文教祖が恩進・顕進に贈った馬の値段 | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■文鮮明教祖が恩進・顕進に贈った馬の値段

1988年ソウルオリンピックの乗馬競技に三女の文恩進さんと三男の文顕進氏が参加したのは、信仰歴が10年以上の方なら、大体ご存知のことでしょう。
文恩進さんは離婚し乗馬のコーチと再婚されています。

では、乗馬についての文教祖のみ言葉です。

『その次に乗馬です。今恩進(様)と顕進(様)が馬に乗っています。乗馬はブルジョア世界の子女たちが好むものなのです。この二つを主管できれば、すべての人々を復帰することができるのです。しかし、それも世界的でなければなりません。馬場も世界一でなければなりません。ですから、私たちの学校も世界一なのです。一度でも自分の目で見た人たちはみな感動するのです。私は嫌だと言う人はいません。ソ連の人だからといって、他に何か別な方法があるというのでしょうか。この世の中の人たちはみな同じなのです。』
(第三回「世界統一国開天日」1990年10月3日)


ここで、文教祖は乗馬はブルジョア(上流階級)がするものとはっきり言っています。つまり、乗馬をするには、お金がかかるということ、庶民のできるスポーツではないということです。
それを裏づけるみ言葉です。

『将来は、レジャー産業が発展するはずです。なぜなら、人々が都市生活をするためにストレスが多くたまるので、それを解消するには刺激的な運動が必要だからです。何によってストレスを解くのですか。私は、3種類あると思います。一つはハンティング、一つは乗馬、そして釣りです。ハンティングや乗馬をするには、多くの制約があります。乗馬は、特定の階層の人だけができます。たくさんのお金がかかるからです。それゆえに、誰でもできるわけではありません。またハンティングも、40歳前後の人ができるのであって、50歳を超えては難しくてできません。ですから、これも特定の階層の人だけです。しかし釣りは、少年時代から老いて死ぬ時まで、することができます。それゆえに、今後、釣り事業は世界的なものになるはずです。』
(1990年11月1日のみ言葉)


この文教祖が「たくさんお金がかかる」とはどのくらいの金額でしょうか?
「yahoo知恵袋」からの抜粋です。

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質問:オリンピック競技乗馬の馬はどこの馬ですか?(2008/8/14)

回答:まず、馬術競技に使われる馬の種類としては、セルフランセ、アングロアラブ、サラブレッドなどがあるようです。
日本では、競走馬としては廃馬になったサラブレッドなどを乗馬用に回すこともあるようですが、世界の馬術競技の場に立とうとすれば、やはり、馬術用の、優れた血統の馬を使うようです。
馬術用の馬の中でも、優秀な馬しか「セルフランセ」として登録できず億単位の値段がつくことがざらなセルフランセが、一番優れているような気がします。
(セルフランセ ⇒ アングロアラブやアングロノルマンなどを元にフランスで作られた品種だそうです)
今回のオリンピック日本代表の法華津 寛選手は、ドイツを練習の本拠地としていますが、今乗っている馬もドイツで購入し、億は軽く超えたようです。これからしても、法華津選手の馬もやはりセルフランセではないでしょうか。
いいかげんな推測ですが、セルフランセが作られたフランスや、ドイツに、馬術用の優秀な馬が多いような気がします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418413964
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乗馬で、しかも大会に出るような馬ならばほとんど「億単位」であるようです。

息子・娘に才能があれば、親としてはその才能をできるだけ伸ばしてやりたいというのが、一般的見識でしょう。しかし、経済的事情で断念せざるを得ないのも現状です。

文教祖の親心は理解できますが「億単位」の馬の、お金の出所が一体どこだったかというのが問題なのです。教会信者の献金からだったとしたらどうでしょうか?

