我ながら、あれやこれやとすごい人生だ | 統合失調症と発達障害、ゆこたんのブログ

統合失調症と発達障害、ゆこたんのブログ

私は統合失調症と自閉症スペクトラムと診断されています。
現在は作業所に通い、周りの方々に支えてもらいながら生きています。
2022年10月から、今のグループホームに入居しました。

毎日の出来事や思ったことを綴っていきます。

私がブログを書かなくなるのは大抵、具合が悪い時。

それも、入院沙汰になっている時。

今回もそうだった。

 

外来のあった10日の日、付き添いでついて来てくれた父と口論になり、逃げ出し、環七の中央分離帯に飛び込み、警察官に補導された。

私は、警察官が来た時、しきりに、自分に噛みつき、警察官にも噛みつき、自傷、他害がひどかった。

だから、パトカーで、警察署まで連れて行かれた時には、警察官に、「22条取れんじゃねーの?親に連絡して、22条取っちゃおうよ」という声が盛んに聞こえた。

22条って、措置入院?

って思っていたけど、後で訪問看護の人に聞いたら、警察官による入院だそうだ。

まあ、いわゆる措置入院なんだけど。

 

いつもは、外来には母と行くんだけど、その日はどうしても母が用事があって、行けなかったから、父が付き添った。

外来で付き添ったのは、初めてのことだった。

 

結局、病院近くの警察署では、手錠、足錠、身体中ネットまでかけられていたけれど、途中から私が発作を起こし、救急搬送されることになった。

措置の入院先が決まりかけていたところに、救急車で、今通っている病院に戻された。

サチエーションは、81。

酸素吸入が行われた。

主治医の先生に「さて、どうしますか」と言われ、結局、その場では、次の外来の17日まで待って、入院予約を入れるか決めるという話に決まった。

 

でも私は落ち着いていなかったのか。

もうその時、17時過ぎていたけど、病院を後にし、家に向かっていた。

父は、警察沙汰になったというのに、「何が食べたい?」「美味しいもの食べよう」と言って食べることばかり考えている。

私は、食べる気分になんてなれない。

駐車場には入ったけど、私が「食べたくない!」と言って、無駄金払って、出て行った。

 

ずっとむしゃくしゃしていた。

自宅に着いてすぐ、父が車を止めている間、私は、自宅の鍵を開けてから、思いついたように家を飛び出した。

すぐに父が追いかけて来たので、裸足だった。

靴を履いている暇がなかった。

その前に、帰って来てから、110番した。

「お父さん、殺す。お母さん、殺す」

何かなだめられたけど、堂々巡りなので、「用事がないなら切りますよ」と言って切られた。

父は、ソファーで泣いていた。

全てが苛立つ。

だから家を飛び出した。

 

あまり来たことのないコンビニにたどり着いた。

そこに入店し、店員のカウンターの出入り口を突っ切ろうとして、「お父さん、殺す。お母さん、殺す。お父さんは死にかけてる」と言った。

110番通報された。

間も無くパトカーが来た。

店員さんは優しかったけど。

 

私が何も喋らないし、所持品が何もなくて、何もわからないので、また、パトカーに乗せられた。

7:30頃〜23:30まで、警察署にいて、帰らない!死んでやる!殺してやる!顔も見たくない!の繰り返しをしていた。

 

ここでも、22条が出て来た。

 

私は、疲れ果てて、すっかり気分は、入院したくてたまらない、だった。

親に反対されればされるほど、入院したくなった。

家から離れたくなった。

でも、日にちが変わる頃には、靴もないし、眠くて、怒鳴る気力もなく、2箇所も警察を回って、暴れまくり、警察官が、明日、入院させてもらうように両親を説得するというので、納得して帰った。

 

実際、次の日は、市内の病院に行って、入院の申し込みをした。

でも、広汎性発達障害という診断名は間違っていないと思う。

でも、発達障害の人は、環境を変えないほうがいい。

病院を変えて、入院なんかしたら、誰も知っている人はいないし、設備も違うし、混乱の連続でしょう。

今だって、もうすでに、難しい顔してますよ。

相当、疲れていると思います。

知らない医者にあって、知らない病院に来て。

発達障害は、病気じゃないんですよ。

特性なんです。

周りがどうフォローするかなんです。

もうちょっと、ゆこたんに、ご両親も気を使ってあげてください。

何かなければ、ゆこたんは、何も起こらないはずです。

 

