文先生のいうイスカリオテのユダの恋人(2) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

「文先生のいうイスカリオテのユダの恋人(1)」の続編です。関連した文先生のみ言葉がありました。

前回「文先生のいうイスカリオテのユダの恋人(1)」の内容を簡単にいうと、

①『原理原本には、「イスカリオテのユダの恋人であったマグダラ・マリアをイエスが奪い、復帰させることによって、神様の恨みを払うことになっていたが、ユダがこれに服従せず銀貨三十枚をもらってイエスを売り払ったため、イエスが十字架の上で死んでいくことになった」と説明されている』
(朴正華氏の著書「六マリアの悲劇」)

②『イスカリオテのユダは何のために先生を売ったのかといえば、愛のためです。こうすれば理由がはっきりしてきます。(中略)イエス様が失敗したのはだれのためかといえば、ヨセフのゆえであり、イスカリオテのユダのゆえでした。(中略)自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。(中略)ヨセフもマリヤとの愛の問題で、イスカリオテのユダも愛によって失敗しました。その弟子も分からなかったのです。あなたたちもまずもって、イスカリオテのユダ以上の心情を持った男にならなければなりません。自分の愛する女を盗まれても、(その男を)祝福してあげるような度量と寛容心を持たないというと、天国人となることができません。』
(七七七双聖酒式後の御言 1970年10月18日(韓国・水澤里中央修練院))

前回の内容は「文先生のいうイスカリオテのユダの恋人(1)」をお読みください。
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10760773867.html


---------------------------
現在、私たちの教会を見ると、長成期蘇生級程度の信仰をもっている食口はいるかいないかです。復活の程度から見て、大多数の食口がこの程度にも至らないようです。
 礼拝にほとんど出席しないような古い食口は、この程度の復活もできていない人だと言わざるをえません。復活している教会員なら、神の「戒め」があるので礼拝に出ずにはいられません。復活できていない人は、原理の理想を聞いて、うきうきして入ってきたけれども、原理の組織的な面や理論面に感銘を受けただけであって、人格的な面からは何の影響も受けなかった人です。そのような人は、外的にだけ神の主管圏内に来ているのであって、復活しうる主管圏内にいながらも、内的な感銘がなかったために内的、人格的な復活ができないでいるのです。
 こういう人は、イスカリオテのユダのような人です。ユダはイエス様に従っていたけれども、内的には何も知りませんでした。イエス様のみ言を慕うより自分の恋人のあとについてきた結果、そうなりました。イエス様に反対すれば婚約状態にあったその女性が自分を捨てるだろうと思い、イエス様を積極的に信じるその女性のあとについてきたのです。外的な思いだけで従ったため、内的に信仰による復活ができずイエス様を売りました。
 また、ペテロはイエス様が愛国者としての国を愛するところにだけ感動し、自己中心的に主を判断して、精神的、知的にだけ主に従ったために、イエス様の生前においては、霊的な復活ができませんでした。そして、イエス様が十字架で殺され、復活したのち、四十日間地上におられる時になって、ようやく霊的に復活しただけなのです。
 もしその生前に復活していたならイエス様は十字架には行きませんでした。ペテロがイエス様の十字架以前に三〇〇デナリの油を注ぎながら慟哭した女性と共に復活していたなら、イエス様は十字架に絶対つかれなかったと思います。私たちの教会においても復活の原則から見ると、復活した指導者は多くありません。神の主管圏内に来ていながらも、復活した指導者はまれなのです。
(教域長補習教育での説教 1977年5月23日 中央修練所)
---------------------------


