イメージ 1

 NLPとは、Neuro(神経)、Linguistic(言語)、Programing(プログラミング)の略語で、神経言語プログラミングと訳されるけれど、意味的には、Nを五感や体験と考えた方が分かりやすい。すなわち、「体験と言語がプログラム(反応特性をもった脳内回路)をつくる」ということ。この本は、NLPのほんの基礎段階を記述したもの。
 脳に関する著作や自己啓発系の様々な著作は、このNLPの内容を、著作の論旨に合わせてそれぞれの著者が自分なりに適宜活用し表現しているのである。脳機能学者の苫米地英人さんの著作も、もちろん例外ではない。

 

【プログラミング】
 プログラムの大半は「快の感覚」と「痛みの感覚」に結びつけることによってできます。(p.33)
 人間の場合、物理的な快・痛みより精神的な快・痛みによってできるプログラムの方が圧倒的に多いという。
 「快」は「安心」、「痛み」は「不安」に置き換えることもできる。
 プログラムはインパクト(強度)と繰り返し(回数)によってできます。(p.35)
 一度でも強烈な体験をすると、それは強く刻印されるので、「羹に懲りて膾を吹く」ことになる。
 また、完璧な嘘でも、何回も聞かされていると真実に思えてきてしまう。
 このような脳の特性があるから、洗脳が可能なのである。
 そして、「脳は、現実とイメージを区別できない」 という点をキッチリ理解しておくのも重要。この点を理解しておかないと、NLPをはじめ、多くの自己啓発書の内容が有効であるという根拠がなくなってしまう。
 ついでに、
 「脳は、真理を追究するためにある器官」などではない。
 「脳は、プログラミングによってどのようにでも回路化される器官」なのである。
 下記リンクは、この本のテーマからは外れてしまうけれど、知らないよりは知っていた方がいい。
   《参照》   『「朝の習慣」を変えると人生はうまくいく!』  佐藤富雄  青春出版社

              【大脳の特性】

 

 

【リフレーム=枠組み(フレーム)を変える】
 物事の枠組み(フレーム)とは、「無色透明の出来事」に被せるイメージ(意味)のことです。(p.79)
 その際に、しっかりと理解しておいてもらいたいのは、「(X)出来事」はいつでも「無色透明」で、身体感覚的反応は「(Y)被せたイメージ(フレーム)」が作り出しているという事実です。(X=事実)は不変です。しかし(Y=意味)はいかようにも変えることができるのです。そして、意味はイメージに過ぎませんが、これが好転すると、気持ち(身体感覚的反応)は変わります。脳は現実とイメージの区別がつけられないからです。(p.80)
 世界のあらゆる事象に意味はない。無色透明である。それに善悪、好悪のイメージ(意味)を与えているのは、それぞれの脳の中に既に出来ているプログラミング(価値観・観念)である。
 「戦争」自体に意味はない。「戦争」に、“人命尊重”という価値観の枠組み(フレーム)を当てはめると「戦争は悪い」となり、“創造のための破壊”という違う価値観の枠組み(リフレーム)を当てはめると、「戦争は良い」となる。戦争を例にすると屁理屈のように思えてしまうかもしれないけれど、これは決して屁理屈ではない。
 「仕事」自体にも意味はない。“やらされている”という思い(フレーム)を被せると、仕事は単につらいものであり、“将来のための経験の蓄積”という思い(リフレーム)を被せると、仕事は有意義な成長の機会になる。
   《参照》   『アドベンチャー・ライフ』 高橋歩 (A-Works)

               【この仕事ができて幸せよ】

   《参照》   『嫌な奴とつき合いなさい』 竹村健一 (青春出版社) 《後編》

               【受け止め方】

 

 

【アソシエイト(実体験)とディソシエイト(分離体験)】
 ディソシエイト状態は、状況の外に出て客観的に観察している状態です。ですから、感情に振り回されず自己コントロールする余裕があります。・・・中略・・・。結果としてその状況の肯定的な視点を見つけやすいのです。(p.84)
 アソシエイト状態に固着している人は、「リフレームなんて意味がない」と思い込んでいるだろう。
 その場合は、「脳は、現実とイメージを区別できない」 という脳の機能特性を再確認すべき。
 ディソシエイト状態なら、リフレームが容易になる。
 アソシエイト、ディソシエイトは、リフレームだけではなく様々なNLPスキルの土台となります。この2つの状態の精度が高まるのに比例してNLPのワーク(実習)の効果性が高まるようになっています。(p.84)

