日本のアベルカインの教えは間違っています!(5) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■アベルカインと絶対服従の二重構造

1.アベルという存在はカインなくしてはアベルになることができない
2.アベルはカインを解放
3.血を流す歴史的な祭物路程というのはカインにあるのでもなくアべルにある
3.アベルは自分のあらゆる希望が蹂躙されなければならない
※韓国の責任者(アベル)が「レクサス」に乗るのはどうかと・・・。カインが納得(感動して自然屈服)しなければ、メシアを迎える基台も立ちませんよ。(特に日本人は、人格に侍る民族ですから、カインより苦労(質素)でなければ)

⇒アベルとカインが一つになっていなければメシアは顕現できないはずだが

<一体化していないのにメシヤに絶対服従?>
◇どの程度の服従度が望ましいか
 ①自分の財産、息子娘すべてを捧げなければならない(個人的に命を捧げよ)
 ②文先生(メシア)個人によくしなさい
  文先生の息子、娘にもよくしなさい
  文先生の妻にもよくしなさい(三段階に絶対服従)
 ③(個人のみでではなく)家庭でメシア家庭に絶対服従すること
 ④祝福二世はメシア家庭に首を横に振らない様に教育すること
 ⑤祝福を受け血統転換されても世界や社会が悪主権なので、地上天国ができるまでメシアに絶対服従

※下記のみ言葉は1972年に語られたものですが、結局永遠(理想世界ができるまで)に真の家庭(文一族)に絶対服従の構図は終わりそうになさそうです。
アベルとカインが一体化した内容があってもなくても、結局「絶対服従」のようです。
メシアの前では(生畜=豚(祭物))でしかないようです。

真の父母専用の自家用飛行機が見れますよ(いくらなのか調査中)。貢ぐこと=絶対服従ですから、現役信者の方は本望なのでしょうか?
http://www.youtube.com/user/tabinowa?blend=22&ob=5#p/u/0/5f5Xbx2x170



