真の家庭の財産争い(「汝矣島土地購入」のみ言葉) | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

2011年現在、係争中の汝矣島パークワンは、もともと統一教会が本部教会を建設するために購入したものですが、結局、ウワモノ(建物)は、統一教会と全く関係のないオフィスビルが建設されています。

三男の文顕進氏と四男の国進氏がお互いに告訴し合っている中、この「汝矣島の土地」は、父である文教祖がどのような思いで購入したのかをみ言葉を通して考察したいと思います。

ちなみに一級河川の漢江の中洲に浮かぶ汝矣島には韓国の国会議事堂があり、1975年には救国世界大会(汝矣島)を行った地でもあります。また大手企業の本社ビル、テレビ局などが集中するビジネスタウンです。高層ビルが建ち並びソウルのシンボルである、別名ゴールデンタワーとも呼ばれる、63ビルもこの汝矣島にあります。

もともと文教祖は汝矣島の土地購入はオフィスビル建設目的ではなく、1970年はじめに聖殿建設の一環として購入されたものです。1997年のアジア通貨危機以降に系列会社の経営が厳しくなり、2005年に既存の汝矣島の土地(別名統一駐車場)を外資系の施行会社Y22に99年の長期賃貸(借地権契約)をすることとなりました。

汝矣島パークワンプロジェクト建設予定地(2007年6月5日着工)
 住所:ソウル特別市永登浦区汝矣島洞22番地
 土地面積:1万4千坪
 土地時価:1500億ウォン相当





■汝矣島土地購入の歴史をみ言葉から

1970年10月21日 汝矣島の土地を一万坪購入予定(777双祝福)
  『さて、それで地と人の基盤を築いたため、ここから世界的な出発をするのです。それで初めて一九七〇年度から経済的活動を始めたのです。一九七〇年度から経済的な分野に手をつけ、金持ちになったといううわさを生んでいるのです。(笑い)反対を受けなさいというのです。反対を受ければ受けるほど福を受けるのです。統一教会に人は入ってこないのですが、人が入ってくる前に物質の祝福がもっと多いということを知らなければなりません。物質祝福が増え、その次に人が入ってくるのです。このような意味から、私は汝矣島の土地を一万坪ほど買おうと思っています。今回合同結婚する人たちは、この祝福の重要性を知らなければなりません。それで世界的記録を樹立した記念碑を一つつくろうと思います。(真の御父母様の生涯路程5)』

1971年年1月9日汝矣島の土地購入代金確保(資金源:信者の献金)
  『神の方法はどのようなものであるかと言えば、「私の物はあなたの物であり、あなたの物は世界の物であり、世界の物は神様の物である」と言うのです。これが正に善が志向していく道であり、これが正に善に向かって行く公式なのです。しかし、悪は、「私の物は私の物であり、あなたの物も私の物であり、国の物も私の物であり、世界の物も私の物である」という方法です。「神はいない」と言うのです。善が行く道と反対なのです。この統一教会を文先生が全部作って来ましたが、だからといって、統一教会が文先生の物ではありません。この統一教会は皆さんの物です。また汝矣島に一万坪を買って、清平にも多くのお金を投入して、約六十万坪以上の土地を買い、水澤里に大学用の土地を買っておりますが、それだからといって、それが私の物ではありません。これらすべてが皆さんの物です。これらすべてが私の物のようでありますが、皆さんの物であり、皆さんの物ですが、大韓民国の物であり、また大きくは世界の物です。(御旨の行くべき道1971年年1月9日江原道江陵教会』

