投資よりも労働するほうがリスクが大きい | ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

自分は『働く』ことにはつくづく向いていない。

 

社会人をしていたときは、業種に対しての知識やスキルを習得していっても人間関係による圧力で無効化されたり、アホな無理解の上司による指示で「これをああした方がいいのにな…」ということが実行できずにいた。そして理不尽な経営陣にペコペコ頭を下げる自分自身に対する不甲斐なさや怒り。

 

加えて、発達障害のために他人ができる当たり前のことができない。苦労の末にできたとしても、他人はそれを簡単にできてしまう。

 

という日々を送ればストレスが溜まるだろう。

この手のストレスは明らかに良くない。

 

年収としては400万円〜500万円だったと思うが、もともと可処分所得が100万円もあれば生活が困らない水準の人間なので、差し引いた300万円〜400万円ぶんの対価としてマイナス面ばかりが積もっていった。

 

どれだけガンバっても、障害特性上、他人が受ける恩恵が自分には永遠にやってこないという絶望も味わった。

 

こんな人間社会に適合できない俺が精神を病んでしまうのは至極当たり前のことであり、薬物や社会福祉制度をフル活用して生き延びた(生きることを望んでいないのに生きなきゃならない義務)。

 

 

ハイリスク・ノーリターン

 

 

これが俺が『働く』ということだった。

 

なんで40歳までこんな不毛なことをし続けたんだろう。“社会に適合できない”という自分を認めたくなかったんだろうけど。

 

遺ったのは二次障害のボロボロになった心だ。

 

 

 

しかし『投資』は違う。

 

個人の完全自己責任なのが嬉しい。

 

俺は責任を他人と共有するのが大嫌いだった。良いことであれ悪いことであれ。仕事していれば「連帯責任」という理不尽な事象が降りかかる。発狂しそうだ。

 

投資は破産しても他人に迷惑を掛けない。最高だ。

 

投資ではリスクは自分でコントロールできる。

働いていれば、予測不可能なリスクがやってくる。

 

なんでこんな簡単な金稼ぎを義務教育で教えないのか。日本教育はバカなんじゃないか。

 

投資は資金管理とリスク管理さえキチンと行っていれば、破産することはあり得ない。これは数字上あり得ない。これが破産するならば、世の中の構造が破綻してしまい、世の中の全てが今ある形になっているわけがない。

 

簡単な足し算、引き算、掛け算、割り算さえできれば、投資は全然むずかしくない。

 

投資信託やNISAをして着実に金を増やしてもいいが、それはオモシロクない。

 

自分が成長している実感が欲しいから、株やFXや先物をするほうが単純にオモシロイ。

 

 

一体働くことの何を指して『安定』と言っているのか。人間ガチャでイジメやパワハラに遭う遭わないが決まるじゃないか。そんな丁半博打的な要素が詰まった労働市場に自分の身を投げ出すバカなことはしたくない。

 

どうせ職場なんて2〜3年で辞めるんだし、苦労する割に合わないのだ。