私が生まれた1980年代には『発達障害』という概念はなく、小学校で授業中に走り回る子がいましたが当時はADHDという概念もないので、単に「落ち着きがない子」で済まされていました。そして毎日宿題を忘れてしまう子に対しても、公開処刑のようにみんなの前で教師から説教されていました。
2000年中期になり、ようやく日本社会に『発達障害』という概念が登場し始め、だんだん認知度もあがり今に至ります。
私の世代は“犠牲の世代”とも言われているらしく、まったく支援制度もなければ認知もなかったのでひたすら苦しみの連続でしたね。
私も幼い頃は自閉症で見られる典型的な症状があり、その場でクルクル回ったり、壁や地面に頭をなすりつけたりする常同行動や、音声チックや動作チック、強迫性障害、他人との距離感が分からないので警察が介入するほどの人間関係のトラブル…まぁ色々と経験しました。
成人になってから『発達障害』という言葉が出はじめましたが、まさか自分が当事者とも思わなかったですねw
私がASDという確定診断に至ったのは30代後半でして、つい最近の話になります。
それまでは自分の障害に気づかずに、違和感を抱きながらも人間社会に精一杯適合しようとしていました。
ま〜いろいろ過程を省きますが、結論を書きます。
今になり遺ったのは二次障害で病んだ心と、「社会に適合できなかった」という諦められた気持ちでした。
個人的には後者の経験を得られたのは大きく、そこは精一杯努力してきて、自分に対して気後れしない自負はあるので良かったと思っています。
ただその代償で、解離性障害やら複雑性PTSDやらうつ病やら…そういう負の遺産を抱えることになりました。
続く