■このみ言葉を自ら文先生も実際にやってみようとした
---------------------------
先生は、自分自身が自分の体をコントロールできる訓練をした人なのです。そうでなければ、神様の息子、娘になることはできません。
 自分がとても愛している人を怨讐の前に譲って、福を祈り、「わたしの代わりに、わたし以上に愛しなさい」という心を持つことができてこそ、神様の心情を理解することができるのです。何のことか、分かりますか?。先生も、聖進様の母親をそのような位置に立てようとしました。「どのような怨讐にでも会いなさい」と言うことができ、紹介してあげることができたのです。だからといって、そのように行動するのではありません。そのような心情圏を通過するということです。
 自分の最愛の人が男性たちと仲良くしていても目をつむり、「神様がエバの喜びの日を迎えられることができなかったことを、自分の家庭において神様が喜びの日を持たれることによって、解いて越えていかなければならない」と考えた人なのです。何のことか、分かりますか?(「はい」)
 わたしは、聖進様の母親が金キム百文の祈祷院に行ったとき、金百文を呼んできて紹介してあげた人なのです。「愛しなさい」というのではありません。そのようなときに、どのような心がわたしに生じたでしょうか?。しかし、そこで躊躇すれば、神様の心情に引っかかるのです。
(第3回「七・八節」の御言1999年8月17日アラスカ・コディアク)
---------------------------


■36家庭の既成家庭祝福時に妻と分かれさせ別の女性と祝福した
---------------------------
◇既婚家庭の中で新しく結ばれた家庭

 劉孝永、劉孝敏、李耀翰牧師を結婚させて、それからもう一人は誰ですか。安昌成です。この四人を、世の中から見れば悪口をいわれるようなことをしたのです。この人たちにはぴんぴんしている妻たちが待っているのに、思いもよらない娘たちを迎えさせたのですから、それは悪口を言われるようになったのです。その中に柳光烈もいるのです。妻も教会に対して忠誠を立てているのに、そのような統一教会に反対しない、つつましい妻をそのままにして、祝福したのです。
 何のためにそのようにするのですか。なぜそうしなければならないのでしょうか。仕方なくそうしなければならないのです。蕩減条件なので仕方がないのです。そのような条件を立てたので、今はいくらやってもサタンが讒訴できないのです。
 それは世界の人のために、全体が行くべき道を切り開こうとするので仕方がなかったのです。道をつくるには、ハイウェイを通す所に宗家が王から号をもらって名前を刻んだ石碑があるとしても、それらは全部壊してしまわなければならないのです。氏族だろうが民族だろうが厳重に処理しなければならないのです。そうしようとするので仕方がないのです。
 安昌成と崔禮貞という共に暮らせない人が一緒に暮らし、李耀翰牧師と元心姫という共に暮らせない人が一緒に暮らし、柳光烈ときみ子という共に暮らせない人が一緒に暮らしたのではないですか。そう言われるとそうでしょう。息苦しいことが多かったでしょう。それはそうでしょう。でも仕方がないというのです。誰かがそうしなければならないのです。そうしなければ平坦な道をつくることができないのです。私が悪口をいわれても仕方がないのです。設計する人は、悪口を言われようが何をいわれようが、平坦な道をつくるためには、煙突が出てこようが王の財産である金塊が出てこようが、それを掘り返さなければならないのです。
 そのような門を開かなければ、世界のすべての家庭の行く道がないのです。三十六家庭のうちの既成家庭型の中に、そのような家庭がなくてはならないので、そうなっているのです。蕩減復帰して生かしてあげるための代表家庭として立ったならば、犠牲にならなくてはならないのです。
(真の御父母様の生涯路程(4)第四章 真の御父母様の聖婚と第一次七年路程)
---------------------------

文先生は「こういう基準が天国人の基準」だということです。「神には怨讐という概念はない」とみ言葉で語る文先生ですが、このように「恋人をイエスに差し出すユダの立場」の内容を777双の祝福のときまでは、実際に文先生が指示していたと古参教会員の方も証言しています。

いわゆる「血分け」のことですが、古参教会員の方のお話では、

①体恤 文先生が神の6千年の心情を込めながら祝福対象の女性に対して行う性行為 (この時点でメシアに妻を差し出すということ)

②重生 体恤を受けた女性が男性に対して行い受けた男性が受ける神の恩寵(メシアから男性に女性を払いさげ、男性が女性の子宮(膣)に入ってもう産み換えてもらう性行為)
 
