文教祖の両親の死因は虐殺ではなく病死だった(1) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■北朝鮮の金日成主席に会う前と後では、文教祖の両親の死因が「虐殺」から「病死」へ。

<1978年>
先生は母親が北の方で亡くなられたのを知っておるよ。兄弟が虐殺されたのを知っておるんだよ。涙ながらに祝福してやらなければならない。』
(我々の今後の活動 1978年9月23日 松濤本部)

<1986年>
先生の兄や姉は、北韓で虐殺されたと思います。彼らのために先生は祈ることができませんでした。祈って霊界に尋ねれば分かるのですが、祈ったことはありません。先生は、任された責任を果たす以前においては、自分の一族を省みることのできない天理を抱き行く、忠孝の道理がそれであることを知ったからです。』
(天国創建の意義 1986年1月1日 ソウル本部教会)

<1989年>
先生のお母さんは北韓で虐殺されたという情報を聞いていますが、先生は父母が死んだことを恨んではいません。父母が息子のために殺されたのであれば、天上世界で生前に功を立てた聖人の名をもって褒めたたえられる何十倍もの立場になるという跳躍の動機を知っているために、私は父母のために一度も祈祷したことなどありません。』
(韓国は人類の祖国 1989年6月18日 ソウル本部教会)

私のお母さんは北で金日成に虐殺されたと報告を聞いていますが、そのお母さん、お父さんが死んだことを気にしません。そのお母さん、お父さんが息子のために死んだら、天上世界で生前に功を立て、聖人の名で功績を褒めたたえられることの何十倍の位置に上がることのできる、そのような跳躍の動機になることを知っているので、お母さん、お父さんのために一度も祈祷したことはありません、今まで。』
(文鮮明先生み言葉選集190巻より 韓国は人類の祖国 1989年6月18日 ソウル本部教会) 

<1991年1月>
私の父と母は北韓で金日成から虐殺されたと考えます。また、それ以上のことを知りながらも、私は、父母のためには一度も祈祷しませんでした。』
(第二十四回「神の日」 1991年1月1日)

統一教会は北朝鮮訪問までは、反共路線(勝共)で「北朝鮮の共産党は嘘つきの悪魔」だと豪語していましたはずですが・・・・

共産党員たちは、全部が真っ赤なうそつきです。私が刑務所にいる時、その所長という人が毎日のようにうそをつくのです。「金日成首相から在所者たちに毎日牛肉と生飯を何百グラムくれて、このようによく脂身を食べるために丈夫になり、張り切って、工場で仕事をよくする」と言うのです。麦飯さえも与えないで、とうきび飯、小麦でなく蕎麦飯を出すのです。蕎麦も完全なものではありません。三分の一がかすなのです。そのような物を食べさせながら、「首領様がどうされて」と言うのです。毎日のようにそうするのです。』
(「神様の摂理から見た南北統一」より み言葉)

共産党は、目的達成のためにはうそ、手段方法を意に介しません。謀略中傷は普通のことです。あることないこと全部ひっかぶせて、その人がまずその環境で生き残ることができないようにするのです。そうではありませんか。今まで四十年間、以南から以北を侵攻したと宣伝しておいて、全世界の国家には北韓が南侵したという考えをもつ国はありません。全部南韓が北侵したと考えているのです。真っ赤なうそであっても継続するのです。
当事者でなければ分からないことでしょう。純然たる悪魔です。

(「神様の摂理から見た南北統一」より み言葉)

それまで反共路線で両親は北朝鮮(共産党)に虐殺されたとしていた文教祖ですが、北朝鮮訪問で金剛山観光開発等の北朝鮮と経済協力の合意書を交わした以降は、共産党(金日成)は文教祖の親兄弟は虐殺されおらず病死だったと融和路線に変更。

1991年1月1日の時点ではすでに北朝鮮訪問に向けて水面下で動いているはずです。
信者には電撃的に北朝鮮に訪問したように演出するために、わざわざ「両親は共産党に虐殺された」と反共路線を強調していたのでしょうか。


<1991年11月30日 北朝鮮訪問 金日成主席と会談後一転>
『これまで、韓国政府は南で反共活動などに従事している者の家族は強制収容所へ入れられるなど、悲惨な境遇に置かれていると言ってきました。しかし、親戚には軍人の甥もいれば村長もいたのです。
文先生の親族のある人は戦争中に他界されたり病死されていましたが、一人も当局によって迫害を受けたり、死刑を宣告された人はいませんでした。文先生は金日成主席の寛大な配慮に敬意を表されたのです。

