文先生を崇拝しないと天国には入れません | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■絶対服従・絶対信仰は「文一族(真の家庭)」を崇拝すること

『皆さんの一族が崇拝、尊敬できるような人にならなければなりません。なぜかといえば、先生は反対してくる環境で崇拝され得る業を成してきたからです。父母たちが反対したのですが、彼らの子供たちは反対する父母をけ飛ばしてきたのです。尊敬ではなく、崇拝して先生に従ってきたのです。しかし、これから皆さんが行かなければならない道は違います。もはや反対はありません。先生がすべて防いでやったからです。みな崩してやったからです。ですから、皆さんは先生をどれくらい崇拝しなければなりませんか? 皆さんの後孫に対し、皆さんが迫害時代に先生を崇拝してきたその何百倍もの崇拝する家庭の伝統を残さずしては、天の国の本貫に入籍することが難しいということを通告します。皆さんの息子、娘たちが、皆さんが先生に侍ったその何百倍以上に侍ることのできる基盤をつくっておかずしては、落ちて流されて出ていくのです。』
(韓国統一 1989年1月1日)


『皆さんは本当に重要な立場にいます。伝統をまっすぐに立てるべき立場にいます。孝進は、長子の伝統をまっすぐに立てなければなりませんし、皆さんは、次子の伝統をまっすぐに立てなければなりません。皆さんのお父さんとお母さんは何ですか。天使長として天使長の息子、娘を生んだのです。ですから長子と次子を一つにし、次子を先頭に立て、霊の息子、娘と長子の間に皆さんと皆さんの母親が立ち、それぞれが蘇生、長成、完成として一つになってこそ、この門を通過するのです。家庭的カイン・アベル圏が生まれたのです。先生は、四十代に聖婚しましたが、皆さんは二十代ですから四十代まで待って、母親のような年齢の嫁をもらっても不平を言うことはできないようになっています。そう、孝進も結婚については考えもしなかったでしょう。物の怪にとりつかれたように、自分の思いではないのです。時がそのようになったのです。旋風に巻き込まれるのです。譽進お姉さんのようにしなければなりません。そうでなければ連結ができません。今や、家庭的なアベル圏が生まれたのです。それで、あの世の果てまで行くのです。世界の果てまで行っても、皆さんは、孝進、譽進の家庭をあがめ奉らなければなりません。お兄さんの家庭のために、お兄さんがなすべきことを、私たちが代わりに道を築いてあげようと思って仕事をしなければなりません。よく覚えておきなさい。孝進は、彼らのために祈ってあげなければなりません。お父様の代わりに祈ってあげなければなりません。もう君の時代になったのです。この父には蕩減復帰の道をすべて一代で清算すべき責任がありますが、既に長子と次子がそのまま自然に行くことができる道を築いておいたので、長子が伝統を立てなければなりません。父母の家庭から受け継いだその伝統を中心として、それを厳粛に考えなければなりません。二世が問題です。ファースト・ジェネレーション(第一世代)が問題ではなく、セカンド・ジェネレーション(第二世代)が問題です。』
(真の御父母様の生涯路程7 第七章第二節 一九八二年)




■文教祖に信者が質問

信者:弱肉強食という現象と愛の観念についてどう思いますか?

文教祖:愛の観念はね、子供として神をはっきりわかる段階において距離がある。その距離を埋めるのにはね、時間がいる。その時間を短縮するには、虫を千匹取って殺しても短縮される、そうすればそれ殺しても罪じゃない。神の愛の道が短縮されるその目的のためには、あらゆるものを犠牲にしてもOK。神の愛の目的を完遂するにも、短縮させる。期間を短くさせる。時間を短くさせる、目的を早くする、ある基準を立たせるという場合にはね、あらゆるものを犠牲にしてもそれを完成するならば、神はそれを喜ぶんだね。だからいうまでもなく祭物を供えて、あらゆる動物を犠牲にしてそしてやってる。それは何のためにやっているか。神の愛の目的を完遂するための距離とか時間を短縮させる要件を立たすために。それは犠牲じゃない。』
(教養講座でのみ言葉 1965年10月7日)



■再臨主の直系子女たちには蕩減条件には引っかからないので麻薬も離婚もOK?

『再臨主の直系子女たちには蕩減条件がありません。蕩減条件に引っ掛かりません。これは何かというと、直系ではなく、地上でカイン圏の女性とカイン圏の息子に残してあげるのです。お母様を中心として見てもそのようになるのです。聖進の母親と聖進を中心として、全くそれと同じことが起きるのです。カイン圏をすべて皇族圏として認めるのです。復帰された弟の位置に立て、皇族の扱いをすることによって、サタンが讒訴する道理がなくなるのです。
 なぜサタンがそれを認めるのかというと、「自分の息子だ」と言うことができる条件が成立しないからです。皇族圏というものを認めなければ、堕落したサタン圏内に皇族から外れた群れがいるという話が出てくるので、サタンが残されるのです。しかし、皇族圏を認めるので、サタンはなくならなければならないのです。これは重要な話です。これを混乱させてはいけません。』
(真の家庭と家庭盟誓より)



上記のみ言葉を読むと『復帰摂理が短縮されるなら「殺生」だったしても神は喜ぶし、蕩減条件が無い文教祖の子供たちは、何をやっても(離婚、麻薬、暴力等)蕩減条件には引っかからない』、つまり罪にはならないということでしょうか?

そして文一族(真の家庭)を崇高(侍るとは言っていない、崇めろということ)しなければ、地獄に行くとも言っています。

統一教会信者は文教祖を「お父様」「お母様」として、実の親以上に慕わしく思い、(親のように)侍る気持ちでいる信者が多いと思います。しかし、真の家庭は(本音は)崇拝されなければいけない対象と含みを持ちながら、信者にはみ言葉を語っているとしたらどうでしょう。