奇跡の生還 | からだは病気、こころは軽やか☆

からだは病気、こころは軽やか☆

Ⅰ型糖尿病、右目失明、心臓病からの心臓バイパス手術……様々な重たい合併症と闘いながらも、人生を前向きに生きようとする日々を綴ります!

2014年、心臓の血管バイパスをしたものの相変わらず体調は今一つ。それでもずっと音楽活動は続けていました。

高校では県内でもコーラス部の有名な高校でそこで、恩師と出逢い、声楽の道を志すことになった。

大学を卒業しても恩師との関わりは続き、アンサンブルや合唱、ソロと様々な経験をさせてもらった。

高校の頃から有名な先生方にレッスンを受けさせてもらったり、地元の芸術館んで歌わせてもらったり、毎年大きなホールでコンサートを企画して発表したり、東京のコンサートや国民文化祭などにも参加させてもらった。でも20年もそこでやっているうちに一緒に歌っていた仲間からも不満が出てきた。

お世話になった恩師を裏切ることになるので、随分悩み時間もかかったけど。2011年あの大震災を経験し、みんなで歌いたい歌を歌おうと一大決心をし、恩師から離れる道を選び、私が代表となって新たに声楽アンサンブルを立ち上げた。

そうしてアンサンブルも新しい指導者の下でようやく軌道に乗り始めた時、。2016年、4月に桜を見ながらのコンサートを企画、コンサートはプログラムからチケット制作一手に引き受けた私。昔からコンサートを取り仕切ったり、そういうことが好きだった。

無事にコンサートを終えて疲れが出たのかもしれない。7月の初めに突然意識を失った。

その日は中学時代の友人の奥さんが胃がんの闘病の末、亡くなり、友人たちと告別式に参列しようと、友人の迎えを待っているとき。

靴を履いたところではらはらと椅子から崩れ落ちそのまま意識がなくなった。

そこからは夫や妹に聞いた話。

私は呼吸も止まり、たまたま妹が母の介護で実家に戻っていて、母がヘルパーさんとディサービスの迎えを待っていたところで。

妹は私の倒れる様を見て、丁度日曜の朝、うちは2世帯で2階には夫がいて。妹は慌てて2階へ夫を呼びに行き、救急車を呼んた。

夫はその数日前に、交通安全ん御指導ぢゃ講習会で心臓マッサージを習ったばかり。救急の指導に合わせて、心臓マッサージを施してくれほどなくして救急車と消防車が到着。救急で呼ぶと消防車ももれなく付いてくるそう。近所の人は火事と思ったらしい。

私が出てこないのを不思議に思った友人達。サイレンの音に気付き家にやってきた。私が倒れた事を聴き、妹の連絡先を聞いて、そのまま友人の奥さんの告別式に向かった。

告別式では多くの友人たちが私の事を聞き、喪主の友人は奥さんに私を連れて行かないでくれと頼んだそうだ。一緒にいた友人たちも願ってくれた。

その願いが通じたのか、私は奇跡的に翌日意識を取り戻した。医師はこのまま意識が戻らないか、戻ったとしても植物状態になるかもしれないと言ったそうだ。親戚にも連絡が行き、みんなで状態を見守ってくれた。なんと娘たちは夏休みで二人で東京に遊びに行っていた。あわや母親の死に目にあえないということころで、難を逃れたのだった。低温療法というので、助かったらしく、翌日には話も出来たのだと言うがまったく覚えていない。すぐにかかりつけの大学病にドクターヘリで搬送された。それも覚えていない。めったにドクターヘリなど乗れないのに、なんて後になってのんきな事を言っていた。

自分の状態を理解したのは大学病院のICUに入って2、3日経った頃だろうか。

気が付くと全身管だらけ。そして左手は動かなかった。心臓は23分止まっていて、脳に酸素が行かず、脳症を起こしていた。

幸い足には後遺症がほんの少ししか出なかったが、左の頬の感覚が鈍かった。

嚥下の様子を見ながら、水を飲む練習から始まり、数日後からリハビリが始まった。

まずは別途サイドにぃ補助いすを置き座ることから。それが出来ると車いすに座って食事をとり、少しずつ車いすに座る時間を延ばした。

同時に頭の体操。地図を作ったり、計算をしたり。先生は私がうたをやっていたと聞くと童謡を歌って発声の訓練をしてくれた。

日に日にリハビリは進み、歩行が出来るまでになった。お見舞いに来た友人は歩くのを見て泪を流して喜んでくれた。

入院から2カ月が過ぎ外出許可を貰って、1日家に帰った。

そのころも別の合唱団で指導をしていて、その合唱団の創立30周年の準備の途中に倒れてしまった。これまた準備の委員長をしていて、後を副委員長に任せた。パーティーには出席できないと思っていたが、外出でパーティーに参加する事が出来た。

それから2週間後位に退院した。リハビリの出来る病院に転院を希望するも近くには受け入れてくれるところも無く、通いでリハビリが出来る病院を見つけた。通いでも十分なほど回復していた。

それから3カ月リハビリに通い、今度は介護保険の訪問リハビリに切り替えた。医療保険では3か月の縛りがあるのだった。

現在も訪問ンで週「2回リハビリをしている。なかなか左手は動かない。まだ時間がかかりそうだ。でも諦めずにリハビリや整体に通う日々を送っている。

そうそう不思議体験その1、三途の川を見た。診たと言うよりは三途の川を小舟に乗って流れていた。

ゆらゆらと気持ちよく、流れていたら、ガンと止められた。夢かうつつか?2,30人ほどの人達が小舟をぐるっと方向転換して、押し返した。

ジ上流から流れてきたのをまた上流に戻されたようだった。

誰が居たのかわからないが、そんな不思議な事をしばらくして思い出したのだった。

そうして今生きている。今どんなに苦しくても生かされた命を大切にしていかなければならないと思っている。

でも辛いのは辛い。現在どう乗り越えようかと毎日悩みながら生活している。