(「南北統一と世界平和への道」より)


北朝鮮の金日成と事業提携を約束したのは、信者の方もご存知でしょう。

金儲けのためには、今までしていた話をアッサリ撤回するくらい文教祖にとってはなんでもないことなのでしょう。

北朝鮮を訪問した文教祖(上と中央)と七男の文亨進世界会長(下)
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<北朝鮮で統一教会に許可されたビジネスとは・・・・>
■北朝鮮観光ツアー(平壌・金剛山等)
■定州の生家の聖地ツアー
■普通江ホテルの経営
■平和自動車 等

文教祖は金剛山観光開発にいたっては「商売しに行ったのではない。金儲けは関心ない」と信者には述べていたのですが、実は最大の関心事は「金儲け」です。

北韓も同じです。私は北韓に商売をしに行ったのではありません。私は金剛山開発などには関心がありません。豆満江開発も私に約束しました。共同声明も私がしましたが関心がありません。南北統一にも関心がありません。それよりも二世の教育です。私が二世を教育しなければなりません。金日成の二世を教育すれば南北統一はできます。南韓の国民を愛を持って抱いてください。「恐怖をもってしては統一できません」と朴普煕を呼んで言いました。お金に付いて行けば、転がって飛んで行ってしまいます。しかし、人に付いて行けば人を育てられるのです。それは裏切ることができません。裏切っても帰って来ます。故に、人と共に生きるべきであって、お金と共に生きてはいけません。人と共に生きるのです。十人と一緒に暮らせば十人のお金は私の所有になります。百人を育てると百人が持っているお金を私が管理することができます。十分の一でも十人分ではありませんか。』

自動車工場も金剛山開発も、金日成に会った時に直接話したのです。これを発表すれば、統一教会のすべての産業機関の株価が十倍以上に上がります。それを知っていながらもやらないのです。手段や方法を選ばずに邪悪にお金を稼ぎ、借金を返そうという人ではありません。正々堂々とやろうというのです。自動車工場も、許可を受けてやろうとしているのですが、韓国政府がそれに反対しているのです。』
(真の御父母様の生涯路程11)

株価急騰とノーベル平和賞を狙っていたようですが・・・・

北朝鮮訪問に至った背景には、財閥の利権における取引がありましたが、その説明は後ほどすることにします。

『しかし文先生は、そばに座っている私に「私がアメリカで過去二十五年間になしてきた業績について報告しなさい」と言われたのです。私は机をたたきながらも丁重に語りました。そして率直に神主義、頭翼思想、真の愛について、特に国際ハイウェイ・プロジェクトでソウル――平壌間の高速道路建設計画、金剛山観光特別区開発計画があることなど、私たちの活動のすべてを説明しました。彼らはそこでそういうことを聞かされるとは思いもよらなかったので、とても驚いていました。彼らは礼儀正しく拍手を送り、尹委員長は「愛国、愛族、愛民の文先生の活動、思想を見ると、金主席の活動と思想に似たものがあります」と高く評価しました。そして私はそれで終わりだと思っていました。』
(文鮮明師の北朝鮮訪問)

『文教主らの一行は七人。この日北京空港で、北朝鮮のパク・ジョングン金剛山国際貿易開発会社社長を通じて「文牧師(教主)夫妻の出身地(北朝鮮)訪問と経済協力問題を討議するために平壌に来ることを歓迎する」との内容の金副総理の招請状を受け取り、同日午後、朝鮮民航の特別機で北京をたち、平壌入りした。』
(新聞報道)

『真の御父母様が1991年暮れに朝鮮民主主義人民共和国を訪問されて後、1992年4月12日(~16日)から、かつて真の御父様が御苦労された平壌や金剛山などを訪問するツアーが開始されました。さらに1992年7月23日(~27日)からは、真の御父様の故郷・定州と真の御母様の故郷・安州を中心とする聖地巡礼ツアーが開始されました。』
(「日本統一運動史」より

『金剛山を訪ねていく人々は、金剛山よりも韓国を先に見ていくはずであり、韓国の釜山や済州島に行き、外回りして金剛山に行くはずです。金剛山を見てから、ほかの所に行くことはできないのです。行ってみたところで、おもしろくないのです。行くことは行くかもしれませんが、行けば、みな気落ちするというのです。お客さんを誘致するとき、釜山から済州島に行き、ぐるぐる回りながら白頭山を経てくると考えてみてください。』
(「環太平洋摂理」より 1992年1月20日)


文教祖の両親の死因は虐殺ではなく病死だった(2)』へ続く



※初回更新日 2012年2月27日 18:09