金の子牛像は偶像ですがプレゼントとしては大歓迎(by文鮮明) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■金の子牛像は偶像崇拝だが、私(文教祖)へのプレゼントには最適

『この前、宗教協議会にいる重鎮たちを中心としてアメリカに行って来たのですが、その人たちが先生にプレゼントをしました。彼らに先生も初めて会ってみました。ところが金の牛を作って、金で雄牛を作ったのですがそのように大きくはありません。大きいものではありませんけれども、金で雄牛を作り、その次には、馬車を作ってそこに荷物を積んだのですが、それが何かといえば、お金の荷物なのです。黄色い雄牛がお金をいっぱい積んで文総裁の所に行くという意味だというのです。それ、考えただけでも統一教会の食口よりどれだけ素敵な発想なのか分かりません。アメリカに行ってきた人たちが額を合わせてどれだけ研究しただろうか。議論百出しながら、「あなたのアイディアが良いし、私のアイディアが良い」とこう言いながら話したのではありませんか? 
そのように宗協でプレゼントしたものはすてきです。皆さんは一度宗協のプレゼントが意味するものを考えてみましたか。皆さんは先生が好きですか、嫌いですか。(好きです)。誕生日の御飯をただでもらって食べて?』

(故郷 1989年2月12日のみ言葉)

モーセはイスラエル民族が金で作った牛が偶像崇拝だと怒り、神から授かった石板を割ってしまうことで摂理が延長したと語っていたにもかかわらず、自分へのプレゼントの金の子牛像は無条件で喜んでいます。

モーセの兄のアロンが金の子牛を偶像として崇拝しているのを目撃したときのモーセの心情を文教祖はこのように語っています。

先生はモーセという人の立場にはいつも同情を禁じ得ないのですが、モーセが四十日四十夜の断食祈祷の末に十戒を受けて、自分の民のところに下りてきた時、彼らは何と金の小牛を造って偶像としてこれを拝し、その周りで騒ぎ戯れていたというのです。「よくもそんなことが……どうしてそんなにも神を裏切ることができるのか……」とそのあまりの心情的蹂躙に対して、憤激のあまりに石板を地にたたきつけて壊してしまったモーセでした。そういうモーセに対して先生が同情せずにいられないのは、それと全く同じような事情と心情を幾度となく味わってきたからです。山に行ったモーセは、民のために神の真理を勝ち得んとして、どんなに苦労したことでしょうか。先生も生来、非常に強烈な火のごとき気性をもっていますから、そのような信じられないような裏切りを受けたりすると、そのあり得べからざる背信に対して、直ちに心情的に切って捨てて、顔を背けたくなってしまいます。それは先生にとって最も厳しい修練の一つでした。』
(創立以前の内的教会史 1977年5月1日 NYベルベディア)

文教祖の語る金の子牛(偶像)の意味するものは・・・・

『サタンは、神様が中心人物を通して役事されることをよく知っているので、神側の中心人物が勝利的に蕩減条件を立てることができないように、妨害する役事をしてきたのです。サタンは復帰の各時代ごとに、最も強い悪霊たちを動員して、悪の役事をしました。サタンは常に侵犯する機会を狙い、その各時代の中心人物が讒訴条件に引っかかれば、責任を果たせないように、背後で執拗に悪の役事を行ってきたのです。このように、各時代ごとの中心人物たちが、神様の御旨どおりに責任を果たすことができなかった、その背後には、サタンと悪霊たちの役事が大きく作用していたのです。
モーセの時にもサタンは、イスラエル民族がモーセと一つになろうとする心をもたせないように役事をしました。特に、出エジプト以後、四十日間の断食祈祷を通して、幕屋のための基台を準備する過程においても、イスラエル民族がエジプトでの生活に対する未練をもって、不平不満を言い出すと、それを条件にしてサタンは、イスラエル民族が金の子牛をつくり、それを自分たちをエジプトから導いてくれた主人として崇めるようにさせたのです。また、モーセが不信するイスラエル民族に向かって血気を起こすと、石板を壊すようにさせ、また、レピデムで磐石を二度打つようにさせて、中心人物としての責任を果たせないようにさせたのです。その背後にも、サタンを中心とした悪の役事がありました。』

(「六千年役事大解怨式」でのみ言葉 2002年4月4日 イーストガーデン)

金の子牛(偶像)は、サタンと悪霊の役事であるとはっきり語っています。
エジプトで奴隷生活した期間が長かったイスラエル民族は、エジプトで崇拝されていた『聖なる牛の神』を身近にみていて、モーセの示す『唯一神』を信仰できなかった経緯があります。

それを文教祖は悪霊(サタン)の役事だとしていました。金の子牛像自体がサタンであるわけです。
そういったサタンである金の子牛像のプレゼントを文教祖は、統一教会と文教祖に献身的に仕える「信者よりましだ」としているのです。
統一信者は金の子牛像自体が偶像だと文教祖から教育されてきたので、偶像のプレゼントなど発想さえしないでしょう。

『ところで、神の国を裏切ったイスラエル民族が、渡り鳥のような身で、乞食の身で生きたことを知っていますか。彼らは、モーセがシナイ山で四十日断食をしているとき、金の子牛をつくり踊りを踊っていました。今の皆さん(統一信者)が、そのようなまねをしているのです。まったく同じです。私にはそれが分かります。しっかりしてください。』
(完全な家庭理想 1994年10月4日 漢南洞公館)

文教祖は統一信者に向かって「金の子牛」を崇拝することが悪であることを強調しています。

しかし統一教会の宗教部門を引き継いだ文教祖の七男(文亨進)は「金の子牛像」顔負けの「金の御父母様像」に21000拝の敬礼を捧げます。
その拝礼の名目は、21000名収容の教会礼拝施設(天福宮)の建設成就です。
その建設成就のために見えない神ではなく、金の御父母様像という見える神である偶像に「願掛け(ご利益)」を祈願します。
もちろん統一教会は、偶像のその背後は「唯一神」であると、弁明するでしょう。




■「金の御父母様像」に捧げられた2009年7月29日から8月7日に行われた文亨進世界会長の21000拝

<文亨進世界会長21000拝の動画>
http://vimeo.com/6705025

金の御父母様像とは、偶像ですか?
もし偶像だとしたら、日本を多神教信仰、偶像崇拝するサタン国家だという理由がなくなってしまうのですが・・・・。

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後ろに見える額縁の中の絵は「21000名収容の天福宮完成予想図」

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