文先生のいうイスカリオテのユダの恋人(1) | ちゃぬの裏韓国日記

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(統一教会=世界平和統一家庭連合)

イスカリオテのユダは皆さんご存知だと思います。イエスが最も信頼していた弟子でありながらイエスを金貨30枚で裏切った人物です。文鮮明先生はこの「イスカリオテのユダ」に聖書では語られていない別の解釈をしています。
イエスがユダの恋人を奪ったというのです。それに腹を立てたユダがイエスを裏切ったいう解釈です。皆さんご存知でしたか?み言葉でもこの内容は語られています。ただ、現在はユダの恋人の話はみ言葉の中では語られていませんね。

この内容は朴正華氏の著書「六マリアの悲劇」の中に出てきます。
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まず六マリアの復帰問題から考えてみよう。サタンによってエバを奪い取られたことで、神様は六千年間怒り続けてきたという。神様はエバを取り返すため、第二のアダムであるイエスをこの世に送ったが、イエスの生みの母であるマリアは、イエスを自分の息子としてしか考えず、自分の息子がまず母親とセックスするために生まれてきたことに気がつかなくて、イエスとセックスをしなかった(注=このように母親が息子とセックスすることを、原理では母子協助と言っている)。そのためにイエスは十字架の上で死んでいくしかなかったと原理では説明している。また原理原本には、「イスカリオテのユダの恋人であったマグダラ・マリアをイエスが奪い、復帰させることによって、神様の恨みを払うことになっていたが、ユダがこれに服従せず銀貨三十枚をもらってイエスを売り払ったため、イエスが十字架の上で死んでいくことになった」と説明されている。
イエスが復帰しようとした六人のマリアを復帰させれば、原理通り実践されることになると私も理解していた。ところが、六人のマリアを復帰させたあとでも、文鮮明は手当たり次第何十人もの女を復帰させていった。
★「六マリアの悲劇 真のサタンは文選明だ!!」 朴正華著 P.191より
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私が教会にいたときはこの「イスカリオテのユダの恋人」の話は一度も聞いたことがありませんでした。それで色々み言葉を探してみたところありました。
1970年10月18日韓国・水澤里中央修練院で777双聖酒式後に語られた内容です。
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イエス様は出家しましたね。それはなぜかといえば、この外で子供を求めようとしたのです。外でヨセフの代わりの人はだれか、考えたことがありますか。イスカリオテのユダは何のために先生を売ったのかといえば、愛のためです。こうすれば理由がはっきりしてきます。(イエス様とともに)一番、だれよりも内緒話をし、共にしながら、こういうことをしようとしました。
 しかし、教えることはできません。教えて堕落しましたか、誘引して堕落させたのですか。その女性は、イエス様に、天の愛によって引っ張られてくるのです。そういうような闘いが、摂理の背後で闘われてきました。結局、イエス様が失敗したのはだれのためかといえば、ヨセフのゆえであり、イスカリオテのユダのゆえでした。
 それで、イエス様はガリラヤのカナの結婚式に行ってぶどう酒を作りました。そこで、お母さんが現れて、「ぶどう酒がなくなってしまいました」と言った時、イエス様は、「婦人よ、あなたは私と何のかかわりがありますか」と言ったでしょう?。本当に怨讐になりました。「お母さん」と言わなかったのです。
 また、ある人がイエス様に、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」と言った時、「私の母とはだれのことか。私の兄弟とはだれのことか」と答えられ、さらに弟子たちの方に向かって、「……天にいます私の父のみこころを行う者はだれでも、私の兄弟、また姉妹、また母なのである」と言ったでしょう?。それは、み旨を行けなかった証拠です。
 聖書は、一つを隠しておいてそれを教えるのに、いかに苦労したかということがすぐに分かってしまうのです。だから、先生によって、こういう歴史の背後の秘密が今紹介されているのです。何の話か、聞いて分かるだけではいけません。実行しなければなりません。そうすれば、皆さんが愛するその奥さんを神の方に捧げるその愛、神をもっと愛するように、奥さんを捧げ物として捧げるような心持ちを持たないと、天使長は復帰されないというのです。
 皆さんは天使長の立場です。その奥さんはみ旨のために、いくらでも、どんなことでも捧げる。愛の怨讐の立場にある者に渡しても祝福しなければならないという心持ちを持たなければ、天の真なる子女になれないというのです。
 そういうようなみ旨を分かっている者が、「おお、女の子、自分のためにやれ」とか、「いいや、私のために生まれた」と、そんなことが言えますか。愛のために堕落したのでしょう?。生死の問題は愛を中心としています。摂理の勝負の問題は愛を中心としてです。その愛は家庭です。統一教会にも、そのような女性がいなければなりません。
 それは蘇生、長成、完成という三時代に接しています。そういう十字架の道を先生は戦ってきているのに、皆さんは全然知りません。その先生の家庭が中心の家庭であり、皆さんは、そのようなアベルの伝統をそっくりそのまま引き継がなければならないでしょう。だから、先生がそれをやっているのだから、皆さんの奥さんは自分たちのものではありません。先生も、そういうような覚悟でこの道を出発しているのです。
 聖進さんのお母さんに対しても、もしも怨讐が神のみ旨で奪い取ろうとする者がいれば、そこに土産物をつけていくらでも渡してあげます。ゲラルの王アビメレクも、アブラハムの妻サラを返す時には褒美までつけて返したでしょう?。自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。
 日本にもそういう女がいるでしょう?。そういうような男性が摂理において非常に貢献してきた。だから摂理は妾から始まります。本家の本妻からは復帰できません。神様から見た場合、エバは二番目でしょう?。堕落しないエバが本家であって、二番目(堕落したエバ)は妾でしょう?
 だから、世界的に有名な偉人とかいう人は、貧しい所から素晴らしい子供として生まれてきます。本妻をさておいて、愛情心に燃え上がって、妾とか、華僑の女とかつきあった、そういう所から素晴らしい男性が生まれてきます。マタイ伝の冒頭には、四人の淫行の女性がいたことが書かれています。タマルも、ラケルも、ラハブも、ルツも皆妾のような立場です。
 ヨセフもマリヤとの愛の問題で、イスカリオテのユダも愛によって失敗しました。その弟子も分からなかったのです。あなたたちもまずもって、イスカリオテのユダ以上の心情を持った男にならなければなりません。自分の愛する女を盗まれても、(その男を)祝福してあげるような度量と寛容心を持たないというと、天国人となることができません。
 先生の話す話は、聖書によると皆こうなっています。皆追われても追われても、皆これを縫いつけるようなことをしているのだから、その縫いつけたところに水が漏れるようにしたら、サタンが侵入する。水が漏れないように百パーセント一致しているから、サタンが後退するのです。
 だから今、統一教会がそこまで完成して、勝利した基準があるから教えるのです。それを教えなければ、あなたたちより何百倍、何千倍知恵深いサタンが持っていってしまうのです。そうなった場合には、神の復帰の道は完全に閉ざされてしまいます。子供のなすべきことをサタンがすぐに持っていって成した場合には、またそこに神の二重の苦しみが生じてくるのです。だから、それは暗示や比喩でもってなす。表示や合図でもって教えるのです。それは真理を愛する子女関係を結べば分かるのです。
(七七七双聖酒式後の御言 1970年10月18日(韓国・水澤里中央修練院))
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上記のみ言葉の内容も「血分け理論」から見ると簡単に解釈できるんですけどね。上記最後に文鮮明先生が言っているように「それ(真理)は暗示や比喩でもってなす。表示や合図でもって教えるのです。」と語っているように直接的表現は避けているということです。777双の時までは「血分け」の内容は教会ではまだ隠してはいなかったようです。「血分け」のことを今伝えているのはほとんど777双以上の草創期メンバーです。

