日本の高校「韓国に謝罪修学旅行」にみる統一教会との関係 | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

1999年広島県立世羅高校が韓国に修学旅行に行った際に「土下座で謝罪」させられたのは、ネットの間でもかなり話題になりました。

学生が韓国に修学旅行に行く直前の1999年2月28日、広島県立世羅高校の校長が自殺しています。自殺の動機については明らかにされていませんが、卒業式の国旗掲揚、国歌の斉唱の問題で悩んでいて、それが原因であろうと報道されています。
 校長の自殺を報じる3月1日の朝日新聞を見ると、「卒業式をめぐってこんなにもめるなら、卒業式はない方がいい」とか、「卒業式は生徒のもの」と言う生徒の意見や、「国旗掲揚、国歌斉唱よりも人の命の方が大切。校長の裁量に委ねていれば、こんな事にならなかったはずです」と言う保護者の主婦(44才)の意見が報じられています。

広島は教育委員会、部落解放同盟の活動が全国でも飛びぬけて活発なところで世羅高校に限らず他校でもひどいという内容もネットで見ることができます。


さて文鮮明教組が、1970年に「日本の高校生を韓国修学旅行に誘致」するよう勝共思想(政治的プロパガンダ)の観点から指示している内容がありました。日本人に自虐史を植え付ける「土下座で謝罪旅行」の背景が見えてくるかもしれません。


■世羅高校が韓国修学旅行時「土下座で謝罪」の状況

【産経】1999年3月6日<韓国紙報道 ソウル記念公園に生徒200人>
『卒業式の「日の丸・君が代」問題を苦に校長が自殺した広島県立世羅高校が毎年、生徒を修学旅行で韓国に送り、ソウル市内にある独立運動記念公園で謝罪文を朗読するなど“謝罪行事”をしていたことが明らかになった。五日付の韓国日報が社会面トップ記事で伝えたもので、記事には、生徒たちが市民の前でひざを折り、頭を垂れている写真が添えられ、案内を担当した年配の韓国人通訳の「生徒たちのまじめな表情に感動した」という感想も紹介されている。』
(ソウル5日=黒田勝弘)
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上記のように、日本人の高校生に強制的に「土下座で謝罪」させています。



