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 執筆者は世界一周者50人。350頁の本なので一人当たり約7頁。簡潔な文章が綴られている。旅立つ前後での思いや考え方の変化、その後の人生観、また、旅先で何に衝撃を受けたかが、それぞれに分かりやすく記述されている。旅に行くつもりがない人でも、読んでみる価値はあるだろう。2013年12月初版。

 

 

【3日間通ったカンボジアの孤児院】
最終日、一番仲良くなったソカーイという少年が聞いてきた。
「明日は何時にくるの?」 僕は苦し紛れに答えた。
「明日は日本に帰らないといけないんだ」
また聞いてきた。
「分かった。じゃあ次はいつくるの?」
汚れのない笑顔と純粋な質問に、思わず僕は言葉を失った。
「ありがとう! また来てね!」
別れ際、20人くらいの子どもたちが笑顔で見送ってくれた。
なぜだか、涙が止まらなくなった。
感情を吐き出すようなこの感覚・・・いつぶりだっただろうか。
ハエがブンブンたかるこの場所で、
サッカーをし、肩車して、共にごはんを食べ、
彼らと全力で遊んだ日々は、
「本気で生きた!」と実感できる日々だった。
(よく分かんないけど、「生きてる」ってこういうことだ!)  (p.85)

 

 

【生きる力に溢れてますよね】
27歳の時、僕は二つのものを天秤にかけた。
それは、「家族の幸せ」と「仕事での生きがい」。

23歳で結婚し、24歳の時に娘(ゆりな)が生まれた。
4年の間、家族との時間も顧みずに仕事に没頭していた。
休みなんてなくても、仕事が楽しくて仕方がなかった。
(自分の人生って、ホンマにこんな感じでいいのかな?)

そして僕は、すべてをリセットしようと決めたんだ。
(家族を連れて、世界一周しよう) (p.138)
 で、娘のゆりなちゃんには、「ちょっと長い遠足に」と言って、家族3人で旅立った。
 164日間、15ヵ国を巡って帰国。
 それから1年。小学校1年生になったゆりなは、
 個人懇談の時に担人の先生から言われた。

「ゆりなちゃんって・・・生きる力に溢れてますよね」
嬉しかった。何も残せなかった僕の唯一のギフトが、
きっとどこかで生きているんだって。 (p.138)

 

 

【本当に世界には、いろんな人がいた】
人をもてなすことが上手な人。
仕事なんかより、ハッピーな時間を大切にする人。
見ず知らずの旅人を家に招き、家族のように接してくれる人。
長時間の移動で4回もパンクしても、
それを楽しめる人。
隙あらば何か盗んでやろうと悪そうな顔をしている人
生活に困り切って、
とうとうバスジャックをしちゃった人。 (p.140-141)
 世界一周をしていて一番良いことは、短期間の裡に、このような数多の人間模様に触れることができることだろう。
 これによって、時間厳守、真面目、一所懸命ないし一生懸命といった、日本人ならではの人生観(固定観念)が一挙に崩壊し、世界標準とやらがどの辺りなのか分かるようになると同時に、唯一の基準というものの無価値性に気づけることが、汎用的メリット。

 

 

【ポレポレって?】
ボク 「あったかいなぁ。ねーね、
さっきから言ってるポレポレって、どういう意味なの?」
男 「スワヒリ語でスローリーって意味だよ。ポレポレェー」

そういえば、お土産屋さんにも「POLEPOLE」と書かれたTシャツがたくさん並んでいた。

せっかちな日本人にはいい言葉だなぁ、なんて思った。 (p.173)
  《参照》 『流学日記』 岩本悠 (文芸社) 《後編》
         【ぽれぽれ】

 

 

【壊してはつくる】
こうして始まった僕の世界一周は、
20数年かけてつくってきた世界観や価値観のコレクションを
壊してはつくる、そんな繰り返しの旅だった。 (p.207)
 これを何回繰り返せば、つくることを断念する、ないし、その必要性を感じなくなるのだろう。
 それは、それぞれの人の過去世の体験を含む積み重ねの累計総数が、ある閾値を超えた時だろうと思っている。その時、人は「二元性の体験の場(地球での学び)を卒業していいのだ」と、内なる声を聞くのではないだろうか。

 

 

【シャネルやプラダは・・・】
シャネルやプラダは何もしてくれません。
今まで魅力を感じていたモノが急に色あせて見えて、
それがたとえ高価なものであっても、
私の人生においてちっとも輝かなくなってしまいました。
もっともっと大切なものがたくさんあるのですから。
バックパックひとつで365日過ごせる、と分かった私の
考え方や生き方は、どんどんシンプルになっていきました。
そうすると、不思議と心もすっきりして、
素直な自分で人と接することができるようになりました。(p.197)
 長旅をする上での体力的な必須条件は、極力荷物を減らすこと。そうすると、自ずと心からも余計なものが剥落して行く。
 シャネルだのプラダだのという高級ブランドは、経済的格差社会を創出するための罠以外の何物でもない。未熟な人間たちがそこから脱出する(気づく)までモガクためにある「虚栄という名の見え透いた罠」である。