「血分け理論」では文鮮明先生だけが神=メシアであるから血統を残す(セックスできる)ことのできる唯一の存在であるわけです。他の男性は堕落の血統であり天使長ですから、女性とはセックスしてはいけないんです。また、結婚していたり、恋人がいたりする場合でも、メシアの立場で天使長からいつでも女性を奪って肉体関係をもってもメシアであるので許されるわけです。その奪う行為自体が復帰原理なのですから。(堕落論の逆の経路で復帰です)

ですから、イスカリオテのユダも恋人をイエスに奪われたからといって、腹を立てずむしろ感謝して差し出す度量がなければいけなかったと文鮮明先生はみ言葉の中で語っています。感謝して差し出さずむしろ奪ったことに腹を立てたからイエスは十字架にかかったということです。

しかし、マグダラのマリアがイスカリオテのユダの恋人ということを文鮮明先生はどこで知ったのでしょう。最近「ダヴィンチ・コード」の内容と似てますね。1950年代にすでにそういう思想を知っていたということは、そういう思想を持った団体との接触があった可能性がありますね。それか、誰かに聞いたかですが。

このみ言葉の中には「血分け理論」が満載です。血分け理論抜きで解釈できる方はすごいです。昔は私は文字のままそのごとくを覚えるしかありませんでしたが、いまは血分け理論を知って文先生のみ言葉(相関関係等)が少し理解できるようになりました。

「文先生のいうイスカリオテのユダの恋人(2)」へ続く