信じることは視ること
これから頻繁に自分の考え、またこのブログのタイトルである「ソース・チャネリング」について発信していきたい。
最近葦原瑞穂さん著の黎明という本に行き当たり読んでいる。
上下巻があってかなりのボリューム。著者は2016年に交通事故で亡くなったとネットで知った。
その本を読んでいて思った事 - Seeing is believing 眼で見えることは信じること - ことわざで言えば「百聞は一見に如かず」に近い意味だろうか。 しかし本当にそうだろうか?
実は私たちは自分の思い込みでしかものを視ることができない、ということをこの本はあらゆる角度から検証している - Believing is seeing - 実は、人は信じるものしか見ることができない。
例えば色にしても、人間は可視光線の電磁波380~780mmの範囲でしか光を感知することができない。それ以下だと赤外線、それ以上だと紫外線なので見えない。その限りある範囲で見える物事で、自分の信じることを特定してしまっている。
そういったことに気づかせてくれる、再認識させてくれる本だと感じる。スピリチュアルな人たちにとってバイブル的な本であると納得した。
子供の時から持っていた疑問「人は死んだらそれでお終いなのか?もしそうならなぜ生きる意味があるのか?」
ほとんどの人は考えないようにしているかもしれない。それとも、死んだら終わりだからこそ今の瞬間が大事だと考えるポジティブな人もいるだろうし、どうせ死ぬんだからと投げやりになる人もいると思う。
考えないようにしている人も、無意識のうちにそのような考えに囚われているかもしれない。それが人の悩みの根源かもしれない。人間関係が悩みの大半であると言われるが、それは家族や職場の人間関係など、自分では選べない人間関係であることが殆どだ。恋愛も自分で選べるようでいてそうではない、例えば好きな相手に自分を同じくらい好きになってもらうのは難しかったりする。そもそも好きな人ができないという悩みがあったりする。
限りある短い人生だと思いながら生きるのは、ストレスになる。なぜなら失敗をしたくない、と思ってしまう。全ての選択は慎重にならなければと、なってしまうのだ。シリアスになる ー 私はそこに悩みの根源があると思う。
私は「ユルく楽に楽しく生きて、楽に死にたい」と常に思っている。