《前編》 より

 

【アトランティスの心】
 たとえば僕がピラミッド次元転換をして、今いるこの部屋をギザの大ピラミッドの王の間につなぐとする。最初、僕はその意味を、高次元でつなごうがこの部屋と隣の部屋をつなごうが、つまりある空間と別の空間をつないだとしても、別にそこに行けるわけでもないし何の意味もないと思っていた。
 ところがあっと気がついた。
 つなぐことで、ぼくのいるところにはアトランティスの心が来る。そうか、ぼくがいるこの部屋と王の間をつないだら、アトランティスの心がこの部屋にやってくるんだと。調和のとれた豊かなアトランティス文明のすべての情報がこの部屋にやってくる。すぐれた科学性と論理性が特徴だったあの文明がやってくると、頭も良くなるし、まっとうで人間的なやさしい気持ちにもなる、部屋の中は、そこにもここにもアトランティスの心が満ちている。その心で今この部屋にいる僕が物事に対処したら、賢明な方針を提示し、調和のある、ハーモニーのある場所が生れるだろう。
 つまりアトランティスの心を自分の場に引き寄せることができるーーーそれがピラミッド次元転換のカラクリだった、それが本質だったと、やっと気がついた。(p.210-211)
 神道系の人々は、著者の行ったピラミッド次元転換の作法を、一般的に“魂振り”と言っているのかもしれない。一度訪れたことのある場所は、いつどこにいても、イメージするだけでその場と繋ぐことができ、その場が有する情報やパワーを共有することができる。
 ところで、この記述は、ピラミッドの王の間は、アトランティスの心を保持する脳の役割を担っていたのだということを言っている。ピラミッドを造った人は、このためにこそ、王の間を、水気を宿す花崗岩で作っていた。

 

 

【レムリアの心】
 アトランティスの心はピラミッドに残されていた。では、レムリアの心は・・・?
 レムリアの心の置き場所はピラミッドのような永久不滅の建造物ではなかった。なんとクジラとイルカの脳のなかに残したという。むろんクジラ一頭では入らない。イルカ一頭でも当然入りきれない。彼らレムリア人はクジラの集団とイルカの集団に自分たちの記録を残したのだという。
 アトランティスの心を読むには、王の間に行ってハトホルの秘儀を行なえばいい。ではレムリアの心を読むにはどうするか。レムリアが沈んだといわれるあたり、ハワイ諸島やポリネシア諸島などの、クジラとイルカがいっぱい泳いでいる海に行って彼らのささやきに耳を傾ける ーー これだ、これしかない。・・・中略・・・。アトランティスとレムリア、この二大文明の心が解明できたら、多分人類史の根源的なものすべてが分かるだろう。
 下記リンクの著作には、イルカについて重要なことがテンコモリ記述されている。
    《参照》   『アセンションへの切符』 野崎友璃香 (講談社)

 「闇の支配者」といわれる連中は、このことが分かっていたから、意図的に海洋汚染テロを行ってイルカやクジラたちを大量に殺戮していたのである。

 日本が調査捕鯨と称して多量のクジラを捕殺していたのも、「闇の支配者」の一味による画策だろう。これは日本人が持つ重大な使命に、真っ向から逆うものである。上記リンク《後編》の【イルカやクジラの捕殺】にそのことを書いておいた。

 

 

【ヘレン・ケラー女史とサリバン先生】
 サリバン先生はただの教師ではない。アメリカのスウェーデンボルグ教会の会員だった。しかも協会会長の秘蔵っ子だった。三重苦のヘレン・ケラーに彼女は魂で働きかけた。彼女は少女ヘレンの魂を自分の魂で包み込んだ。三重苦とはいえ、人間だから魂はある。魂に働きかけることで彼女の魂が自発的に動き、三重苦を克服する働きをした。それがヘレン・ケラーが後年あれほど流暢に演説し、他人の言葉を理解し、他人と会話できるようになった理由だった。(p.227-228)
 見えない・聞こえない・話せないという三重苦のヘレン・ケラーが、人と話せるまでになるって、よくよく考えてみればトンデモナク凄いことである。霊と魂に関する扱いを十分心得た人でなければ、到底成せる業ではない。サリバン先生が、スウェーデンボルグ協会会長の秘蔵っ子だったというのは、実に納得できることである。

 

 

【神と霊が住む場所】
 神や霊、あるいはスピリットと呼ぶのか、そんなものがあるならいったいそれはどこに存在するのだろうか?
 この難問中の難問の答えは、シュレディンガー方程式が教えてくれる ――― というのが僕の考えだ。
 シュレディンガー方程式はこの世のスタイルで書かれているが、じつはこの世を超えた外の世界について書かれている。(p.241)

