(ホンタク)
「ホンタク」とは、アンモニア臭の強いエイの肉を、人糞に漬け込んで発酵させたものです。
その調理方法は、エイの肉を肥溜めに沈める所から始まります。
世界各地でエイは食べられていますが、人糞に漬け込むという方法は他に類を見ません。 アンモニア臭の強いエイの肉を食べるためには様々な工夫が必要となります。 醤油で漬け込む、酒につける、にこごりにするなどが通常の調理方法です。しかし、韓国の「ホンタク」は、エイの匂いをさらに匂いの強い人糞に漬け込むという、非常に合理的かつ、論理的な調理方法となっています。
(「在日、反日、韓国のお勉強」よりhttp://blogs.yahoo.co.jp/zainichi_busters/14318430.html


李氏朝鮮末期(1900年頃)のソウルの様子
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李氏朝鮮時代から併合時代を経て、韓国が1948年にアメリカから独立する1950年頃までに下記のような風習が残っていました。

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長男が生まれた家庭は女性の胸を露出させた「乳出しチョゴリ」を着用しました。それは李氏朝鮮の文化に強く影響を受けていた文教祖の家庭も例外ではなかったはずで、文教祖の母親も男子を産んだことを自慢するため、このチョゴリを着ていた可能性は大です。併合時代のさなかでさえも「嘗糞」をしていたくらいですから。

文教祖は韓国の風習についてこのように述べています。

『韓民族は、ユダヤ民族が問題ではありません。天の国の三分の一の伝統を受け継いだ国です。言葉もそうであり、文化の内容も神秘的です。』
(「安侍日(八日ごとの安息日)」におけるみ言葉 2005年9月12日 ニューヨーク)

「嘗糞」や「乳出しチョゴリ」等の文化も天(神)の文化だと言うのでしょうか・・・・。

■この内容の関連記事
※乳出しチョゴリ文化と文教祖のみ言葉の比較
選民韓国人の実態(1950年代までの風習)

※文教祖は成人しても母の乳を吸っていた(み言葉より)
変態だと言わないでください
二十歳を過ぎても母親の乳を吸っていた文教祖