加藤修滋のブログ

加藤修滋のブログ

日仏シャンソン協会活動記録及びシャンソン界のニュース等

「燃え尽き症候群」は、70才代で逝去される人達に対して私が最近名付けたもの。

 

 

我々世代の脳裏に鮮明に蘇る金学連委員長「唐牛健太郎」は例外的に47才で早逝した「燃え尽き症候群」患者?

革マル派、中核派、赤群派入り乱れる東大安田講堂占拠時代に代表される60年安保、70年安保と時代を疾風のごとく駆け抜けたその人生。

 

 

今の時代にはあの頃の正義感も熱い想いも社会変革への夢も無い。

ITだ生成AIだ・・・と言う単語に踊らされている主体性なき世代を憂う。

フランスのアーティストの中でも異彩を放つ「ジャン・ギドニ」は、

ある年のコンサートをパリ郊外の「廃工場」で行った。

 

 

開演時の黄昏が、プログラムが進むにつれ様相が変わり、終演時には壊れたスレートの屋根を仰ぎ見るとそこは満点の星空。セルフ・プロデュースの為せる業。

 

 

一方、パリ・コレで年4回の作品発表をする「川久保玪」は独学でデザインを学びCOMME DEGARçONを立ち上げ、歴史に残る「Holes」はじめ意表をついた作品を発表。

彼女はある時、閉鎖したデパートにランウェイを創ったと話に聞いた。

 

 

「ジャン・ギドニ」のステージは、実際にこの眼で見た。

彼曰く、「舞台は生き物で毎日変化する」(これを訳した通訳の言葉「要するに岡本太郎の芸術は爆発だ!と同様ですよ」には感心した)

フランス映画の中では、ヒット作と言われた「FAUBOURG 36(幸せはシャンソニア劇場から)」は、原作を作ったのが、私の友人「フランク・トマ」。

 

 

彼のマンションは高級住宅街にあり、私はその邸宅にお招きいただいた事がある。

フランクは、知られざるエピソードを教えてくれた。

 

 

主演女優である「ノラ・アルネゼデール」は監督「クリストフ・バラティエ」と近々結婚!すると言う。

 

 

確かにフランクの言う通りだったが、後日談有。

映画プロモーションの為に来日した時には既に離婚していて、別々に会見。

 

 

プロモーションと言えば、

シャンソン歌手が、この映画の主題歌(シャンソン)を歌って映画の認知度を広めようと言うプロジェクトを「日活」と共に展開。映画公開前に、楽譜とCDを配布。上映成功に一役買った。

 

 

日本語の初歌唱は、岡山加代子が「名古屋巴里祭」で歌唱。

シャンソン大使ミッシェル・グラスコと行ったコンサート動画がYouTubeでも見る事ができる。

 

https://youtu.be/ar0Xl_32FKw?si=7jdE9hi_u6N0af09

 

 

とても良質な作品なので、もう一度見たいなぁ。

 

 

*7/18に書いたブログです

 

 

先日開催された「名古屋巴里祭」初日のゲスト、

”ダイアモンド☆ユカイ”に逢う為に、倒れてから初めて介護車両で外出した。

場所は、千種文化小劇場(通称「ちくさ座」)。

 

 

リハーサルの合間をぬっての僅かな時間でも有意な会話を交せた。

音楽はその人を表すと言う通り、優しい人柄の彼がプレゼントとして手渡してくれたのが最新のカヴァーCD「黄金狂時代」。

帰宅してさっそく聴いてみたが、がなり立てるのではなくソフィスティケートされたSOUNDが好ましい。

 

 

1曲目のローリング・ストーンズに始まり(最後もローリング・ストーンズ)ロッド・スチュアート、ビートルズ、エアロ・スミス等8曲すべて我々の時代には懐かしいもの。

 

 

タンゴ、シャンソンを中心に活動して来た私だけれど良質なものは良いと解る。

エルムのニュースターとして度々ライブを行ってくれる事を願っています・・・と書いているうちに時計を見ると開演時間。

名唱が始まる頃です。

 

 

 

 

この所、分野を問わず「ラグジュアリー」が流行の兆し。

曰く「ラグジュアリー・ホテル」「ラグジュアリー・レストラン」「ラグジュアリー・ドレス」あるいはVIPルームを「ラグジュアリー・タイプ」と言ったり・・・。

 

 

本来の意味は、”豪奢” ”豪華” ”贅沢”の意味。

 

 

今までより良く使われる様になってきたのは時代の流れか?