と言われた。

これが、セカンドオピニオンだって。

入院では、発達障害は治らないと言われた。

 

そうなのか、じゃあ、母よ、買い物に気晴らしに行こうじゃないの、と次の日、訪看だったから、ジュースやお茶を買いに。

そして、冷蔵庫はこうなった。

訪看は、ただのこじつけ。

実際に出したのは、麦茶だけだったし。

SEIYUは、安い。

 

ついでに、目が弱い私は、ブルーライトメガネの他に、度付きのサングラスも買った。

ブルーライトは、青ブチにしたけど、サングラスは、無難に茶色にした。

でも、サングラスだから、色がつくんだよねー。

 

今回の警察騒動で、やっぱりヘルプカードって、私にはかなり役に立つってことがわかったから、ヘルプカードの内容も更新しなくちゃって思って、市役所に行った。

市役所に行くと、ヘルプカードがタダでもらえる。

首から下げる紐も、最初は青だけだったのに、緑が増え、今回は黄色が増えていた。

でも、私は、緑と黄色をもらって来て、緑を使うことにした。

 

カバンの障害者手帳と、PASUMOは一番貴重なので、カードケースに入れて、

リュックに結びつけた。

こういうのは、父が得意。

小中学校時代は、家庭科が得意だったとか。

 

こんなことしつつも、怪しげな夜だった。

「ご飯いらない」「お腹空かない」「今すぐ、カードケース買いに連れて行って。今じゃなきゃダメ」

と、子供のように、駄々をこねる。

 

なんとか、21時に夕飯を食べたけど、それからブログを書く気にもなれず、ネットサーフィンしていたら、どんどんうつ状態になって行った。

自傷行為がしたくなって来た。

自分を傷つけるのを我慢してたら、本気で死にたくなって来た。

死んだ後のことも考えず、「パパ、ママ、ごめんなさい」という遺書だけを残して、

・フルニトラゼパム 28錠

・いつもの寝る前の薬 1回分

・リスパダール2ml 5本

一気に飲んだ。

死ぬとか、遺書とか、大げさだったかもしれない。

これだけ飲んでも、まだいけるって感じだったから。

でもきっと、心の中で、助けてほしいって気持ちがあったんだと思う。

夜中の2時近くだっていうのに、訪看の所長さんの携帯に緊急連絡していた。

「薬いっぱい飲んじゃった。後、どれくらい飲んだら死ねる?」

「お母さんに代わってください。救急車呼んでください」

穏やかな所長さんが、少し怒っているようだった。

 

119番通報した。

すぐに救急車が来た。

板橋区の精神科の病院は、受け入れないと断られた。

新宿区の病院に行くと行っていたような気がする。

私の意識はなかった。

でも、両親が、内臓を直接洗うのはやめて欲しいと言ったみたいで、そこまで致死量に達していなかったし、やらなかった。

ひたすら点滴。

心電図モニターつけて、バルーン入れて、点滴して、採血をすごい数の項目して、そこの病院は、本当に救急だから、入院しても2泊くらいしかできない。

だから、板橋の病院に入院することを勧められた。

紹介状は書くからって。

 

それで、8:10くらいに病院を出て、いつもの病院に行った。

でも、主治医の先生がいない。

代理の先生がつく。

院長先生だった。

でも、紹介状が行ってるのに、何も状況がつかめていない。

結局は、主治医の先生の判断にまかせるということだった。

外来で私は暴れた。

院長が来て、「お注射しますか」という。

冗談じゃない。

「17日に、入院の相談をしてください」と言われた。

もう、どうなるのかわからない。

家に帰れば、まだ、薬は無防備にもある。

でも、明日は、ソファーが届く。

入院しなかったから、今日のヤフオクの出品したものが間に合った。

結構、落札されてたから、まずいところだった。

 

今の部屋。

この、コタツの台をどかして、テレビを寄せて、ソファーを置く。

 

明日は明日の風が吹く。

 

 

ぽってり苺ゆこたんぽってり苺

 

 

どくしゃになってね…   ペタしてね

 

 

 

 

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