1971年 敷地および建物購入(経済的基盤と未来の活動基地)
  『今日、私たちは七〇年代で七千年歴史の蕩減の起源をつくらなければならず、韓国自体においては、男性の威信を備えなければなりません。それゆえ、先生も家を買わなくてはなりません。それで仕方なく七百七十七組を立てて祝福してあげたのです。その七百七十七組を中心として、「先生の最高に良い家を買う」という条件を立て、「車も最高の車を買う」という条件を立てました。今は、私たち統一教会も時になったので、本部を建てなければなりません。既に先生がなすべき道理はみな果たしました。皆さんがそれでも責任を果たしたという条件を立てようとすれば、先生の家一つは準備しなければなりません。皆さんがそれをする前に私は、今後、天が計画している大きな基盤を築かなければなりません。そのため、今年になって汝矣島の土地を買う問題、清平の土地を買う問題、教会の土地を買う問題等、四箇所の土地を設定しておいたのです。四位基台を復帰できる経済的基盤を立てなければならないため、あるものをすべてかき集めて、この仕事をしているのです。それは、今後国家や世界に対して私たちが必要とする基地を調えるために着手しているのです。それは、現在、半分以上が着手された段階に置かれています。本部を中心として見るとき、先生がとどまることができる家も買わなければなりません。そのようにすれば、皆さんの前に発展があります。また、(祝福)家庭の前にも良いのです。しかし、私の良心上、私の家を先に買うことはできません。まず天の聖殿を建てるところにおいて、私の家より何百倍、何千倍も大きい聖殿を建てたという原則を立てておいて、その約束をしたのちに私の家を建てなければならないのです。既に、教会を中心として汝矣島に土地を準備しました。本来は、さらに一万坪買おうとしたのですが、買うことができなくなりました。それでも、さらに約三千坪は買わなければなりません。残っている場所がそれしかありませんので、そこをさらに買わなければならないのです。そうしたら私たちの教会も建てるつもりです。私が願うのはもちろん、この場所が世界本部になることです。皆さんもそう考えるかもしれませんが、ここは必ず世界本部にならなければなりません。先生が地上に生きている間に主導的な役割をなして土地を買ったのに、財政上の理由で一万数坪だけ買い、世界本部を建てるということは恥ずかしいことです。考えてごらんなさい。これから十年、二十年、三十年、およそ五十年後になれば、その時はここが歴史的な殿堂として世界の数多くの人々が来るのです。そうなれば、汝矣島には撤収問題が起こるようになることでしょう。先生はそのように考えます。私の考えは、汝矣島全体を私たちの一つの庭園にしたいのです。ですから家を建てようとすれば、そのようなことまで考えていなければいけないのです。ところでそれは、統一教会の本部にいる人たちが買わなければなりません。一人が土地一坪ずつ、何かの商売をするか、でなければ自分の骨一つを売るかでもして買わなければなりません。土地一坪を買わなければ、歴史的に後孫たちが嘆息することでしょう。今に見ていなさい。先生があらん限りの精誠を尽くし、国を越えに越えてこのようなことをしているのに、国内でみ旨を知った者として、ここに加担できなくなるならば、千秋万代に恨が残るはずです。世界本部というものは一番であるという意識を与えなければなりません。また、世界本部は新しい場所に造らなければなりません。そのような意味で、汝矣島に土地を買うようになったのです。土地を買うには、新しく出発できる場所に買わなければならないというのです。長さが三百六十メートルで、幅は百六十二メートルです。そこにビルを一つ建てようと思っていますが、建てるときにはつまらないものは建てないつもりです。今後汝矣島がソウルの中心街になることでしょう。それを見れば、神様が御加護され、私の予想したことがぴったり当たったのです。また、購入した土地の前には民族の広場ができるでしょう? 国会議事堂が隅っこのほうに場所をとったのは、「その土地を私たちが買いなさい」ということなのです。ところが私たちがその土地を買ったところ、土地の値段が急に跳ね上がりました。私の気分が良いのは、麻浦大橋を渡っていくと、すぐに統一教会の看板がぱっと見えるようになっていることです。その汝矣島の土地を買うとき、数カ月の間で数億というお金を軽く現金で支払ったのです。汝矣島に一万五千坪近い土地を買ったのですが、その土地を買う時もお金が全部集まったのです。(真の御父母様の生涯路程5)』

1971年8月28日 汝矣島に120階の聖殿(ビル)建設が目標
  『統一教会がお金がないと思ったけれども、「三か月以内に支払うことができる」。こうなると、ソウル市庁の市長、局長、課長達も、統一教会の言うことをみんな聞くようになったのです。ソウル大橋を渡ってみると、汝矣島鳥瞰図の中で一番高い建物が描かれた所が、統一教会の位置であるというのです。韓国が象徴的に準備しなければなりません。建てると言えば、百二十階だけ建てるのでしょうか。千二百階も建てることができるのです。それが倒れてしまったら、大韓民国が滅びるかもしれないので、百二十階だけ建てるのです。(笑い)そのように考えているのです。我が家庭のいく道1971年8月28日清平修練所)』

1971年ごろ?
  『私がこれから家を買うということは・・・。汝矣島に世界本部を建てる土地を準備しておき、大学を建てることのできる一〇余万坪の土地を買っておきました。また、世界修練所として使う一二〇万坪以上の土地を買っておきました。このようにしておいたので、今私が家を買っても大丈夫なのです。今は私の番です。その家は皆さんが買ってくれるべきなのです。皆さんが家を建ててくれるのを願うのは、私がお金がなくてそう言うのではありません。先生が位置をつかむ歴史的な基点において、それでも韓国人がまず家を建ててくれてこそ、その権威と威信が千秋万代に立つようになるからです。それでもある者は、これを考えていますか? 私にはすぐに家を買うことのできるお金があります。しかしながら、理知が違うのです。今も子供たちは子供たちなりに別に暮らし、お母さんはお母さんなりに暮らし、私は私なりに別に暮らしています。一度会おうとすると、服を着替えて行ったり来たりしなければならないようなことをしているのです。ですから、皆さんの威信が立ちません。このような問題について見るとき、家はできるなら皆さんの手を経て買うべきなのです。そうしてこそ神様の前に皆さんの威信が立つのです。皆さんが今まで親の家を買ってあげようと、ありとあらゆることをみんなしたかもしれませんが、韓国人に残してあげうるこの一時の特権を外国人に残してあげたくないのです。何のことか分かりますか?(「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」より)』