その意味では「エルム」では他に先駆けて「ラグジュアリー」を使ったので予知能力があったのかも?(自画自賛)

日本の演劇界を変えた人と言えば、タイトルにある3人。

 

 

特に唐十郎率いる「状況劇場」に私は心を奪われていました。

新宿歌舞伎町「花園神社」での「紅テント」と言われる移動芝居小屋のラスト・シーンは絶妙。

テントの幕を振り下ろすと、そこには大都会の夜景。

彼の芝居は終わることない日常の人生へと続く。

「特権的肉体論」に心惹かれ、自分たちの活動に活かそうとしましたが、無理でした。

 

 

パートナー李礼仙が復帰前の沖縄公演に参加できないと言われ反骨精神で作られた「腰巻お仙」「二部物語」(韓国~日本)を観た記憶は今も鮮烈。彼に薫陶を受けた麿赤児、根津甚八、小林薫、不破万作等は各々活躍を続けている。

 

 

新宿中央公園で200人の機動隊に囲まれつつ行った「腰巻お仙・振袖火事の巻」で、ジェラルミンの盾を前に唐の放った一言「見よ!この機動隊」が権力と対峙する彼の真骨頂。

 

 

1960年代の絶頂期からの作品が多いが中には「吸血姫」(鬼に掛けた)や後継者の「唐組」による新作まで、今の若者の中にもその志は生きている。

 

 

海外公演で最も価値あるのは1974年パレスチナで行ったアラビア語の公演。

混沌とした世界にあって未来を見据えた眼力には脱帽。

 

 

更に「中村勘三郎」が唐芝居に影響され客席との距離感を近づける「宙乗り」を計画し、「歌舞伎の原点は紅テントにある」と言って、今日の新作「平成中村座」で屋台崩しを計画。

 

 

2000年には隅田川の河川敷で公演を行っている。

私は名古屋での唐十郎の「紅テント」佐藤信の「黒テント」を観ている。

 

 

寺山修司の「天井桟敷」はコンサート・ホール公演を観たが、ここでは言及しなかった「早稲田小劇場」のステージ含め、今でも心ときめく芝居ばかり。おそらく私の友人・深沢君の「リーディング・シアター」や「スペイン芝居」も同様にそれらの芝居に影響されているに違いない

経済誌でありながら、文化的記事にも注力している「月刊東海財界」が、5月逝去の「唐十郎」について6月号で2ページの速報をして驚いた。

 

 

普通、月刊誌は2ヶ月前でないと記事を組みにくいけれど、この素早い編集には脱帽。

塚本社長の睡眼と思われます。

あっという間に半年が過ぎ「エルム」にとって最も大切なコンサートを迎えました。

多くのお客様のお陰で、こうして半世紀にも及ぶ私達の活動が続いている事に心より感謝します。

 

 

今回の「名古屋巴里祭」を機にご来場の皆様が「エルム」の歴史をより深く知って頂ける事を切望しています。

やがて40年近くになる「Café concert ELM」の懐かしいパンフレットを今、眺めている。

芸術的な写真と設計者の手によるロゴは自画自賛したくなる出来栄え。

 

 

杮落しは「菅原洋一」、

続いて「美輪明宏」、「瀬間千恵」、「渡辺歌子」、「阿保郁夫」、「嵯峨美子」、「奥則夫」、「仲代圭吾&行代美都」、「マリキータ&ジロー」等錚々たる東京からのゲスト陣に加え、

 

 

地元のレギュラー「川出祥代」、「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」、「上田梨詠」(彼女は南山大学出身TRB出身でヤマハ国際歌謡祭で歌唱賞と川上賞W受賞した「ミスター・ロンサム」がヒット)を中心に、オーディションで選ばれたエルム・シスターズ(野原百合子、黒川泰子、勝野恵美子、東川智子等)もがんばっていた。

 

 

経営的にも開店に際し個人1万円、法人5万円の100名限定メンバーズ会員を得て順風満帆の船出。古き良き時代のお話。

 

 

コロナを経て今は、後継者も運営スタイルも変わったが、理念は変わらず続いている。

私自身は車イス生活の中でブログを書く毎日ながら「エルム」の栄光が続く事を願っています。

 

 

 

 

何度も記述したので、一部再掲となりますが

まだ「名古屋巴里祭」と名前を変える前の事。

 

 

パリ祭の時期だけでなく、冬にも催事を開催していました。

「パリ祭」には、仲代圭吾、川出祥代・・・

「冬のシャンソン・フェスティバル」には、美輪明宏、瀬間千恵、グレコ・・・

と内容も変えていました。

 

 

時代は変わり、

今年、初日の「名古屋巴里祭」のゲストは「ダイアモンド☆ユカイ」!

新しいエルムに相応しい”魂を感じる表現者”。

 

 

そして2日目のゲストは、「瀬間千恵」!

mss小劇場の時代から出演を続けて下さり、シャンソン文化に多大な貢献をされたレジェンド。

 

 

過去のエルムを築いてこられた多くのアーティストや

新しい時代を担っていく素晴らしいアーティスト達。

今のエルムは、人々が集う文化の情報集積地とも言うべき存在です。