信者はさまざまな「摂理」と称して、高額の献金を要求されて来ました。
しかし、「恩進様と顕進様に馬を送る摂理」があったとは聞いたことがありません。
信者は、文教祖がメシアであるため、献金の使途に関しては「一任」してはいます。しかしそれは「聞いてはいけない。知ってはいけない」と教会と信者が暗黙の了解のような関係になっているからです。

もちろん信者には「会計報告」などはありません。信者はずっと「祭物(供え物=生贄)」だったわけですから。「祭物(供え物=生贄)」には口は無いのです。最近の七男の亨進氏の説教内容は「信者は奴隷」ですが、むしろ「祭物(供え物=生贄)」より「奴隷」のほうがましに見えるくらいです(笑)
奴隷は生きていますが、「祭物(いけにえ)」は死んでいるのですから。


文教祖の「祭物」の内容のみ言葉をみてみましょう。

(祝福)家庭はただ、来られる主の家庭と生命と財産を保護するためにあるのです。彼らの生命と財産そのすべてのものは、主の家庭と主の生命が発展するためにあるのです。発展するためにはどうしなければならないでしょうか。このような者たちを肥料として吸収しなければならないのです。発展の原則がそうです。発展しようとすれば、必ずほかの分野から補給してやらなければなりません。補給してやらなくては、発展していくことができないのです。そうではないですか。補給を受けなくては、発展することができないというのです。』
(「祝福家庭と理想天国」第三節 祝福家庭の価値と使命)


「祝福家庭は文教祖家庭に貢ぐために存在」しているということです。多分、これが文教祖の本音なのでしょうが、「真の愛」「先生がどれだけ愛したかわかりません」というような言葉に隠されてしまって、「裏の顔」はなかなか見せないので、信者は分かりにくいのです。

「牧会者の道」という本に「祭物(供え物=生贄)」としての心構えのみ言葉が載っています。

『祭司長は何ですか? (祭物です)。祭物は何かといえば、犠牲を伴うものです。犠牲にならなければなりません。ですから、何を与えることができますか? 血を売って食べて生活するのだというのです。何のことか分かりますか? 祭物は、所有権がないのです。祭物に所有権がありますか? 「私は、なにがしの息子です。私は、なにがし家の主人の伜です」と言いますか? 祭物は共同所有です。所有権のない者なのです。所有観念がありません。ひたすらに、主人がしようというままに従っていかなければなりません。自分という所有観念がないのです。
 その次に、存在意識をもってはいけません。「私がこのように生きるのは、気分が悪いのに……」と言いながら、自分を主張したり、存在意識をもったりすれば、天の反逆者になるのです。私は生きているが、死んだのと同じだと思わなければならないのです。イサクが、み旨を成したのは、所有観念がなかったからです。「私は、あなたの息子ではないですか」と思ったなら、「父親が殺す道理がどこにありますか」と、反抗したでしょう。そうしていたなら、み旨を成すことができないのです。しかし、イサクが立派だったのは、黙して語らなかったことです。不平を一言も言わず、ただひたすらに死んでいったのです。ここで神様が彼を捕らえてくださったのです。』

(「牧会者の道」祭司長の祭物精神)

皆さんが月給をもらうようになるならば、まず先生に月給を与えてから、もらわなければなりません。そうですか、違いますか? (そうです)。原則がそうだというのです。ところで、皆さんがいつ先生に月給を持ってきてくれましたか? 皆さんが十一条をささげなければならないのです。それを皆さん、知らなければなりません。』
(「牧会者の道」祭司長の祭物精神)


『ですから、祭司長の責任は祭物になることですが、祭物になった者は、存在意識と所有観念をもってはいけません。お金が少し入れば、「このお金で私に必要なものを買わなければならない。私に鏡がないので、良い鏡を一つ買わなければならない。ブラウスが着たい。ワンピースが着たい。あのツーピースを一度買って着てみたならいいだろうに」という、こんなくだらない考えをしている婦人たちはみんな反省しなければなりません。』
(「牧会者の道」祭司長の祭物精神)



