思い出 祖父 | 加藤修滋のブログ

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日仏シャンソン協会活動記録及びシャンソン界のニュース等

旧制熱田中学の教師だった祖父は「ジャナさん」の愛称で慕われました。

言葉尻に「・・・じゃな」と言う(方語?)事からの様です。

 

 

牧野富太郎、南方熊楠やドイツの博物学者等との交流もあり、昭和天皇のご案内役を仰せつかった事も。

 

 

無欲の人で、新発見した植物に自分の名を付けず後輩の学位の為に「サクライ草」と名をつけて贈ったそうです。

 

 

教え子の中には東京都知事選に出られた都留重人さんのような方もおられました。

 

 

最後の教え子である愛知トヨタの小野茂勝さんは自ら「エルム応援団長」を名乗ってエルムの発展に寄与されました。

 

 

私にとっては「親の七光り」ならぬ「十四光り」?と言った存在の誇るべき祖父でした。