③母子協助 体恤によって生まれた男子に対して母親のするべき義務の性行為(本来は、文先生との間に出来た息子との性行為だが、祝福では、「重生」で生みかえられた男性(息子の位置)との性行為)


文先生が北に行った理由は、この「血分け」をしてくれる女性に会いに行くためでした。朴正華氏の著書「野録・統一教会史」や文先生のみ言葉にもこの内容がありますので、また記事にしたいと思います。

■古参教会員の証言

「150 名前: 50代 投稿日: 02/10/23 21:22
性の問題はかねてから私の主張したとおり。原理の根幹を成すもの。当然日本を代表する会長のご夫人は文先生のお手つきでなければならない。今の会長は誰だ? あ~あのかたね。とうぜんだね。ついでに火星ちゃんもそうだよ?」

「641 名前: 50代 投稿日: 02/11/10 20:14
久しぶりに書き込みます。なぜ、文先生が祝福者などと3人でsexされるのか?
第一にカインアベルの復帰といわれます。すなわち、カインの妻をアベルがいかにして奪い取るか。祝福した夫婦をカインのそれと見立てて、さきに、カイン夫婦がsexしているところにいきなり、乱入して妻を奪い取り、さいごまでいかせてしまう、ということを行います。それでもカインは文先生に屈服し、従うと言う条件を作ると言うわけです。これは、777クラスのシックたちに通常していること。
もうひとつ、アブラハムがサラを自分の妹としてアビメレクに差し出す、と言うこともやっていますが原理的にはことごとく失敗しているようです? これは、外見上も、美しい女性を十分体恤させておいて経済界や正解の大物に差し出す。聖書ではアビメレクは夢の中で主にしかられてアブラハムに屈服した。ところが現実はみなそのような女性は犠牲になり、ほかの人の子を産んだりしている。」

「704 名前: 50代 投稿日: 02/11/02 11:05
699さんのいうようにアベル(多分既婚者=祝福家庭)はその秘密が自分たちの既得権と勘違いしている。いまでもそうでしょうよ。その実、自分の奥方が体恤受けたわけでもないから、さらにその上の秘密を持ったアベルに従属する。とうじ活躍したF氏、とかK氏とかには頭が上がらなかったわけである。かといって、50代のようにすべてを明らかにすればたぶん組織は崩壊したに違いない。いまでも、この方式は生きていると思って、知りえたことをお知らせしています。」

「848 名前: 50代 投稿日: 02/11/03 10:01
文先生には3家庭+33家庭があってこの世的に言えばある種の秩序ある乱交状態。メシヤとしての機能も文先生は本来分かち合いたかった。ところが、そうも行かなかった。そこが各自自我を持った人間であるから、そこに行くと日本のシックはよく言うことききロボットのように働く。文先生は良く言った、「日本のシックたちは素直だ、韓国の連中はひねくれている」と。ところが日本でも久保木婦人のところで躓いた、(久保木さんには失礼だが)文先生の体恤を受け入れなかった、おまけに韓国でも離反する先生方が出てきた。そこで犠牲になってしまったのが神川村の16(1600双)のひとたちであったのだ。」


このほか膨大な内容がありますが、詳しくは、下記をお読みください。
(9)血分けが教会内で隠蔽・秘儀化されていった経緯1
(10)血分けが教会内で隠蔽・秘儀化されていった経緯2
(11)血分けが教会内で隠蔽・秘儀化されていった経緯3
(12)血分けが教会内で隠蔽・秘儀化されていった経緯4
(13)血分けが教会内で隠蔽・秘儀化されていった経緯5



●この内容の関連記事

「天国人の基準を知っていますか?(hitosatoのブログ)」
http://blogs.yahoo.co.jp/hitosato551/7973989.html

「象徴献祭~「売られた」という表現 (神さまとわたしの ~FOOTPRINTS)」
http://blogs.yahoo.co.jp/fm_esther/64362808.html