文教祖の写真は魔よけ? | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■文教祖の写真を持ち歩くと事故が起こらない?

『この写真を持って歩くときには事故も起こらないし、何の故障も起こらないのですが、これを置いていくとそのようなことがすぐさま起こりうるのです。そうすることによって、写真がどれほど貴いかということを皆さんが悟るような出来事が頻繁に起こってくるのです。これを愛して枕元に置いて寝れば、夢見が悪くないのです。そういうことが起こりうるというのです。それ、信じられますか?(はい)。ドクター・ジョセフは「神は神秘的な方法で役事される方である!」と、言うけれど、(笑い)そう、先生は神秘的な人なのです。そうなのです。だれも私を理解することはできません。どんなに研究してみても分からないのです。ですから、レバレンド・ムーンは何ですって?(神秘的な人です)。神秘的な人! ですから神様が先生について回るのです。それがまさしく神秘的だということになるのです。

この写真を持っていれば霊界の先祖たちが、たくさん協助することができるからです。今、時は神様が主管できる時代に入ってきたのです。神様が主管できる時代に変わっていく時なのです。分かりましたか?(はい)。

霊界の霊人たちは、皆先生のことを良く知っていますが、この写真を見れば霊界が喜ぶでしょうか、喜ばないでしょうか?(喜びます)。これについて回ります、ついて回るのです。皆さんの先祖たちが、これを媒介体として連結されうるのです。そのような良い材料を知っているというのです。

私たちは先生が霊界との仲介者だということを習いました。

イスラエル民族がエジプトから出てくるとき、扉の横の柱に血を塗って災いを逃れたのと同じで、写真を持っていれば、そのようなことができるかもしれないのです。霊界は先生の写真をいくらポケットにいれておいても、分かるのです。こんなに小さいものを持っていたら、柱に血を塗っておかなかったり、途中で塗るのをやめてしまったのと同じことです。

今日から皆さんは先生の写真を持って歩くのがいいのです。そうすればどんな困難に遭ったとしても、皆さんが無事に耐えられるように保護してあげられるでしょう。旧約時代、モーセがイスラエル民族をエジプトのパロ王から脱出させ、カナンに導くために奇跡を行なったとき、長子が禍を受け病気で死んでしまいましたが、羊の血を門の柱に塗った家は、その禍がすべて避けていったのです。霊界では私たち人間のすべての行動を見ることができるだけでなく、保護してくれることもあるのです。』

(「人の生涯」第四章 模範的生活より 文教祖のみ言葉)



すごいご利益ですね。
ユダヤ教も、清平の按手も色あせるくらいの内容です。

もともと統一教会が、ご利益信仰から出発しているのは御存知のとおりです。

『「祈禱院」が出現した第一期は、1930年代の朝鮮において神秘主義的キリスト教の流れをくむ信仰運動が起こった時期で、後の韓国のキリスト教系新興宗教のルーツにあたる「血分け教」の開祖として知られる、李龍道・黄國柱といった復興師達が現れた時期であった。「祈禱院」の出現がみられた第二期は、1950 年代、朝鮮動乱によって北のキリスト教徒が南へ下り、韓国で北朝鮮起源のキリスト教系新興宗教が群生した時期であった。』
(韓国のペンテコステリズムにおける「祈禱院運動」の展開(キリスト教土着化論の考察)渕上恭子)

韓国のキリスト教では、按手(心霊治療)を祈祷院で行ってきました。

特にキリスト教の異端の神霊集団は「神霊現象」を重要視しました。

統一教会もその流れをくんでいて、ソウルの三角山には沢山の祈祷院があり、統一教会もそこに「祈祷院」を開設していましたが、襲撃で撤収してしまいます。

その後、1970年代に清平の土地を購入して、そこに新たな祈祷院を立てたのです。
さらに日本の宝塚にも「重生祈祷院」を設置していたことは、統一信者には知られていないでしょう。
清平もそういった「按手(心霊治療)」の祈祷院だということです。
(参照:清平祈祷院の前身は「ソウル三角山の重生祈祷院」

1967年8月28日 韓国の重生祈祷院創立
1968年5月11日 宝塚の重生祈祷院開設(館長:久保木修己)


統一教会はきわめてシャーマニズム的な宗教なので、先祖崇拝や祭祀を行う宗教でもあります。
キリスト教では、この先祖崇拝の祭祀は偶像崇拝として、忌み嫌われています。

ですから、キリスト教は統一教会を「先祖崇拝するので偶像崇拝だ」と批判していたのです。

文教祖は、日本の先祖崇拝(供養)は唯一神ではなく偶像崇拝で、シャーマニズムであるから悪(サタン的)で、韓国の先祖崇拝は天が認めたものであると都合のいいことを言っています。