(以下み言葉)
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本国(韓国)にいる教会長とか、さらに先頭に立って走っている皆さんたちの責任がどんなに重いか、今はそれが現れてはいないけれども、栄養分になって、歴史的な基盤になっていることを皆さんは知らなければなりません。
 アベルが必要なのは父母を復帰するためであり、復帰歴史は蕩減復帰歴史であるために、必ず祭物的過程を経なければなりません。ですから、皆さん自身がみ旨の前に、教会長とか班長としての責任を持っているということは、復帰歴史の中心的な責任を背負っているということです。
 原理的な観点からみて、中心的な責任を背負った人はどんな立場かといえば、アベル的な立場なのです。今日、我々統一教会は、既成教会に対して自分たちをアベルといい、私たちの教会内では祝福家庭をアベルといい、また祝福家庭の中でも長くなった三十六家庭などをアベルといいます。長くなった人ほど神の前に近いと見ているのが、普通の考え方なのです。
 ところでアベルという存在は、カインなくしてはアベルになることができないということを皆さんも知っているように、アベルが必要なのは父母を復帰するためなのです。堕落したアダム・エバを、再び復帰するためなのです。つまりアベルは、父母を復帰するために生まれた存在なのです。もちろんアダム・エバが堕落しなかったならば、アベルも必要ないし、カインも必要ないのですが、堕落したためにアベルという存在を通して、父母を復帰しなければならないのです。父母を復帰してアベルとカインが父母と完全に一つになってこそ、堕落しなかった本然の基準に上がっていくことができるのです。
(中略)
アベル自体を見てみると、アベルは何をしなければならないのでしょうか? それは、カインと一つになって、サタンを屈服させて、そのサタンが順応できる立場に立たなければなりません。それがアベルの責任であることを皆さんは知らなければなりません。
 アベルは一人でアベルになることができません。アベルという名前は、カインを復帰してこそ設定されるのです。言い換えれば、失ってしまった横的な三人の息子を探していく責任を背負った人がアベルなのです。ですから、アベルの前には必ずカインがおり、サタンがいるはずです。分かりますか。
 アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。
(中略)
アベルは何を解放すべきかというと、第一に、カインを解放しなければなりません。次は、父母を復帰するために、完全な基盤を立てなければなりません。これがアベルの使命なのです。父母の前に、サタンの讒訴を許す立場に立っては、アベルとしての責任を果たしたとは言えないのです。
 アベルの使命を果たした人は、サタンの讒訴を受ける立場に立ってはいけないのです。アベルは父母を復帰するためにも、中心的な責任を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。
(中略)
血を流す歴史的な祭物路程というのは、カインにあるのでもなく、アダムにあるのでもなく、父母にあるのでもありません。誰にあるかといえば、アベルにあるというのです。アベルの立場はどんな立場かといえば、天使長の立場です。では、どんな天使長かといえば、堕落しなかった天使長なのです。
 この天地をすべて堕落させた中心的な天使長がサタンになったために、これを復帰するために、アベルを通して蕩減してきたことを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、血を流したのは、カインではなくアベルなのです。アベルが打たれてきたのです。堕落した天使長対堕落しなかった天使長の戦いなのです。これが今までの歴史であるということを知らなければなりません。主が来られる前に、真の父母が来られる前に、このような戦いをしなければならないのです。アベルという存在がそのような立場であることをはっきりと知らなければなりません。
 アベルとは、第一にカインを復帰しなければならないし、第二に父母の実体と心情を復帰しなければなりません。アダム・エバが天使長と愛の因縁を結ぶことによって、神様の実体を蹂躙し、心情を蹂躙したので、アベルはこのような事実を蕩減するために、その実体が犯されなければならないし、自分のあらゆる希望が蹂躙されなければならなかったのです。このような立場から出たのが、アベルなのです。反対だということです。
(中略)
ですから、アベルはカインを復帰しなければならないし、父母を復帰しなければならないし、その次には神様と関係を結ばなければなりません。本来あらゆる存在が神様から始まったために、アベルも神様から始まらなければなりません。そのために神様を絶対視する立場に立たなければ、アベルになることはできません。アベルは神様を絶対視する立場、神様のためにそのような立場に立つようになれば、天使長の立場で神様の愛を受けることができるのです。
 愛は先に誰が受けたのかといえば、天使長だったのです。ですから、アベルは復帰の道において、誰よりも神様から愛される立場に立たなければならないし、そのためには、誰よりも犠牲になる立場に立って、天使長の失敗を復帰する立場を果たさなければなりません。
(中略)
神様はカイン・アベルの復帰歴史を綴ってきたのです。ですからカイン・アベルとして絶対的に一つにならなければなりません。絶対服従の因縁を持たなければ、祝福家庭に入ることができないのです。そして、世界的なアベルは誰かというと、来られる主なのです。
(中略)
メシヤは堕落しなかったアダムの因縁を持って来られる方です。本来人間が堕落しなかったならば、神の前に理想的な祝福を受ける理想相対理念を持つことができたのです。ですから、神様の前に帰ってくる立場に立てば、祝福を受けることができるのです。受けることができますか、できませんか?(できます)。
 しかし、そのままではできません。カイン・アベルを復帰しなければなりません。カイン・アベルを復帰して、神様、アダム、天使長の順序になるのです。これが原理なのです。そのアダムの身代わりとして来られた方がメシヤであるから、メシヤの前には絶対服従しなければなりません。どれほど服従すべきかというと、自分の財産、息子娘すべてを捧げなければなりません。堕落によって天使長が、万物と息子とその家庭をすべて奪っていったことを全部復帰しなければなりません。
(中略)
それゆえ、皆さんは、個人的にメシヤの前に絶対服従しなければなりません。個人的に絶対服従し、命をささげなければならないということです。
 誰にささげるのかというと、メシヤにささげなければなりません。アブラハムがイサクを供え物としてささげたようにささげなければなりません。皆さんはそれができますか。羊は主人のために首を切られても、どんな苦痛も我慢するのです。それが重要なのです。でなければ、皆さんは復帰されません。
 皆さんは個人的に絶対服従しましたか? メシヤが審判する基準は何かというと、個人的に絶対的服従したかということです。そして、先生によくすると同時に、息子、娘にもよくしなければならないし、自分の妻に対してもよくしなければなりません。三段階でよくしなければならないのです。これからは家庭を中心として、家庭の囲いにならなければ個人が安息できません。
その次は、家庭的に絶対服従しなければなりません。それゆえ、皆さんは子供の教育をよくしなければなりません。祝福家庭の子女たちが首を横に振ってはいけないのです。そのようなことが起これば、これが問題になるのです。復帰歴史は、縦的な歴史を横的に復帰することになるのです。
(中略)
 それでは統一教会で祝福を受けた人々は何かというと、血統が転換された群れであるということです。血統を転換させるのが祝福なのです。皆さんは血統転換されましたか?(はい)。しかし、まだ悪主権内にいるのです。これを復帰しなければなりません。そのためには、先生を中心として個人的に絶対従順しなければなりません。
(今後私たちが成すべきこと1972年5月9日)