 

 

【それが、一番の自信】
何より、あのまま1年だらだら仕事を続けていたよりも、
辞めて1年旅した方が
よっぽど自分が成長できたって思えること。

それが、世界一周で得られた一番の自信だと思う。 (p.241)
 31歳の時、375日間で34か国を周った人の記述。
 社会人を10年間やってから旅立ったことで、得る情報が何倍にもなったとも書かれている。それはあるだろうと思う。
  《参照》 『若きビジネスマンはインドを目指す』芝崎芳生(プレジデント社)《前編》
          【バックパッカーに足りない視点】
 旅立ちたくなったときが始まりで、年齢は関係ない。オジちゃんやオバちゃん世代でも、バカ息子やバカ娘にお金を残すくらいなら、それを自分の体験のために使うべき。

 

 

【輪投げ屋】
手に持った空き缶は、
気づけば札束と小銭まみれになっていて、
帰り道、「やってやったぞ!」と輪投げに来たおっさんと
同じくらいでかいガッツポーズをした。

それからは、毎日広場で輪投げ屋の日々。(p.253)
 モロッコのマラケシュで、輪投げ屋の商売が繁盛して大成功。
 旅の途中でスリに盗られてやむを得ず始めたとか、動機は様々だけれど、本書内に、まだ幾つかの金儲けの事例が書かれている。

 

 

【根拠のない自信】
挑戦する時に必ず感じる「ヤバいな」って感情。
その怖さで、たとえ足が竦んだとしても、
震える足をおさえながら一歩を踏み出すことを、
僕は旅中に何度もくりかえした。

そうして得た、どこからともなく湧いてくる
「できる」という根拠のない自信は、
何かを始める時に必ず必要なものだと思っている。 (p.254)
“どこからともなく湧いてくる「できる」という” 思いを、“根拠のない自信” と書いているけれど、“どこからともなく湧いてくる「できる」という” 思いは、もう成功確定のサインである。未来から流れてくる情報を潜在意識が捕えたからこそ “湧いてくる” のだろう。

 

 

【ハエのたかった、おじいちゃんの死体】
東南アジアを抜け、次に向かうはインド。
1日目。インド最大の商業都市ムンバイに降り立った私が
最初に見たものは、しわくちゃになって横たわったまま、
動かずにハエのたかった、おじいちゃんの死体だった。
・・・中略・・・。
その死体をよそに、
真横でお金持ちそうな人が靴を磨いてもらっていた。
衝撃的過ぎて、言葉が出なかった。
「天国に行けますように」
おじいちゃんがどんな人生だったかは分らないけれど、
・・・中略・・・。
このおじいちゃんだって。

今は一人だけれど、誰かの特別なおじいちゃんのはずなんだ。
でも、誰にも気に留められない。
(インドでは、これが普通なの?) わからなかった。
日本では絶対にありえない光景に、私はついていけなかった。 (p.288-289)
 “ついていけなかった” と書いているのは当時24歳の女性。
 40年ほど前に日本で出版された『東京漂流』の著者、藤原新也さんは、犬に食われている死体を見て、「人間は犬に食われるほど自由だ」と書いていた。チャンちゃんもその視点に全く同感だった。それに則していうなら、「人間は、ハエにたかられ放置されるほど自由だ」ということになる。それで問題ない。
  《参照》 『インド人には、ご用心!』モハンティ三智江(三五館)《前編》
          【ベナレスの火葬場】
 人口が急速に減少している現在の日本で、身寄りのないまま孤独死している日本人は、毎日、かなりの数いるはず。そもそも、「肉体」は単なる「魂の乗り物」である。死んだ後、誰にも発見されず、数か月後、腐乱状態で発見されたとして、それのどこが悲惨なのか? 身寄りがあるからといって病院に連れ込まれて徒に延命治療を施されている方がはるかに異常だろう。現在の日本人はインド人ほどにも死後の世界を理解してはいない。
 それどころか、「死んでから数か月後、自宅で腐乱死体で発見される」のような状態は、日本社会が確実に招き寄せている実状であるにすぎない。日本の社会構造が招来している死に方に則して、魂の抜けた乗り物が腐乱状態で発見される事例は、今後幾らでも生じるだろうけれど、これにインドでの気づきを適用するなら、「人間は、死して数か月後に自宅で腐乱死体で発見されるほどに自由なのである」。それで問題ない。

 

 

 世界一周の航空券は50万円で買える。バックパック1つで、どんな旅をするかは、自分次第。
 外に向かう旅は、内に向かう旅でもあるから、深浅の差こそあれ必ずや意識の変容を経ることになる。
 経済的に潤沢過ぎる旅は、たいした成果を生まない。
 群れの旅も、たいした成果を生まない。

 

 

<了>