日本の先祖崇拝については・・・・

日本は先祖崇拝をよくしますね。先祖はみな神になっているのですね。その先祖を拝むことによって祝福されるというのですが、絶対なる神はどこに行ったのですか。これでは横的に流れていくのです。』
(み旨のために何を懸けるのか 1990年2月3日のみ言葉)

日本が信じる神においても同じです。東西南北、どこでもすべていいというのです。しかし、そのようにしてはいけません。儒教思想と仏教思想がシャーマニズムの観念と先祖崇拝の観念をもっているのですが、それは、唯一の神を中心とした内容とは何の関係もありません。ですから、根本とは違うのです。
(「神様の摂理と日本」より 1992年12月17日のみ言葉)


韓国の先祖崇拝については・・・・

『皆さんが今や、み言を訓読しながら、その内容を話せばすべて終わるのです。今まで先生が蕩減して成し遂げて、越えて立ったので、それを今後は戦勝記として……皆さんの家庭の家宝を中心として、数干代、数万代、守っていけば、そのまま天の民になるのです。その世界は誰かを信仰するのではなく、先祖崇拝時代です。先祖崇拝、先祖が神様ではないですか? 絶対崇拝時代に入っていくのです。』
(「総天宙祝福解放日」宣布 1999年10月23日 イーストガーデン)

統一教会は、先祖に侍ることを許すのです。統一教会は、これからその伝統を受け継いでいかなければなりません。これがこれから真の父母を中心とした反対の立場に立つのです。この世の国、この世の伝統ではありません。天の父母、天の国、天の先祖に侍るにおいて、その代を継ぎ、主流思想的、伝統的に、血族たちに千年、万年侍ることのできる王土になります。王に侍ることができ、永遠の太平のみ代を謳うことのできる国になるのです。その国で生きて過ぎ去っていってこそ皆さんの母親、父親、一家、一族が天国に直行するのです。』
(「礼節と儀式」より 1991年10月19日のみ言葉)

『 君達はこれからサタン世界において迫害がありません。防ぐ必要がありません。私達を歓迎することのできる段階が来たのです。しかし、問題は、選民圏と血統を尊重しなければならないということです。選民圏は長子権です。韓国は長子の国です。故に、族譜を愛する民族となり、血統を見分けて、先祖を崇拝したのです。これから先祖の祭祀は悪いことではありません。神の国の新しい先祖達を、儒教がした以上に、父母として尊敬する時代が来るのです。王権を中心として、国家の主権として、世の中で今までの、どの国の主権より恐ろしい時代が来るのです。』
(真の父母様ご聖誕日の御言 1992年2月9日 漢南洞公館)


結局、日本の先祖崇拝は悪だが、韓国の先祖崇拝は善だといいたいだけなのでは?
文教祖は、日本は「八百万神」で多神教であり先祖崇拝(供養)するので、キリスト教の唯一神のように神側ではなく、サタンの宗教だと今まで散々非難してきました。

しかしいざ韓国のことになると・・・・

キリスト教の思想は、どろぼうの思想です。自分ひとりだけで天国に行こうというのですから、父母はすべてごみ箱にほうり込んだということです。先祖もすべてほうり込みました。キリスト教では、先祖祭祀のようなことを行っても、「ああ、祭祀は偶像崇拝だ。」と言っているのです。それは、滅びます。滅びるのです。わたしは、幼いときから、十代のころから教会に行きながら、霊的な世界のそのようなことをすでに知っていました。
 「お父さん、お母さん、祭祀に行きましょう。」と言うと、「ああ、教会に通っていながら……。」と言います。教会がそれをやめなさいという道理はないではないですか。今まで神様は、死んだ神様同様に生きてきたのに、その神様のために生きた先祖たちを尊敬するのを、なぜやめるのですか? 滅びるようになっています。滅びるというのです。
 わたしに対して異端と言うでしょう? 「統一教会は、悪魔よりもっとひどく、あらゆるあやしげな、がらくたをすべて認め、それを集めて王国を成そうというのだから、それは、神の国の王国ではない。」と言っているのです。』

(第四十一回「真の神の日」記念礼拝の御言 2008年1月1日 韓国・天正宮博物館)

唯一神でなく先祖崇拝をしているので「日本はサタン国」という理由だったはずです。
この理屈(原理)から行くと、韓国も「サタン国」です。

まったく文教祖の言っていることは、単に韓国びいきで一貫性はないようです。


↓これって偶像崇拝?
金の子牛像ではなく、金の御父母様像
$ちゃぬの裏韓国日記
$ちゃぬの裏韓国日記