文教祖のお金の使い方については

『私は数億のお金を持っていますが、そのお金を私のサイフに入れようと考えたことはありません。私はある時はそのようにお金のことを口癖のように言いますが、それは私のために使おうとするのではないというのです。私たちや祖先たちが精誠を集めて残した土台の上に、後代に残すもののために……。先生が生きている間にしたことは、歴史的遺物になるのではありませんか。ですからお金があれば何を残すでしょうか? 後代のためのものを残してあげなければならないのです。君たちを苦労させることは、後代のためにさせるのです。皆さんはこれから何か残していかなければなりません。けれども皆さんができないので、私が代表的にするというのです。私のサイフにはお金はありませんが、一日に何百万、何千万ウォンも使っています。そのようなことをしているのです。それは何のためですか? 皆さんのためにするのです。未来のためにするのです。』
(「牧会者の道」牧会者の公的生活)


文教祖のいう公的に使うこととは「娘に億単位の馬を買うため」や、「自家用ヘリ」「自家用飛行機」「自家用クルーザー」を買うために使用するということも含まれているようです・・・・。


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■乗馬についての資料

セルフランセ(Selle Francais)は馬の品種の一つ。中間種に分類され、乗馬、馬術競技馬として優れた性質を持っている。
セルフランセは耐久力に優れ性質は温厚で素直。アングロアラブや軍用として価値を失ったアングロノルマン等を元にしてフランスで作られた。その他にサラブレッドやスタンダードブレッド等雑多な血が含まれている。成立したのが比較的最近の上、アングロノルマンや血統の怪しいアングロアラブをそのままセルフランセとして分類したため純系化が進んでおらず、体型などの性質は個体によってばらつきが大きい。ただ優秀な馬しかセルフランセとして登録できないため能力は高い。乗馬用として好んで使用され億単位の値が付くこともある。アテネオリンピック障害飛越競技で金メダルを獲得したブラジルのバロベットドロエト(en:Baloubet du Rouet)等有名な競技馬も多くいる。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BB

サラブレット国別生産頭数(2006年)
アメリカ 34200頭
オーストラリア 17854頭
アイルランド 12004頭
日本 7632頭
アルゼンチン 7269頭
イギリス 5486頭
フランス 5369頭
ニュージーランド 4522頭
ブラジル 3079頭
南アフリカ 2839頭
カナダ 2759頭
イタリア 2259頭
チリ 1824頭
ウルグアイ 1712頭
トルコ 1570頭
インド 1517頭
ドイツ 1185頭
ベネズエラ(2005年) 1132頭
韓国 1028頭
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89
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■その他文教祖の乗馬についてのみ言葉

『一九八八年、韓国でオリンピックが開催されます。恩進と顕進がこの大会の乗馬競技に参加することになっています。この世界的な競技大会に参加するためには、選手は少なくとも七年ないし十年間、訓練を受けなければなりません。しかし顕進は、わずか三年間の訓練で、この行事に参加する資格を獲得しました。
 去年の夏には、顕進がフロリダ州で開かれた世界ジュニア乗馬競技でアジア圏のたった一人の代表として参加しました。この競技には英国のチャールズ皇太子も参加したことがあります。顕進は四千人余りの選手を退け、堂々と一位になりました。それで私は顕進がこの分野に特別な才能を持っていると信じるようになりました。
 顕進のあだ名はランボー(Rambo)で、彼の馬の名前は皇帝(Emperor)です。今度のオリンピック大会で顕進がよい成果を上げることができるように祈祷してくださることをお願いいたします。』
(韓鶴子女史御言選集「愛の世界」より1986年5月11日 東京教会)


『昨年の夏、顯進が、フロリダ州で開かれた世界ジュニア乗馬競技に、アジア圏のただ一人の代表として参加しました。この競技には、イギリスのチャールズ皇太子も参加したことがあります。顯進は、四千人以上の選手たちを退け、堂々と一位になりました。それで私は、顯進がこの分野に特別な才能をもって生まれたと信じるようになりました。
 顯進のニックネームはランボー(Rambo)ですが、彼の馬の名前は皇帝(Emperor)だそうです。顯進は、この八月にもまた別の競技に参加します。私は、皆さんに、今度のオリンピック競技で顯進が良い成果を得ることができるように祈祷してくださることをお願いしたいと思います。』
(真の御父母様の生涯路程 10)


