文教祖が考えた原罪のない完成人間とは | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

1.神と話が自由にできるはず
2.霊界を自由に行き来できるはず
3.死んだ先祖とも自由に話をしたり呼び出したりできるはず


『第一に、堕落人間の心霊が復帰されていくのを見て、それを知ることができる。人間が完成すれば、完全に神と心情的に一体化し、互いに相通ずるように創造されたということは、既に述べたとおりである。それゆえに、アダムとエバも、不完全な状態ではあったが、神と一問一答した段階から堕落し、その子孫たちは、神を知らないところにまで落ちてしまったのである。』
(原理講論 人類歴史の終末論)

『長成期完成級で堕落した人間が、復帰摂理により、蘇生旧約時代を経て、長成新約時代の完成級まで復帰されて、人間始祖が堕落する前の立場に戻る時代を終末という。この時代は、アダムとエバが堕落する直前、神と一問一答したそのときを、世界的に復帰する時代であるので、地上には霊通する人が多く現れるようになる。』
(原理講論 復活論)

堕落前のアダムとエバが天使と一問一答し、神と一問一答したように我々もそうできたなら 今日この終わりの日に数多くの人々が神を見忘れ、神がいないと言うことはなかったのです。』
(救援の目的 1965年10月17日 前本部教会)

我々人間祖先が堕落しなかったならば、天と一問一答しながら天の愛を代表することが出来ました。一方において又、存在する全ての万物と万象は、天が愛していらっしゃるその息子と共に関係を結ぶことが出来たのでありました。それにも拘らず、人間が堕落した後には全ては彼らと関係を結ぼうとしても結べない、このような悲惨なる境地に陥ってしまったことを我々は知っています。』
(復帰の恨み 1971年3月19日 ソウル)

『この完成された神の生命に生きるということは、何と素晴らしい、どんなに素晴らしいことでしょうか。それがいかなる地上の喜びにも勝る真の喜びの生活なのです。一たびこのような完成された状態に到達したならば、あなたはもはや祈る必要もなくなるのです。どうして、祈る必要などあるでしょうか。あなたは顔と顔とを合わせて神と会い、心と心を合わせて神と共に生活するのです。神と一問一答し、あなたはもはや宗教を必要とせず、救い主を必要としなくなるのです。これらのすべての宗教的な事柄は、治療の過程、すなわち復帰の過程における一側面にすぎないのです。完全に健康な人は医者を必要としないように、神と完全に一つとなった人は救い主を必要としないのであります。』
(人間に対する神の希望 1973年10月20日 ワシントン)

『神は、私たちの最初の先祖だったアダムとエバを中心として、地上に真の平和の世界を定着させようと考えられました。もし彼らが堕落せずに神のみ旨のとおりに成長して人格を完成していたならば、神の祝福とともに真の家庭を築いて、罪悪と苦痛のない理想天国を創建したはずです。
その世界は永遠の平和世界として築かれたはずであり、人類は子々孫々、神の直系の子女たちとして、神と直接に交流するのはもちろん、霊界に行った先祖たちとも自由自在に交流し、往来しながら幸福な生を享受したはずです。罪を犯したくても犯すことのできない絶対なる善主権の世界となったはずです。』

(「天地父母統一安着生活圏大会」より鶴子夫人の講演文 2002年8月5日)

文教祖以外、真の家庭で神様と話ができ、先祖と交流できるという真の子女は聞いたことがありません。

堕落しない家庭は、霊界と肉界のすべてに通じることができます。「おじいさんのお父さんは誰ですか」と言えば、見ることができるというのです。また、そのおじいさんのおじいさんが誰なのか、4代の先祖が誰なのか、5代の先祖、100代の先祖、1000代の先祖、その次の先祖まで見ることができるのです。そして、「アダムとエバがどのような顔つきか」と考えれば、「このような顔だ」と現れるのです。「私の目もアダム、エバに似たなあ、私の鼻も似ているなあ、私の口も似ているなあ」と言うのです。輪郭が似ているでしょう。顔にあるものの種類は、4種類しかありません。もっとありますか。目、鼻、耳、口の4種類でしょう。「ああ、手足も同じだ! 私のように目もぱちぱちしますね! 言葉も話しますね! 似ている! ああ、こんなに似ているんだなあ!」と言うのです。』
(「人間の生と霊魂の世界」第2章 霊界はどのような所か 1991年2月3日のみ言葉)