■文教祖「日本の高校生を連れてきて韓国で反共思想を教育しろ!」

1970年「祝福と民族復帰」という題目で説教しています。

『今我々は日本を中心にして、韓国の歴史を背負っています。今日本は北海道から九州まで、我々の組織が連結されています。日本の食口たちは命令さえあれば、どんな事でもやるという精神を持っていますから、日本全域の組織を利用して、日本の高校生たちの卒業記念修学旅行を韓国に行くようにするのです。日本の文部大臣を通して、そのような準備をしているのです。日本の全高校生が、韓国に修学旅行に来なさいというのです。
 そのようにするために今、一日修練大会をやるのです。有志たちを呼んですべて先鋒長に立てる計画をしています。この計画が実現すれば、韓国に事務室を設け、一度に二百人づつ、いくつかのコ-スを準備しているのです。彼らが韓国に入る時には、全部ドルを持って来るのです。そうでしょう? 物ばかり輸出して、ドルを稼ぐのではありません。こんな作戦で一度に二〇〇人づつ来ても、膨大な資金が入るのです。そうでしょう?
 東側コ-ス、西側コ-ス等、八方にコ-スをつくれば、一度に何千人も連れてくることができます。このようにして観光会社をつくるのです。それでは彼らをどうするのでしょう? 彼らは高校生ですから、勝共連合が背後について教育させるのです。観光は「世一観光」を通して観光させるのです。「世一観光」とは、「世界で一番の観光会社」という意味であり、また「世界を統一するための観光会社」という意味です。こんな意味で世一観光会社をつくったのです。
 このようにして日本の若い学生たちを連れて来て、どうするのでしょうか? これから彼らを、新しく教育させなければなりません。日本は今、共産主義の魔手に襲われる危機に直面しているのです。そんな現象にある日本を、どう救援するのか? 高校生を連れて来て、教育させることです。
 彼らが韓国を訪れれば、韓国の固有文化を紹介するのです。それで我々が連れてまわって、観光をさせるのです。そしてソウルに、大きな劇場を造ろうとしています。千人程度が入って観覧できる劇場を造り、ここに彼らを連れて来て、韓国文化を紹介するのです。 我々韓国がどんな国であり、韓国の文化がどうであるかを紹介するのです。そして仏教を初めとする日本の文化は、韓国を通して伝えられた事実、結局日本文化の祖先の国家が韓国であることを、紹介するのです。その次には生活風習を紹介し、今世界的に共産圏内に包囲されている韓国の、危機迫る状況を説明し、これから韓国にとって最も重要な問題が反共問題であること、そのために勝共連合が組織されたことを紹介するのです。
 このようにして、彼らが韓国に来たことを記念する物を一つづつ持たせてやるとか、でなければ自慢できるものを残させるのです。ではどんなものを残してゆくでしょうか? 親善使節のような立場ですから、高校生としてこの国に刺激を与えてゆくのです。刺激を与えるにも、この国が最も必要としていることは反共運動ですから、そんな刺激を与えるのです。それで反共のビラを作って、全部韓国をひとまわりして蒔いてゆくのです。このように各地域をまわって、反共ビラを蒔くのです。
 このように韓国で反共ビラを蒔いて日本に帰れば、どんなことが起こるでしょうか? 日本に帰って「今回、高校生たちが韓国に行って、反共ビラを蒔いて、反共運動をした」ところでその学生たちの父母の中に、共産党もいるのです。ではその父母たちが、子供に「アイゴー、この子よ、おまえを学校にやって韓国に行かせて、反共のビラを蒔いた!」と叱ることでしょう。ではその子は「私は気分がいいのですが、パパ、ママはどうしてそうですか」となるのです。こんな問題が起こってくるのです。このように日本を共産圏内から救済するための、教育をさせるのです。
 それで我々が生きる道をつくらないでしょうか?「ハイ」もしも北傀が南侵してきて、状況が急になったら、どこに行くことでしょうか? 釜山からどこに行くのでしょう? 太平洋に入るのです。その時、日本船舶振興会の総裁に「何万トンの船を用意して」と言えば来るのです。その時は統一教会の群れだけが・・・。(笑い)これを考えなかったらバカです。で先生は、すべての事を準備しているのです。こんな話をする必要もないのですが・・・。
 このようにやれば我々の側も生き、金もできるのです。六月には光州を中心に、日本の学生、五〇〇名を連れて見物させるのです。彼らが一五万ウオンだけ使っても、約七千五百万ウオンになるのです。ドルに換算すれば三〇万ドルになるでしょう? このように韓国に入る金が、莫大なのです。』
(祝福と民族復帰 1970年2月11日 前本部教会)


この計画の第一目的は、修学旅行によって得る莫大な外貨の収入がでしょうが、それと同じ位に朴正煕大統領に取り入り、協力関係を維持するため「反共」を推進することももう一つの目的だったと思われます。



