白川宮 より

 

 

【奥武島の竜宮神】

玉城という土地を、海側に向かって車を走らせていると、奥武島という標識を見つけ、何気に行ってみました。

奥武島(おうじま)は、沖縄県南城市玉城にある、直径500mほどの小さな丸い島です。

👆 玉城城跡(たまきグスクあと)付近の道路から撮った奥武島。👆

奥武島へ行く橋の欄干には、神人(かみんちゅ)が乗って来たと思しき船が乗っていました。

奥武島に入り、くねくねとした道を走っていると、竜宮神という標識を見つけました。

コンクリート製の階段を下りてゆくと、二つのくびれ岩があり、その手前で二人のノロ(沖縄の女性シャーマン)さんがお供物を供えて祈っていました。

祭祀の邪魔にならないよう、そっと岩の写真 👆👇 を撮っただけなのですが、南城市玉城のこの竜宮神付近から斎場御嶽がある南城市知念にまたがる海岸一帯は、沖縄の古代史を語り得るスピリチュアルなポイントが並んでいたのです。

奥武島から幹線道路の331号線に戻り、斎場御嶽方面に向かって走っていると、

👇 きれいな海 👇 が見えたので、海岸へ向かう道を下って行きました。

すると「アマミキヨのみち」 とか 「受水走水」 といった小さな標識があり、

下掲のような案内ボードがありました。

ヤブサツの蒲原から斎場御嶽・久高島に至る海岸一帯は、北流する黒潮が直接当たる地域ですから、宮古島から黒潮に乗ってくれば、この一帯に着くでしょう。そこに「アマミキヨのみち」があるのですから、あとは推して知るべしです。

(上掲 👆 案内ボードの文字が読めるよう、一部を拡大掲載しました 👇)

「アマミキヨ(=アマミチュー)のみち」 という細い道を走りながら 「受水走水」 を探したのですが、どこにあるのか分かりませんでした。車が何台も停まっている所があったので聞いてみると、「モズクを取りに来ている」ということで、歴史的な事はご存じないようでした。

「受水走水」とは、「受水(うきんじゅ)=澄んだ水、と、「走水(はいんじゅ)」=流れる水、の一対の源泉がある湧水のことです。

沖縄県南城市玉城には、宮古島との共通項がいっぱいあるようです。

   《参照》  『沈んだ大陸スンダランドからオキナワへ』 大宜見猛 (ヒカルランド) 《後編》

             【玉城には不思議がいっぱい】

 

【知念岬】

知念岬は、斎場御嶽の駐車場のすぐそばにあります。

最後に一番綺麗な写真が取れました。これって、カメラの性能の違いです。

知念岬の下にある海岸は、宮古島と同じ琉球珊瑚石灰岩でできています。

沖縄では南城市の玉城から知念に跨る海岸地帯にのみある地層だそうです。

 

那覇空港にて

名札に 玉城 と書かれていた琉球顔のJALスタッフさんがいたので、玉城(たまき)さんは、沖縄の玉城(たまぐすく)の歴史を知ってますか?」 と聞いてみました。若い女性なので、期待はしていなかったのですが、はたしてそのとおりでした。

「日本を建国したと言われている神武天皇のお母さまは、宮古島の人だったんですよ。そして宮古島と沖縄の玉城(たまぐすく)は繋がってます。伊勢神宮のある伊勢市隣に玉城町ってあるんですけど、沖縄の玉城が元なんですよ。若い時は自分も歴史になんか全然興味なかったんですけど、高齢の方に会ったら、できるだけ昔のことを聞いといてくださいね。きっと役立つことがありますから」 と言っていました。

 

 

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