他界している自分の先祖にもいつでも会え、顔もはっきりわかるようです。

文教祖が霊界で会ったというイエスの顔は白人顔でしたが、もしかしたら文教祖はユダヤ人は白人顔だと思っているのか、セム(黄色人種)の子孫だとわかっていながらも国連役員に媚びているかです。
今の白人顔のユダヤ人は血統的ユダヤ人ではなく、イエスの死後、ユダヤ教に改宗した白人の「ハザール人」の子孫だといわれています。
白人顔のイエスを発表した1993年は、国連のNGO団体に初めて統一教会が承認された翌年です。
国連は白人顔のユダヤ人支配下にあるのはご存知のとおりです。
文教祖の「イエスは白人顔」であるとしたのは、国連に忠誠を誓うためのリップサービスだとも考えられます。
その証拠に1999年に「世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)」が国連の経済社会理事会の特別協議資格を持つNGO団体に承認されるまでは、ロビー工作が無いはずがありません。
(参照:イエスの顔を知らなかった文教祖

ところで文教祖が原罪の無い人間として、霊界を自由に行き来し、自分の死んだ親にも自由に会えるというならば、両親の死因がわからなかったのはなぜでしょう。

1991年に北朝鮮の金日成に会うまでは「両親は共産党に虐殺された」と信者に言い続けていました。
しかし、一転、金日成に会ってから親戚に会ってからは「病死」と変更されました。
(参照:文教祖の両親の死因

ここにも霊界というより、ボスの意向で話を変える姿勢(事大主義)が見え隠れします。
韓国は金大中大統領になるまで反共路線でした。もし、共産党を悪く言わなければ「赤(共産党)」だとして逮捕・拷問受けた時代が長くありました。

ですから文教祖もわかるわからないにかかわらず、両親は共産党に虐殺されたと、韓国政府の顔色を伺いながら発言したと考えられます。

それが金日成から北朝鮮の韓国開発・自動車製造等の利権を獲得するために、両親の死を虐殺から病死に変更し、あくまでも金日成は悪者ではなく、両親に配慮した恩人扱いになりました。

さて真の子女の霊感ですが、文教祖はこのようなことを言っています。

『うちの孝進のような場合、私にこのように話をするのです。「お父さん、変なんです。三時になると、音楽が聞こえるのです。静かに深刻に…」。彼は、そういう素質を持って生まれているのです。誰でも、何らかの天才的な素質を持って生まれるのです。生まれつきというのは、既にそのように生まれついたということです。よい素質を持って生まれているので、これを無限に活用すれば、無限に発展できるというのです。』
(1982年10月20日のみ言葉)

『<優れた霊的感覚>
 私が驚いたことは、私の子供たちも霊人体を見ます。声を聞きます。そのようなことが起きるのです。ピアノならば、ピアノを弾いている背後で、誰かがそばで見守っているようです。よくそのような話をします。孝進も、本当に遊ぶことが好きで男性的ですが、静かな中でこのように歌を歌っていると、神様の声が聞こえ、歌声が聞こえてくるというのです。そして、夜の十二時、一時、二時でも(それに合わせて)笛を吹くのです。その一面だけでなく、ほかの而もあるのです。
 孝進が学校に通っている時、特別に歌を学んだことは一度もありません。すべて自分一人で勉強し、ギターを弾くのも一人で研究しました。それがある程度進むと、夜中になって目を閉じていると、天国のオーケストラが聞こえてくるのです。』

(真の御父母様の生涯路程10)