■韓国に修学旅行に行っている歴史は30年以上と以外と長い

◆「30年連続で韓国に修学旅行」日本智辯学院の藤田照理事長
「40年近く韓国を支配した日本の過去の過ちを生徒たちに見せ、謝罪するために来ました」
 21日午後、ソウル・景福宮(キョンボックン)の民俗博物館入り口。制服を着た約650人余の日本人高校生が博物館に入るために並んでいた。蒸し暑い気候の中、多少疲れた表情を見せている高校生らの前で、スポーツ刈りスタイルの白髪の男性が説明をしていた。
 この男性の名前は藤田照(73)さん。ここを訪れた高校生たちが通う日本智辯学院の理事長をしている藤田さんは、韓国を訪問した理由についてこのように説明した。
 藤田さんは「修学旅行がてら、75年から現在まで30年間毎年韓国を訪問しています」とし、「私と一緒に韓国に来た生徒たちが今では1万5000人以上になります」と話した。
 藤田さんが最初に生徒たちと訪韓した目的は日本の文化の源流を探すためだった。藤田さんは「智辯学院のある奈良地方の古代文化とされている大和文化は韓国から始まった」とし、「子どもたちにこのような事実を教え、大和文化の根を探すために韓国を訪問し始めた」と話した。
 文化的な理由から始まった韓国行きに“謝罪”の意が加わったのは約10年前。訪問を繰り返しているうちに知り合いになった韓国人たちから、1910年から36年間、日本の植民地統治のもとで韓国人が受けた苦痛がどのようなものだったかを生々しく聞かされたからだ。
 藤田さんは植民地支配を受けた韓国人たちの話をひとつひとつ聞きながら、日本の幼い生徒たちにもこのような教育が必要だと感じた。一時、生徒と教職員の間から修学旅行地を変えようという意見も挙がったが、藤田さんは更に韓国行きを固執した。
 この30年間の韓国の変化を実感するのは何かという質問に、藤田さんは「麦飯」だと答えた。
 藤田さんは「1975年頃までは韓国のどの食堂に行ってもご飯に麦飯が交ざっていたため、生徒たちに大変不評だった。しかし今では麦飯など見つけることも難しくなった」と話した。また、「90年前後は4月に韓国に行くと催涙弾ガスで目を開けることもできなかった」とし、「まるで60年代の日本の大学を見ているようで、生徒たちにもうひとつの教育の場となった」と回想した。
 今月19日、釜山(プサン)経由で訪韓した藤田さんは、生徒たちと慶州(キョンジュ)、非武装地帯などをまわった後、22日に観光公社から「韓国修学旅行30周年」を記念する感謝牌を贈呈されることになっている。
ハン・ジェヒョン記者 rookie@chosun.com
<韓国朝鮮日報 日本語版>
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/04/21/20040421000068.html



◆30年間続いた日本九州高校の「韓国修学旅行」
「斧蛮行事件もコレラも戒厳令も、韓国への道を止めることはできませんでした」
 15日午前11時、ソウル・上岩(サンアム)洞のワールドカップ競技場。日本・福岡市の九州産業大学付属高校の教師と生徒695人が17台のバスに乗って、競技場の正門に到着した。14日午後、仁川(インチョン)国際空港から入国した695人は、この日「30回目」の韓国修学旅行の2日目を迎えた。
 佐藤俊郎(44/英語)教師は「ほとんどの生徒がこの競技場を覆った“レッドデビル”の姿をテレビで見た」とし、ワールドカップ競技場を日程に入れた理由を説明した。
 九州高校の韓国修学旅行が始まったのは73年5月。76年板門店(パンムンジョム)で起きた斧蛮行事件(共同警備区域内で木の枝を切り落とす作業を監督していた米軍将校2人が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍人に斧で殺害された事件)、79年の朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領暗殺事件と戒厳令、相次ぐクーデター、コレラが流行した85年、6月抗争のあった87年…。
 韓国が数多くの現代史の波を越える度、九州高校の修学旅行は幾度も中断の危機を迎えた。しかし今年3月に他界した松本俊二(56)前校長のお陰で、伝統は途切れることなく受け継がれた。
 故松本校長は76年に生徒指導部長だった時代から、韓国が困難にぶつかる度に直接訪問し、事前踏査した後、「安全には何の問題もない」とし、生徒や教師を安心させたという。30年間、この学校の修学旅行を斡旋してきた 徐世鎭(チョ・セジン/70/旅行社元幹部)さんは「松本校長は韓国のことわざがとても好きだった」と話す。
 笑えないエピソードも数多い。70年代は洗面所の水が出ないユースホステルやガスを使えない食堂も多かった。そんな時は生徒全員が顔も洗えず、団体で食事を抜かなければならなかった。83年にはセマウル列車を貸し切り、慶州(キョンジュ)からソウルに向かう最中、変質した弁当を食べて生徒40人が入院したこともある。
 25年前、物理の教師として初めて韓国への修学旅行に参加した諸藤定良(52)校長は「昔は1つのベッドに2人を寝かせるホテルもあったが、88オリンピックの後からはそんなことはほとんどなくなった」と話した。
 韓国への修学旅行はもはや九州高校の伝統となった。卒業生の挨拶の言葉にも、修学旅行での経験談が度々登場するという。
 今年で21回目に修学旅行に同行するという州崎孝幸(45/国語)教師は、「W杯の際は生徒たちがテレビで韓国の街頭応援を見ながら、『私たちがバスで通った場所』と言いながら喜んだ」とした。
 九州高校の生徒たちは龍仁(ヨンイン)の民俗村とソウル市内観光、ソウル世宗(セジョン)高校生徒たちとの「文化交流会」行事、水原(スウォン)・華城(ファソン)訪問などのスケジュールを終え、今月18日、日本に帰る予定だ。
 世宗高校の尹相京(ユン・サンギョン/60)教頭は「初めて会った席で、生徒たちはすぐに友たちになった。それを見ると、両国の間に超えられない壁などないと思えた」と話した。
李泰勳(イ・テフン)記者
<韓国 朝鮮日報 日本語版> 2002/11/15 19:10
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/11/15/20021115000040.html