 宇宙の中に確固として存在する場や紐やメンブレンの振動形態の変化の可能性を記述するシュレディンガー方程式は宇宙内の方程式ではない。じつはこの世のものではない。
 では、いったい何なのか。
 それは無限次元空間と呼ばれる対象であり、この世のものとはまったく無縁のもので、それは「ヒルベルト空間」と呼ばれる。無限次元ヒルベルト空間というものがあり、その中のベクトルがシュレディンガー方程式に従って動くというわけ。・・・中略・・・。
 ということは、この世界の物質現象を突き止め予言するために、我々はこの世界のずっとずっと外側までをも知る必要があることになる。ほんとうに、それなしに知ることはできないのか?
 残念ながら、できない。
 有名な物理学者アインシュタインはこの考えに猛反対した。・・・中略・・・。1920年代のことだ。アインシュタインと論争したデンマークの物理学者ニールス・ボーアは、いや、そうじゃない、どうしてもあの世のことがわからないと、この世のことが定まらないのだと大喧嘩した。
 そんなことをあからさまに一般の人に話すと、とんでもない誤解を生むので、通常、物理学者は言わない。じゃあどうするのかというと、これは無限次元ヒルベルト空間のベクトルですというだけにする。これなら、あの世などと言わないで済む。(p.242-243)
 物理学者ってズルイじゃん。
 そういうことは、最初から一般人に分かりやすく語ってくれるべきである。著者みたいに。
 まあ、こんな突拍子もないことを考えている物理学者は、僕を置いてほかにはいないはず・・・だった。しかし、いたのだ。(p.244)
 その方は、元々はCERN(欧州共同原子核研究所)でバリバリの素粒子理論に取り組んでこられた末久先生だと書かれている。
 著者と末久先生の今後の研究によって、アインシュタイン(一つの石)という科学思想上のネイムバリューのある重石が取り外されれば、人類が異次元に進化するための科学理論は一挙に進展するかもしれない。
    《参照》   『この地球を支配する闇権力のパラダイム』 中丸薫 (徳間書店) 《前編》

              【「アインシュタイン」という、人類の進化を阻む「重石」】

 

 

【「いい加減」の効用】
 「いい加減にしろ」という言葉がある。だらだらやっている人に、まじめに働けという雰囲気で使われるが、これは違う。真面目に一生懸命やっているに人に、いい加減に、適当に、按配よくやれ、というのが真意だ。
 飛行機に乗り遅れてもいい、新幹線に乗り遅れてもいい、勉強や仕事で他人に後れをとってもいい。出世や昇進が遅れてもいいではないか。あくせく働くのはいい加減にして、自分の内にゆとりや隙間を作ろうという意味だ。(p.238)
 チャンちゃんはシケ桃と一緒に、長いこと超グータラな生活をしているから、こういう記述を読むと、安心するというより、逆に反語的な意味があるんじゃないかと、かんぐったりする。だもんで、この後の記述を注意深く読んでみたのだけれど、どうやら、反語的なものでも皮肉でもないらしい。
 僕は伯家神道の巫女様にこうお尋ねしたことがある。
 どうして神様が僕に現われて、長年やっている他の人たちには現れないのですか、僕だけこんなんでいいのですかと。「祝之神事」を僕に授けてくれた巫女様は笑って、こんなことを教えてくださった。
 僕以外の人は伯家神道をまじめに修行することで自分はこのようになるんだという願望を抱き、勉強しなくてはと一生懸命努力する。それを克明に記録して丁寧に控えをとり、全身にやる気をみなぎらせて復習し勉強している。
 そして、ふたつのお言葉を最後にくださる。
「あなた様だけです、ぼやっとのんびりなさっておいでなのは」
「でも、それがよいのです」
 と。たしかに僕は最初から行く気がさらさらなかったし、行けば行ったで、続けて修行しようなどとはこれっぽっちも考えていなかった。神事の合間にも、晩御飯を何にしようかなどと他のことをぼんやり考えていた。巫女様はそれでいいとおっしゃった。
 ぐうたら、いい加減、あくせく勉強しようとは思わない、明日できることを今日はしない。それなのになぜだろう。なんで僕のところにばかり来るんだろうといつも思っている。どうもいい加減なところに神様はやってくるような気がする。
 いや、そうではない。いい加減にしていないと神様は絶対に来てくださらない。(p.239-240)
 ということで、日々いい加減に生きている人にとって、著者の本は格好の本かもしれません。

 

 

<了>