『私は最近韓国に帰りましたが、そこで、皆様もご存じのように、我が国が第二十四回オリンピック大会を主催しました。韓国人として私は、オリンピックが初めて我が国で開かれたことを誇らしく思います。これはかつて聞かれた中で最大のオリンピックでありました。私が二重に誇らしく思いましたのは、娘の恩進と息子の顯進が韓国乗馬チームの一員としてオリンピックで競技したからです。
 韓国がオリンピックに乗馬チームを出したのは今回が初めてのことでした。彼らは何もメダルを獲得しませんでした。しかし、彼らが国を代表するのを見ることは大きな光栄であり、大きな喜びでありました。しかし、私の家族のため以上に、私の国のため以上に、私は世界の平和と調和を高揚する祭典としてのオリンピックを誇らしく思い、またそれに感銘を受けました。ご存じのように、韓国は分断国家であり、今なお共産主義の北韓と南の自由民主主義国家との分断でうずいております。したがって、韓国で東西南北の百六十ヵ国からの運動選手が、オープンで、友好的な競技会で全員一緒になることができたということは、特に意義深いことでありました。』
(第十七回「科学の統一に関する国際会議」でのメッセージ「世界文化大祝典」開催の意義 1988年11月25日 米国・ロサンゼルス)


<第十回「アジア競技大会」(一九八六・九・二〇~一〇・五、恩進様乗馬競技で銅メダルを獲得)>
『今回のアジア競技大会の時にも、私は「時間があれば、すべての時間を投入して朝からそれを見てあげよう。そうすれば、韓国はびりにはならないはずだ」と、テレビの前に座っていました。(拍手)不思議なのは、私が見てあげる時はひやひやしながらもなんとか勝つのですが、私が見てあげない時はめちゃくちゃに負けるのです。(笑い)それは笑い話ではありません。うそではありません。
 ですから、貴いお客様が自分の家に来ることを願うのではないですか。貴いお客様が自分の国に来ることを願うのです。なぜでしょうか。その運勢に乗るからです。「我が町に立派な人が来てくれれば」と願うのです。なぜでしょうか。来れば、何かがもたらされるのです。同じ道理です。
 あー、ここが郷土ということで、故郷の地ということで、今回も私が来たのでしょう。それで、来てから二週間ずっとテレビの前に陣取り、大韓民国の大統領よりももっと熱心にアジア競技大会を応援したのです。二週間の間ずっとテレビの前に座って「頑張れ、中共も日本もやっつけろ」と応援したので、このようになったのです。(拍手)
 今回、恩進が乗馬競技をしたのですが、その条件でも払わなければならないでしょう。あの馬があれほどよく駆けていたのに、そこに行ってからどうして駄目になったのでしょうか。(笑い)しかし、アジアの国に祭物をあげなければならないのではありませんか。それで、私は恩進に「良くやった」と言ったのです。そのようになってこそ大韓民国が良くなるのです。私の娘がうまくいかなかったとしても大韓民国は良くならなければならないと考えるのです。この世であれば家族に不幸があったかのように泣いたりわめいたりして大騒ぎするところですが、「涙を流してはいけない、この娘よ」と言うのです。この世とどれほど違うでしょうか。一八〇度違うのです。』
(真の御父母様の生涯路程 8)


