加藤修滋のブログ

加藤修滋のブログ

フランス芸術文化勲章受賞の加藤修滋による過去の活動ニュースや思った事あれこれ

伊東市の田久保前市長の学歴問題が、いまだに世間を騒がせている。

この場合は事と次第によっては罪に問われるであろう。

 

 

そこへ行くと私の場合は・・・?

 

 

そもそも時効かも知れないが、私のゼミ担当教授が聴講届け提出をしていないにも関わらず合格として事務に報告。

結果、そのまま私は晴れて?単位取得となった次第。

 

 

今は、SNSの普及で発信にも気をつける事が多すぎる。

私はスマホを持ってすぐに倒れたので、昭和の時代のアナログ人間のまま。

 

 

でも良い時代だったと改めて思う。

 

先日、仲代達矢追悼番組を見ていて、多くの名優が出演していた。

その中でも私と関わりの深い天野鎮雄氏の演技が光っていた。

 

”アマチン”の愛称で親しまれた天野氏と仲代達矢と言えば、私はタイトルにある番組を想い出す。

この番組は、”東海テレビにこの人あり”と言われた阿波野勝彦氏がプロデューサーを務めたドキュメンタリー。

言わずもがな、地裁、高裁、最高裁の間を行きつ戻りつしながら半世紀に及んだ冤罪事件。

 

 

ドキュメンタリーの東海テレビと言われた同局は、大西文一郎氏が「四日市公害あやまち」で受賞されて以来の制作姿勢が見事。

 

 

ちなみに、仲代達矢は「無名塾」を創設し、役所広司はじめ名優を輩出。天野氏は、「劇塾」を作って力のある役者を育てた。

 

 

余談だが、天野氏夫人の山田まささんは、私が合唱団で歌った組曲「山に祈る」のナレーションでお世話になった。

 

 

懐かしい時代の思い出である。

 

 

 

郵便局で扱っているJAフーズ大分の「つぶらなカボス」。

 

 

缶入りなのでペットボトル飲料よりも冷たくて酷暑向き。

この夏はこの飲料のお陰で乗り越えられたようなもの。

 

 

健康な時は「エスプレッソ」が大好きだったが、今は無糖のコーヒーに牛乳を加えた「コーヒー牛乳」にもハマっている。

しかし幼少期、お風呂屋さんの入浴後に紙のキャップであけて飲んだビン入りの「コーヒー牛乳」はもっと美味しかったなぁ。

 

 

そして毎朝自宅に「置き配」してくれるぶ厚いビンの「ヨーグルト」の味は格別。

 

 

前述のつぶらなシリーズは、他にミカン、ブドウ、リンゴ、桃・・・あると言うが、やはりカボスが一番!

カボスは、ビタミンCが含まれ生活習慣病予防や疲労回復、食欲増進、減塩などに良いと言う。寒くなった今も、「カボス」は大量に頼んで飲んでいる。

 

倒れる前は外食が多く、美味しそうな店を探すのが楽しみのひとつ。

車イス生活になってからは、外食には行けなくなった。

 

 

しかし、今年の6月に自家用車兼福祉車両を購入。

納車の日に出かけたのは、母の教え子が経営する「みのぜん」。

久し振りに外食を楽しんだ。

 

 

「他に行きたいところは?」

と聞かれ、ずっと行きたかった店がタイトルの「Sakana座」。

予約をしては、体調不良で今回は3回目の正直で実現!

 

 

この店は、鉄板焼き・ステーキ店。

愚息は”サカナ”なのに”ステーキ”と不思議がっていたが、店名は”酒の肴”から来ている。

 

 

私だけのオリジナル・メニューがあって、グリーン・サラダ(ドレッシング無しでウサギになった気分)、焼き野菜(赤コンニャク、新鮮なアスパラガスなど)を棒葉ミソで食べる。

 

 

肉は名古屋で「Sakana座」だけと言う「近江牛」2ヵ所の部位を提供。

ふわふわのオムライス、ガーリックライス、食後のコーヒー・・・。

とっても美味で、その夜の夢にも出て来た。

 

 

 

Sakana座を知ったのは、コロナ禍。

CLOSEの店ばかりの中、営業を続けていて週に1・2回程度通っていた。

 

 

シェフは私が、福祉車両から降りると出迎えてくれて私を覚えていた。

スタッフも覚えてくれており、「いつものメニューで良いですか?」との言葉は大変嬉しかった。

 

 

リハビリを頑張ったら、ご褒美にまた行きたいと思う。

 

 

▼Sakana座

https://tabelog.com/aichi/A2301/A230104/23056646/party/33409505/

 

連日、ニュースにならない日がないのが“熊”による被害。

 

 

畑を荒らすだけにとどまらず、人を襲うと言うのは困った問題。

三毛別羆事件を思い出す。

 

