田舎暮らしをして半年以上経つが、一体誰が『スローライフ→田舎』という論理を打ち出したのだろう。
それなりにやることがあって決して暇にならないのだがw
ダラダラしたくても環境がそれを許さない面がある。
一番のネックは買い物だ。近くにコンビニがないから、まとめて一度に大量に買い物をするのがデフォルトになるし。家に引きこもるにも暇すぎて、結局ダラダラすることが破綻してしまう。シェアハウスのニート気質の同居人もそれに耐えられなくなり、最近は歩いて数百メートル先の食品工場で時折働くようになってしまった・・・週に2日くらいのペースで。
本当にダラダラできるとしたら、まずはダラダラをさせてくれる環境が必要である。田舎にはその環境が整っていないのだ。
限界集落に住んでいる若者は外部から来た人が多く、20代~30代の人と平日の昼間から最低自給レベルの賃金でゆる~く働きながら、決して一般社会では許されないような駄弁りながらのマイペースでやれる仕事を行う。居心地が良いのは間違いない。どうせ家にいても暇だし、なんやかんやで働いてばかりいたら、俺みたいな社会不適合者がこの村では「よく働いてくれる」と気づいたら頼りにされてしまった。しかも『必要に応じて必要な分だけ働く』のが許される世界だから、精神疾患が悪化する気配がまるでない。
え~とっ・・・このままでは『健常者』になってしまう。。。
とは言え、障害者手帳やら障害年金も受給している身分で、労働だけでも12万円くらいは稼げてしまい、おそらくは健やかに働けているアドバンテージな立場に位置してしまっているのだ。
「う~ん・・・障害者でも田舎に移住すれば、こんな展開になるのだなぁ」と感慨深い。
この村の世界観というか価値観が一般社会とは一線を画しているので、世間の波に呑まれなくてもいい。
村の話題といえば、どこどこに熊が出たとかの村内放送や、特に夏とかは猿が農作物を食い荒らしにきたとか、農具を貸してくれとか、そういう類が中心になるので今まで生きてきた“世界観”が違うのだ。
都心とこの村の2拠点生活を営みにくる人も多くて知り合いになってしまい、みんな資本主義社会に疲弊している。
都心で働く人たちとこの前はBBQをして夜通し楽しい時間を過ごした。ASDのこの俺が今までの飲み会の中で一番楽しめたのは奇跡である。人生で一番美味いと思えたスペアリブも食った。神が与えてくれた食べ物に感謝。気付いたら「いただきます」「ごちそうさま」とキチンと言えるようになってしまう。本当に感謝だ。
なんか村で出会う人たちは同じようなことを口にする。
「人間は原始時代に戻ったほうがいい」
「縄文時代ってあんだけ長く続いたんだよ?今よりも豊かで平和だったんだよ、きっと。」
「今の時代って働いても報われない社会構造じゃないですか。なのに心をぶっ壊れてまで働く意味ってないですよね」
みんな、やっぱり思うことが共通しているのだ。
なんだ健常者も同じこと思っていたんだな。
みんな平和に暮らしたい。
けれども資本主義社会の価値観に揉まれて生きることを強制されてしまう環境が、自分の求める生き方を許さない。だからこの村に集うのかもしれない。
「老後が不安?金を稼ぎたい?億り人になりたい?・・・それって何の意味があるの?」
こういう価値観の人たちが多いコミュニティだから平和主義者も多い。
まぁ中にはもちろん村で有名な変な人もいますよw
話題内容がさほど変わり映えのない村社会では一気に話題に挙がり、村内で一躍有名人になってしまう。しかも高齢者たちはLINEとかも使わないので、アナログの伝播形式でキチンと伝わってしまうのがオモシロイ。
これは・・・昔でいう『村八分』という現象が起こるのも想像に難くない。
こんな社会が現代社会にあるんですねぇ・・・
適度な不便さは人が動かざるをえないので、脳神経学的にも刺激を与えるのでとても良い。便利さは人を決して幸福にしないというのが非常によくわかる体験ができる環境は素晴らしいの一言に尽きる。