2018年は、福岡で過ごせました(*´ω`*)
とても良い年になりそうです。
そして今回の帰省では長期休暇を
マネージャーから頂き、ようやく
鹿児島にある知覧へ行って来ました。
ご存知ではない方もいらっしゃると思うので
簡単に説明させて頂きますと、鹿児島にある
この知覧という町は、第二次世界大戦中
(以降、大東亜戦争と呼びます)
沖縄への本土上陸を阻止すべく行われた
特別攻撃隊「特攻隊」の陸軍飛行場があった
場所になります。
陸軍の「航空総攻撃」はこの知覧が主力となり
海軍の「菊水作戦」は鹿屋にある基地が主力でした。
その、陸軍特攻最前線基地であった知覧に
今回は1泊2日で行って参りました。
今回の目的は
知覧特攻平和館
富屋旅館
の2つでした。
知覧特攻平和館には、知覧から出撃された
17歳〜32歳迄の特攻隊員達が、出撃前夜
三角兵舎でしたためた手紙達が、1日では
読みきれない程、展示してありました。
中には「知覧からの手紙」「ラブレター」
として有名な穴沢利夫さんが伊達智恵子さんに
当てた手紙も展示してありました。
沢山の手紙の中には家族への感謝を綴るもの
辞世の句を書く者、絵を書く者、本当にそれぞれの
人生観が描いてありました。
残念ながら時間の都合で全てを拝読する事は
叶わなかったのですが、また訪れる際には
今回読めなかった手紙達を読みたいと思います。
他にも本物の戦闘機「疾風」
海から引き上げられた「零戦」など
当時を共に過ごした者達が、形を残した
状態で展示してあり、重みを感じました。
平和館の近くには、
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」
で使われた戦闘機「隼」も展示してあり
その大きさと、ボロさと、どこか孤独な雰囲気が
とても印象的でした。
特攻が決まった隊員方が最後の夜を過ごす
三角兵舎も、復元ではありますが建ててあります。
他にも沢山のモノが展示してあったり
言葉だけでは全てをお伝え出来ないのですが
日本に生まれて、この知覧という町に訪れる
事が出来て、本当に良かったと思いました。
明日が無いとは
死するために生きるとは
祖国とは何だったのか
命の使い方、使命
たくさんの事を考えさせられました。
そして夜には富屋旅館という旅館
…と言っても、お風呂もトイレも共同です。
部屋も畳に卓袱台と座布団。テレビも無い。
現代にしてはどこか物寂しい部屋でしたが
この旅館には、とても必要な環境でした。
この富屋旅館には73年前に、特攻の母と
親しまれた鳥浜トメさんの愛情、そして
特攻隊員達の思い出が沢山詰まっていました。
鳥浜トメさんの想いが形になったこの旅館
特攻隊員たちが安息の地として訪れていた
富屋食堂。その離れ。
彼らが寛いでいた大広間での食事。
静かな部屋で見上げる天井。
まるで当時にタイムスリップしたかのような
感覚に陥り、怖くなって、頭が痛くなって
眠れませんでした。錯覚。
きっと私だけではなくて、ここに宿泊した
沢山の方々がそのような事を感じたんだろうなと
旅館に置いてあるノートを読んで感じました。
あまり眠れず、でも感じるものは多く
きっと一生忘れる事のない日となりました。
以降、2日目に続きます。