私がブログを書かなくなるのは大抵、具合が悪い時。
それも、入院沙汰になっている時。
今回もそうだった。
外来のあった10日の日、付き添いでついて来てくれた父と口論になり、逃げ出し、環七の中央分離帯に飛び込み、警察官に補導された。
私は、警察官が来た時、しきりに、自分に噛みつき、警察官にも噛みつき、自傷、他害がひどかった。
だから、パトカーで、警察署まで連れて行かれた時には、警察官に、「22条取れんじゃねーの?親に連絡して、22条取っちゃおうよ」という声が盛んに聞こえた。
22条って、措置入院?
って思っていたけど、後で訪問看護の人に聞いたら、警察官による入院だそうだ。
まあ、いわゆる措置入院なんだけど。
いつもは、外来には母と行くんだけど、その日はどうしても母が用事があって、行けなかったから、父が付き添った。
外来で付き添ったのは、初めてのことだった。
結局、病院近くの警察署では、手錠、足錠、身体中ネットまでかけられていたけれど、途中から私が発作を起こし、救急搬送されることになった。
措置の入院先が決まりかけていたところに、救急車で、今通っている病院に戻された。
サチエーションは、81。
酸素吸入が行われた。
主治医の先生に「さて、どうしますか」と言われ、結局、その場では、次の外来の17日まで待って、入院予約を入れるか決めるという話に決まった。
でも私は落ち着いていなかったのか。
もうその時、17時過ぎていたけど、病院を後にし、家に向かっていた。
父は、警察沙汰になったというのに、「何が食べたい?」「美味しいもの食べよう」と言って食べることばかり考えている。
私は、食べる気分になんてなれない。
駐車場には入ったけど、私が「食べたくない!」と言って、無駄金払って、出て行った。
ずっとむしゃくしゃしていた。
自宅に着いてすぐ、父が車を止めている間、私は、自宅の鍵を開けてから、思いついたように家を飛び出した。
すぐに父が追いかけて来たので、裸足だった。
靴を履いている暇がなかった。
その前に、帰って来てから、110番した。
「お父さん、殺す。お母さん、殺す」
何かなだめられたけど、堂々巡りなので、「用事がないなら切りますよ」と言って切られた。
父は、ソファーで泣いていた。
全てが苛立つ。
だから家を飛び出した。
あまり来たことのないコンビニにたどり着いた。
そこに入店し、店員のカウンターの出入り口を突っ切ろうとして、「お父さん、殺す。お母さん、殺す。お父さんは死にかけてる」と言った。
110番通報された。
間も無くパトカーが来た。
店員さんは優しかったけど。
私が何も喋らないし、所持品が何もなくて、何もわからないので、また、パトカーに乗せられた。
7:30頃〜23:30まで、警察署にいて、帰らない!死んでやる!殺してやる!顔も見たくない!の繰り返しをしていた。
ここでも、22条が出て来た。
私は、疲れ果てて、すっかり気分は、入院したくてたまらない、だった。
親に反対されればされるほど、入院したくなった。
家から離れたくなった。
でも、日にちが変わる頃には、靴もないし、眠くて、怒鳴る気力もなく、2箇所も警察を回って、暴れまくり、警察官が、明日、入院させてもらうように両親を説得するというので、納得して帰った。
実際、次の日は、市内の病院に行って、入院の申し込みをした。
でも、広汎性発達障害という診断名は間違っていないと思う。
でも、発達障害の人は、環境を変えないほうがいい。
病院を変えて、入院なんかしたら、誰も知っている人はいないし、設備も違うし、混乱の連続でしょう。
今だって、もうすでに、難しい顔してますよ。
相当、疲れていると思います。
知らない医者にあって、知らない病院に来て。
発達障害は、病気じゃないんですよ。
特性なんです。
周りがどうフォローするかなんです。
もうちょっと、ゆこたんに、ご両親も気を使ってあげてください。
何かなければ、ゆこたんは、何も起こらないはずです。