<朴珍憲様-文恩進様聖婚式(一九八六・四・一一、ダンベリー勝利帰国百二十日目、リトル・エンジェルス芸術会館)>
『先生の息子、娘を中心として家庭を設定し、今から祝福を受けた家庭の子女に家庭を設定してあげなければなりません。家庭を設定すれば堕落圏を越えます。そこから定着するのです。今回新たに家庭を設定しますが、もしそこから落ちるようなことがあれば、その家庭は大変です。今後呪いの対象となり、あざけりの対象となり得る途方もない転換時代に彼らは立っているのです。そのことを彼らは知らないことでしょう。しかし、知らないからといって天法が変わりますか。天の憲法が改められますか。そこには従っていかなければなりません。皆さんの習慣的生活時代とは異ならなければなりません。
 祝福を受けて生まれた息子、娘を皆さんが祝福してあげましたか。ここにいる三十六家庭はそのようにしましたか。それは皆さんが祝福してあげたのではありません。先生が家庭を決定し、先生の息子、娘によって祝福してあげたのです。ですから、その姓が変わるのです。朴珍成ならば朴珍成ではありません。文珍成になるのです。洪珍輝ならば洪珍輝ではなく文珍輝になるのです。それで、今先生の家庭を中心として新しい家庭の基準が立てられます。家庭的カイン・アベルの基準が立てられるのです。それによって長子権が設定されます。長子権家庭が平面的に設定され、その相対的家庭が設定されることによってサタン世界は絶えていくのです。
 それで今回、このような時に先生が統一教会で祝福するにおいては、まず先に先生の家庭を祝福しなければなりません。そして、大韓民国と世界の運勢をすべて二世圏に連結しなければなりません。それで今回、三番目の娘の恩進を結婚させました。そこに二世の何人かを平面的に連結してあげれば、そこから家庭的に越えていくことができます。また、家庭祝福圏を立てたとしても、サタンが讒訴できない最低の立場に行かなければなりません。最後の闘いです。
 四月十日になれば、一九六〇年の聖婚から二十六年目になるのです。そこから越えていくのです。そのように、今回の祝福には歴史的な意義があるのです。今回の祝福を受けたあとは、サタン世界が私たちの家庭を認めるようになります。もし二世を祝福することができなければ、讒訴され、すべてが終わってしまうではありませんか。
 そして今後は、勝共連合の会員など、韓国人たちがこぞって「文総裁に結婚させてくれと言おう」というブームが起きるようになっています。「統一教会の結婚式が最も素晴らしい」と言うようになるのです。本来ならば、今回の結婚を解放式として盛大に行わなければなりません。そしてこれが終われば、その次には約八千双にして再び世界的な結婚式をするかもしれません。
 十一日に結婚式をするのですが、私の三番目の娘、右も左も分からない恩進に、十日の夜十一時になって初めて「お前は誰それと結婚するのだ」と通告したのです。
 十一日に結婚式をするのにお母様も知りません。先生が命令をするのです。「おい、ベールを準備してきなさい! 嫁に行く準備をしなさい!」と言うと、「新郎は誰ですか」と聞いてくるのです。新郎は、私が決めるのです。お母様が決めることはできません。そのようにして、十日の夜十一時になって初めて「あなたの新郎は誰それになる」と言ったのです。そのようにして婚約式を行い、結婚式を挙行しました。
 そのような意味で、どれほど貴いでしょうか。アメリカに行く飛行機のチケットも買っておいたのですが、行くことができないようにしてしまいました。「問題があるので行ってはならない」と言ったのです。それでも、それが結婚だとは夢にも思わなかったのです。そして、新郎を決める前に「ベールを準備しなさい」と言ったので「いったいそのようなめちゃくちゃなことがどこにあるのですか」と言いました。(笑い)
 開いた口がふさがらなくなるのではありませんか。子馬のように自由に跳び跳ねていた子に「結婚しなさい」と言ったのです。そのようなことを考えてもみなかったことでしょう。
 馬に乗りにフロリダ州に行こうとしていたのです。大会に出る計画を完全に立てていたので、日曜日に行かなければなりませんでした。そして首が長くなるほどコーチの先生を待たせたのです。アメリカでは待っているのです。しかし、このような外的なものは問題ではありません。学校が問題ではありません。世の中の条件が問題ではありません。すべて切ってしまわなければなりません。』
(真の御父母様の生涯路程 8)