 

警察の持つ拳銃では熊を倒せないので、猟銃に頼りたくても全国的にもその資格を持つ人数は少なく高齢化で後継者不足。

加えて、自治体と猟友会ももめているとか。

 

 

以前は、話題になる程活躍の場面は無かったと記憶。

かつて野犬狩りが成功した例に習えないものかい・・・。

犬はハーネスをかけて散歩しているのになぁ。

 

 

動物園でクマに意思をぶつけた子供がいたそうだか、飼われている熊にとっては「熊迷惑」な話。もはや園児も「森のくまさん」を歌うことはないのだろうか。

 

 

かくいう私の住む日進市でも「熊」が現れたと聞いた。

もはやテレビの中の話では済まないかも知れない。

昭和の名優の一人である仲代達矢と圭吾兄弟が「徹子の部屋」に出演するシーンを見た。

 

 

「七人の侍」の存在感溢れる演技はじめ、ブレヒト作品を積極的にとり上げた功績は大。(ちなみにブレヒト&クルトワイルの曲を日本に紹介したのは銀巴里の女王である瀬間千恵)

 

 

さらに俳優養成所「無名塾」を創設し、役所広司、益岡徹、若村麻由美など多くの名優を育てたことでも知られる。

 

 

弟である仲代圭吾は、シャンソン歌手として日本のシャンソン全盛期に活躍した一人。特筆すべきは「俺はコメディアン」のヒットで知られるがロシアの「ファラ・ブガチョワ 」の「百万本のバラを「松山善三」(映画監督)の日本語詞で歌って我が国に広めたことである。

残念ながら2022年に亡くなった。

 

 

不世出のアーティスト二人の霊に合掌。

 

 

かつては「アース」「au」、今は「ダイナマイト・ボートレース」のCMにてお目にかかる笹野高史の本業は役者。

 

 

今日は、刑事ものサスペンス「捜査指揮官 水城さや」で名演技をしていた。

小池栄子、杉本哲太や市毛良枝等の実力派を向こうに”怪演”を見せる。

 

 

暗黒舞踏の名手「麿赤児」や彼が率いる舞踏団や古川杏、ギリヤーク等が活躍した昭和の舞踏界が懐かしい。

 

 

 

栄文化教室の古い生徒、中野見夫さんから便りがあった。

 

 

毎年、様々な場所で歌唱したり、お経を読むと同時にシャンソンを歌っている事は知っていた。エルムの厨房で長らく働いてくれた赤司さんの時にも。

 

 

今度は、観音寺住職でもあるお嬢さんの真美さんによるアコーディオン伴奏で、私のオリジナル曲「祈りを捧げて」を歌唱するとの事。

 

 

全く活動が出来ていない私だが、作品は歌い継がれている事が嬉しい。

アリガトウ!

 

 

1971年、愛知県立大学の学生を中心に結成された「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」。

 

 

バンドマスター・バンドネオン:三浦晃敬

バイオリン:山本ナオミ

ピアノ・編曲・作曲:加藤修滋

ウッドベース・編曲:鈴木克比古

ギター:弘岡良夫

 

 

1977年の初リサイタルまでの間にも華々しい活躍をしている。

 

 

「グラシェラ・スサーナ・リサイタル」での共演

「バンド・コンテスト・ジャズ部門第1位」(当時、フォーク、ロック、ジャズの3部門しか無かった)

「1年365日をめざすコンサート・トゥジュール」

「市民会館自主企画/枯葉・・・過ぎゆく秋のひとりごと」選出

「研ナオコ・オン・ステージ」ゲスト出演

 

 

また「タンガータ・蒼ざめた街」では、アストル・ピアソラが賞讃しその後の交流契機となった。

 

 

「mssグラン・タンゴ・オルケスタ」にはヴォーカル、矢頭奈穂、小倉美千代等の懐かしい名前がある。

 

 

この頃すでに、菅原洋一、グラシェラ・スサーナとの交流が始まっていた。

今は無き「タンゴ・デ・ラ・エスペランサ」の全盛期が懐かしい。

 

 

 

私が「シュバリエ」や「都市文化奨励賞」受賞などでメディア報道が続いた頃。

夏に開催していた「名古屋巴里祭」に対抗して(?)「シャンソン冬物語」を開催。

 

 

当時のエルムを代表する4名の歌手(青山桂子、石原歩、岡山加代子、渕本晴都子)を中心にエルムを支えていた宮入公子、真路まなみ、林夏子、橋本奈央子、遠藤伸子などが出演。

そして、最近エルムで復帰ライブをしたしまだ夕、山本雅世なども!

現在は、活動していない人も居ますが懐かしい面々。

 

 

夏は「名古屋巴里祭」、冬は「シャンソン冬物語」両雄並び立って(!)頑張った懐かしい思い出のチラシです。