◆「31年間韓国修学旅行」日本高校理事長に勲章
「北朝鮮の斧蛮行事件(ポプラ事件)、戒厳令、新型肺炎(SARS/重症急性呼吸器症候群)など、さまざまな出来事がありましたが、“韓国学び”は止りませんでした。両国の若者たちが過去の感情に捕われるべきではないと考えたんです」
 過去31年間、毎年韓国に修学旅行に来ている日本福岡市九州産業大付属高校の中村雅登(72)理事長は、26日に行なわれた「第30回観光の日」記念式で、韓国観光の発展に貢献した功労により、「銅塔(ドンタプ)産業勲章」を受章した。
 1973年5月に韓国修学旅行を開始した九州高校は、アジア地域にSARSが猛威を振るった今年3月にも、教師や生徒など400人余が韓国を訪れた。過去31年間、同学校の修学旅行のプログラムを通じて韓国を訪問した人数は、延べ1万7000人余に達する。
 1976年のポプラ事件、1979年の朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の暗殺事件と戒厳令、コレラが蔓延していた1985年、「6月抗争」が起きた1987年などなど。
 同校は幾度も修学旅行の中断危機に直面したが、韓国現代史の波を直接目撃しながら韓国への理解を深めた
。また姉妹校のソウル・世宗(セジョン)高校生徒との文化交流を通じて、両国の青少年交流にも寄与した。 同日の記念式には中村理事長の他にも、30年間韓国修学旅行を実施した向上高校の清水秀樹(59)理事長が同じく功労を称えられ産業褒章を受章した。
金承範(キム・スンボム)記者
<韓国 朝鮮日報 日本語版>2003/09/26 18:32
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/09/26/20030926000053.html




戦後、アメリカや韓国と統一教会による日本弱体化は、計画的に進められて来ました。

東京は焼け野原に、広島、長崎には原爆を落とされましたが、日本人の精神は死ななかったので、まるでライオンの牙を抜くように、日教組を通して自虐史観教育(大東亜戦争の否定)をはじめます。
統一信者も相当虐げられてきましたが、同じように日本人も彼らによって、知らないうちに「日本の真の力」が出ないように、加害者意識、自虐史を植え付けられてきました。

彼らは一体、日本人の何を恐れているのでしょうか?

聖書の中に登場する「眠れる獅子」はやはり日本人なのかもしれません。