神道論争は大いに統一教会と関係がある | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■なぜ神道論争は統一教会と関係ないといえるのか疑問

統一教会の現役信者の方が統一教会カテゴリーについてこのように述べています。

『また、カテゴリとは関係のなさそうな「嫌韓流」や「神道」論争の記事が目につき始めています。 』
http://blogs.yahoo.co.jp/naigaiten_ichikoku/35888143.html


文鮮明教祖が日本をサタン国とした理由の一つが「神道=神社参拝=多神教=雑神教=女神崇拝」というものでした。

欧米のキリスト教は唯一神であるのに対して、日本の神道は多神教であるためサタン国であると位置づけているのです。

統一教会の神はキリスト教の唯一神と同様のものであるとしている一方、万有原力(いかなるものも神が宿っている(神の志向性がある))を内包していると説いています。

統一教会の創造原理では神道と同じ「あらゆる物や各個人の心の中に神がいる」としているにも関わらず、外にいる唯一神のみを拝せよ、信ぜよというのは明らかにキリスト教的に言うと矛盾しているのです。

キリスト教における神観はあくまで「外」にいるのであって、各個人の「内」にいるのではないからです。

まして物質の中に「神」がいるはずもないのです。単なる「物」は神の創造物であって、神そのものあるいは神の分身にはなり得ないのです。

そういう矛盾を内包しながら原理(文教祖の思想)は成り立っているわけです。
原理では「多神(万有原力)」を認め、摂理的にユダヤ教、キリスト教の功績を受け継ぐ宗教として統一教会は「唯一神」であるといっているわけです。

この矛盾をなおざりにしたまま全てを鵜呑みにし、ただ教会の指示に従うことが統一教会での優秀な信仰者だとし教義の矛盾を明らかにしようと議論も展開できないのだとすると、統一教会はかなり「閉鎖的」な思想を持った団体といえるでしょう。

それにキリスト教は唯一神であると同時に唯一拝神の傾向があります。つまりキリスト教以外の神以外は拝んではいけないということです。ほかの宗教の神に拝するとすればそれは「邪神」を拝することになるのです。

文教祖は神道における女神の天照大神(アマテラスオオミカミ)という神は明らかに「邪神」であり、それを祭って神社参拝する日本はサタン国であるという位置づけになるのです。

文教祖はアッラーもヤハウェも同じ神だからどの神を信じてもよいといっていますが、日本に限ってはそうではないようです。あくまで日本の神は邪神でありサタンとしたいようです。

万有の創造主であられる神様は、全人類の真の父母です。ある特定の宗教や人種、あるいは特定の地域の人々だけのためにいらっしゃる、そのような制限された概念の父母ではありません。その名称を「ヤハウェ」と言ってもよく、「アッラー」、あるいは何かほかの名前でもよいのです。重要なことは、神様は確実に存在され、万人の真の父母として、今も生きて創造のみ業を継続していらっしゃるという事実です。ご自身が太初に立てられた天理原則に従って宇宙万象を経綸され、歴史を摂理しておられるのです。』
(第5回蒙古斑同族世界平和連合世界総会歓迎午餐会での講演文 2006年10月14日)


ほかの神はよくても日本の神だけはボロクソです。

『日本には主人がいません。天皇が日本の主人ではありません。天照大神という女性神を崇拝し、八百万の神を崇拝する雑神教です。唯一神教ではありません。雑多な神を好むのです。そのような意味で価値がありません。そのような日本が発展することができたのは、西洋文明を盗んできたからです。西洋文明をそっくりそのまま盗んできました。自分でつくったものは一つもないのです。』
(「神様の摂理と日本」より)


このような原理の矛盾の議論もできないことが「統一教会カテゴリの浄化」と言うことのようです。

文教祖はあくまでキリスト教は神側、日本の神道はサタン側である一方、表向きは唯一神、創造原理の教義では多神という矛盾構造にもかかわらずです。

こういう矛盾を放置するのは信者に見せたくない・気づかれたくないからなのではないでしょうか。