1971年9月18日 汝矣島購入問題に自らを祭物として捧げよ
  『我々はヨイドの問題を中心として、本当に真心を尽して、思いのたけの心情でもって神に帰し、神の御旨に果し得る基準をつくるという様な立場に立って我々自身を捧げるその道を求めて捧げた場合には神が愛するその子供の基準が立つならば、物的条件でかえしてもらったそれ以上の帰る道がなくして、感謝すべき闘いをやっていくのが地区長の立場だ。(祭物の完成時代1971年9月18日)』

1975年6月7日 救国世界大会(汝矣島)

1976年10月21日 汝矣島に世界本部建設を神に祈祷
  『それで先生は、来年は冒険をします。世界本部をヨイドにつくることを、先生は神に祈ったことがあるから、それを作らないといけないし、その後には東京につくらないといけません。そして、将来先生が死んで、君達が死んだ場合には、全世界の人達が韓国に行って、日本の君達がやった記録をみるようになります。伝統的精神は、先生が死なないうちに、千年後にも続くような、世界的何かを残さないといけません。それが伝統です。そう考えてみた場合、伝統を死守するのに、君達は命がけでやらないといけません。(中略)昨日も韓国の幹部達に話したんですが、億万長者になって、統一教会がお金が必要でなくなる時が、遠からずやってきます。将来、統一教会がお金持ちになって、お金の使い道がなくなります。その時、何に価値があるでしょうか。(777双祝福六周年記念日のみ言葉1976年10月21日)』

1988年2月28日 教会本部建設を政府が不許可したことを回想
  『今まで統一教会は、家一つ建てませんでした。私はビルを建てることができるのに、どうしてそれをしないのでしょうか。私たちの教会本部を汝矣島に建てようとしたとき、政府が許可してくれませんでした。本堂を建てられない統一教会が、地方教会を建てるというのですか。祖国光復のため、万民復帰を主張するための一つの神様を迎える殿堂を立ててから出発しなければならないのに、私たち統一家が一つ所に落ち着いて良い暮らしをしてはならないのです。』(「真の神様の祖国光復」より)

1989年1月1日 教会本部建設を政府が不許可したことを回想
  『大学街にしてもそうです。私がアメリカに行く時、すべての大学基地をつくっておいたのです。ヨイドに私たちの宣教本部用地をつくっておいたのです。清平に国際修練所の基地をつくっておいたのです。私として成すべき責任はみな果たしたのです。もし私が死んだとしても、それらのものはこの大韓民国に残されているのです。天地が見ても恥ずかしくない自らの自主的責任を成し遂げておいてこそ、出世を願い発展を願うべきであって、自分の責任が果たせないのに欲が先立ってはいけないのです。分かりましたか?(韓国統一1989年1月1日)』

1989年6月18日 教会本部建設を政府が不許可したことを回想
  『かつて先生がヨイドに一二〇階の世界宣教本部を建てようとしたのを、当時の政府が反対したのです。それで仕方なく今は準備して待っているのですが、その時が来たならばアッという間に建設するでしょう。先生は毎日のように国際会議を開くので、狭い土地に建てたくはありません。先生は広い場所を選んで本部を建てたり、学校を建てるために、一九八〇年までに全部準備しておきました。大学校を建てたいと何回も認可を申し込みましたが、認可が下りませんでした。しかし文総裁は何度でも立ち向かって戦います。平民党など問題ではありません。今やアメリカもソ連もレバレンド・ムーンを恐れているのです。先生はそのような実力を持っています。『ワシントン・タイムズ』を持ってすれば、韓国政府のすべての機関は三週間で消化できます。政府内の隠されたすべての秘密を明らかにするのです。(韓国は人類の祖国1989年6月18日ソウル本部教会)』

1997年7月-1998年 アジア通貨危機(韓国の通貨が急激に下落)
2005年 「外資系施行会社Y22」と99年の借地権契約
2007年6月5日 パークワンプロジェクト着工
2010年10月26日 統一維持財団がY22に工事中止仮処分申請




■李耀翰牧師、映画製作する文教祖と幹部をやんわり批判?

『ところが私たちは何も分からず、先生が超教派運動にお金をたくさん使われる時、たびたび小言を言いました。「私たち食口は今活動に出て飢えて大変なのに、超教派運動になぜお金をたくさん使うのか」と。それで先生が公の席で私たちをとがめられたことがありました。今回も「おお! 仁川」の映画を撮影するのに相当お金を使ったと聞いた時、私の心はあまりうれしくありませんでした。正直に言うと、そのお金を将来、私たちの教会の大学を建てる時に使うとか、ヨイドに世界宣教本部を建てるために基金としてためておけばいいのではないかと思いました。』
(信仰と生活1 成約時代の牧会者 李耀翰)

統一教会製作の幻の大作「仁川(インチョン)」(1)
統一教会製作の幻の大作「仁川(インチョン)」(2)
統一教会製作の幻の大作「仁川(インチョン)」(3)