夜中の三時に音楽・・・幻聴ですか?
文教祖の親族に精神病がいますから、霊に支配されやすい霊媒体質なのかも知れません。


『かつて、譽進が学校に行くようになって、「お父さん、私、おかしいわ」と言うのです。何がおかしいのか話しなさいと言うと、子供たち皆が、何か忘れたりすると、自分に聞いてくるというのです。そこで譽進が、「あなたの家のどこどこを探してみなさい」と言うと、そこで探し出せるというのです。それは理解できますか? すべて分かるようになっているのです。分かるのです。
 また、恩進の場合は、さっと誰かが来た時、「お母さん、私はすぐ行こうとするのに、心がしきりに戻ろうとするの、何でこうなのかしら?」と言うのです。すると誰かが、「その人は、あなたが応対してはだめです」と教えてくれるのです。霊的に分かるのです。そのような磁石の作用のような何かがあるのです。皆さんに、そのような面があるのに、そのような方向感覚を感知できなければ、大変なことになるのです。
 譽進もそうだし、仁進もそうだし、恩進もそうです。「お父さん、変だわ。誰かが失敗するわ」と言うのです。それで、気分が悪いというのです。そのようなことは予感で分かるのです。どこに行こうと、さっと出かける時、何が悪いのか良いのか、予感で分かるのです。
 それで、約束した人が悪い時には、必ず時間を遅らせて行くとか、一時間前に早く行くとかしなければなりません。行く前に、霊的に戦って出発するのです。そうすれば、それを免れることができ、コントロールすることもできるというのです。ですから、道の生活が重要だというのです。このようなことをコントロールできるので、このように自分の運命を避けることができ、防ぐことができる自制力を育てることができるのです。』

(1982年10月20日のみ言葉)

『恩進や譽進もそうです。恩進も、祈祷室に入っていくと、モーセが訪ねてきて話をしてくれ、あすどのようなことが起きるのかすべて教えてくれます。「あまりにも恐ろしい」と言います。現れるその人々が恐ろしいというよりも、ぴったり当たることが恐ろしいのです。「あす、何かがこうだ」と言えば、そのようになるのです。
 譽進が既にそうではありませんか。譽進が学校に行けば、「お父さん、私、不思議です」と言うのです。「何が不思議なのか話してみなさい」と言うと、子供たちが、みな何かをなくすと自分に尋ねてくるというのです。それで、「あなたの家のどこどこを探してみなさい」と言うと、そこから見つかるということです。それが理解できますか。そのように、すべて分かるようになっています。
 そのような霊的背景があるので、ここに出入りする人がどのような人か、すべて分かります。「お父さん、あの人は良くないので、今後用いてはいけません!」と、私に勧告するのです。「あの人が頻繁に通うのは良くありません。影響が大きいです」と言います。このような現象が、皆さんの知らない背後で展開しています。おもしろいでしょう? 世の中の普通の家庭にない霊的背景をもっている家庭だということを皆さんは誇らしく思わなければなりません。
 何も知らずに口を閉じている子供だと思って扱ってば困ります。座ったままで既に知っていて、「お父さん、あの人はこのようなことで来たのでしょう?」と言うのです。「お前、どうしてそれを知っているのだ?」と聞くと、「それが分かるので、私がお父さんの息子ではありませんか、お父さんの娘ではありませんか」と言うのです。(笑い)』

(真の御父母様の生涯路程10)

多少霊感がある真の子女たちでしたが、恩進さんは教会を出て祝福を破棄して離婚し、再婚してしまいました。
譽進さんも結局離婚し、孝進氏もそうです。
ほとんどの真の子女が文教祖の決めた相手と離婚するか、祝福結婚を拒否しています。
堕落とは親である神の決めた相手以外と関係を持ったことではなかったでしょうか。
つまり親の言うことを聞かず、自分勝手に行動したのが堕落だと、統一教会では教えてきました。
原罪が清算されれば、神に背くことはできなくなるはずだと。
神の代身であり、完成されたアダムから生まれ原罪の無いはずの真の子女は、文教祖に命令に背くことは、原理の理論上ありえないはずです。

ですから堕落は不信からと教えられ、堕落しているから不信するのだと思っていた教会員は、原罪のない真の子女が離婚(不信)したことに関しては、どうするのでしょうか。

結局祝福を受けても、変わらないということです。

なぜなら嫉妬心とか、自己中心は堕落する以前から神様からきていると言ったのは文教祖なのですから・・・。

『このような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり・・・』
(「原理講論堕落論」より)

『我々人間のすべての特質は、神から来ているのであります。我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。』
(人間に対する神の希望 1973年10月20日 ワシントン)

自己中心の思いが沸いても神が自己中心の性質も持っているから、思いが沸いても自然だし、当たり前だということです。悩む必要もないようです。サタンではなく神が自己中心なのですから。
(参照:堕落論が不要な理由を、み言葉に探る

ですから祝福を受けて原罪が無くなったからといって、自己中心の思いが消えることはないということです。
真の子女が父親である文教祖に反抗したのも自然なことなのかも知れません。


※初回更新日 2012-03-28 14:51:20