と言われた。
これが、セカンドオピニオンだって。
入院では、発達障害は治らないと言われた。
そうなのか、じゃあ、母よ、買い物に気晴らしに行こうじゃないの、と次の日、訪看だったから、ジュースやお茶を買いに。
そして、冷蔵庫はこうなった。
訪看は、ただのこじつけ。
実際に出したのは、麦茶だけだったし。
SEIYUは、安い。
ついでに、目が弱い私は、ブルーライトメガネの他に、度付きのサングラスも買った。
ブルーライトは、青ブチにしたけど、サングラスは、無難に茶色にした。
でも、サングラスだから、色がつくんだよねー。
今回の警察騒動で、やっぱりヘルプカードって、私にはかなり役に立つってことがわかったから、ヘルプカードの内容も更新しなくちゃって思って、市役所に行った。
市役所に行くと、ヘルプカードがタダでもらえる。
首から下げる紐も、最初は青だけだったのに、緑が増え、今回は黄色が増えていた。
でも、私は、緑と黄色をもらって来て、緑を使うことにした。
カバンの障害者手帳と、PASUMOは一番貴重なので、カードケースに入れて、
リュックに結びつけた。
こういうのは、父が得意。
小中学校時代は、家庭科が得意だったとか。
こんなことしつつも、怪しげな夜だった。
「ご飯いらない」「お腹空かない」「今すぐ、カードケース買いに連れて行って。今じゃなきゃダメ」
と、子供のように、駄々をこねる。
なんとか、21時に夕飯を食べたけど、それからブログを書く気にもなれず、ネットサーフィンしていたら、どんどんうつ状態になって行った。
自傷行為がしたくなって来た。
自分を傷つけるのを我慢してたら、本気で死にたくなって来た。
死んだ後のことも考えず、「パパ、ママ、ごめんなさい」という遺書だけを残して、
・フルニトラゼパム 28錠
・いつもの寝る前の薬 1回分
・リスパダール2ml 5本
一気に飲んだ。
死ぬとか、遺書とか、大げさだったかもしれない。
これだけ飲んでも、まだいけるって感じだったから。
でもきっと、心の中で、助けてほしいって気持ちがあったんだと思う。
夜中の2時近くだっていうのに、訪看の所長さんの携帯に緊急連絡していた。
「薬いっぱい飲んじゃった。後、どれくらい飲んだら死ねる?」
「お母さんに代わってください。救急車呼んでください」
穏やかな所長さんが、少し怒っているようだった。
119番通報した。
すぐに救急車が来た。
板橋区の精神科の病院は、受け入れないと断られた。
新宿区の病院に行くと行っていたような気がする。
私の意識はなかった。
でも、両親が、内臓を直接洗うのはやめて欲しいと言ったみたいで、そこまで致死量に達していなかったし、やらなかった。
ひたすら点滴。
心電図モニターつけて、バルーン入れて、点滴して、採血をすごい数の項目して、そこの病院は、本当に救急だから、入院しても2泊くらいしかできない。
だから、板橋の病院に入院することを勧められた。
紹介状は書くからって。
それで、8:10くらいに病院を出て、いつもの病院に行った。
でも、主治医の先生がいない。
代理の先生がつく。
院長先生だった。
でも、紹介状が行ってるのに、何も状況がつかめていない。
結局は、主治医の先生の判断にまかせるということだった。
外来で私は暴れた。
院長が来て、「お注射しますか」という。
冗談じゃない。
「17日に、入院の相談をしてください」と言われた。
もう、どうなるのかわからない。
家に帰れば、まだ、薬は無防備にもある。
でも、明日は、ソファーが届く。
入院しなかったから、今日のヤフオクの出品したものが間に合った。
結構、落札されてたから、まずいところだった。
今の部屋。
この、コタツの台をどかして、テレビを寄せて、ソファーを置く。
明日は明日の風が吹く。
ゆこたん
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