 

 

【人との距離を縮める:ラポールとペーシング】
 人間の脳は、空白を嫌うんだ。だからそれを埋めたいんだ。
 簡単に言えば、知らないという状態が嫌なんだね。(p.105)
 ・・・中略・・・
 「親近感」がその空白を埋めた安全安心な状態にするひとつの手段で、
 親近感を感じる人となら短時間でラポールはできるんだ。(p.106)
 ラポールとは「信頼関係」のこと。
 人は、かならずしも話の内容や、論理性や、正邪の判断によって話を聞いていない。話し手を信頼しているかどうかが大きなウェートを持っている。ゆえに営業職の人々は、相手とラポールを築くのが最優先課題になる。
 親近感を生む上で有効なのは、共通項があること。趣味が一緒とか、贔屓のチームが同じとか、性格が似ているとか。
 それ以外には、呼吸の速さが同じ。無意識は身体動作に現れるから、呼吸の速さが同じというのは結構大きい。例えば、話し方がゆっくりな人は、早口で話す人に親近感を抱けない。
 若干横道に逸れるけれど、とかく未経験な営業さんは自分が持っている知識を早口でベラベラ喋ることがある。しかし、顧客にとっては煩いだけで殆ど理解していない。質問に即したポイントを相手の呼吸に合わせて分かりやすく話すことが必要。コミュニケーションの成果は、話者が話した量にあるのではなく、聞き手が受け取った量にある。
   《参照》   『「興奮」を売れ』 小山政彦  ビジネス社

              【 「伝わったこと」 が情報】

 つまり、いきなり“合う”という稀な場合を除いて、ラポールを構築しようと思うなら、共通項を話題にしたり、ペーシング(相手に合わせること)したり、ミラーリング(相手の姿勢や動作を真似る)したりするといい。
     《参照》   『「キャバクラ」の言語学』  山本信幸  オーエス出版社

               【マッチングで増やすラポール】

 ところが成績の上がらない営業さんは、「私の正しい見解、優れた提案がなぜ理解できないんだ。顧客は理解力がない。愚かすぎる」などと思い続けている。
 極端なのになると、人を見るのに、何十年でも「敵か味方か」という判別に終始している。自分の価値観で相手を裁き続けているだけである。自分の価値観(フレーム)に拘るのではなく、相手の価値観に合わせる(リフレーム)ことが重要なのに。

 

 

【新たなプログラムのインストール】
 自分の価値観という既存のプログラムを廃棄し、新たなプログラムをインストールする方法として、最も基本的なのは、見本となる人を定めて模倣(モデリング)すること。
 テニスの腕前を上達させたいのなら、通常の練習だけでなく、プロのテニスプレーヤーのビデオを何百回も見るべきです。ビジネスで成功したいならカリスマ経営者のそばで仕事をしてその行動をつぶさに観察すべきです。(p.168)
 偉人伝を読んで内的イメージを高めるという方法もある。

 

 

【リーダーの要件】
 リーダーは目標の意義を明確に伝え、協力者の意欲をその方向へ向けていかなければなりません。そのためには、リーダーは協力者の思考ではなく感情に関わる必要があります。人間は正しいことを言う人についていきたいと思うのではなく、好感を持てる人についていきたいと感じるからです。そして、その好感は「安全・安心」がベースとなります。(p.215)
 「安全・安心」は無意識的な感情であり、正しいかどうかは意識的な基準である。
 人間の意識と脳の関係は、無意識が古皮質脳を司り、意識は新皮質脳を司っていると概略いえる。「安全・安心」はあらゆる生物に共通する欲求であり、ゆるぎない根本的な欲求である。新皮質脳の発達によってこそ人間は人間たりえたとは言えるけれど、意識の力は無意識の力に比べたら何ほどのこともない。生物進化は知得(意識的習得)ではなく体得(無意識的習得)期間の方が圧倒的に長いのである。知性優先の人間では到底リーダーになどなれない。

 

 

【自己承認できる人だけが他者承認できる】
 自己を承認できない人は、他者も承認できない。その最大の理由は、持っている価値観が高すぎるから。
 自分で自分を承認できないところへもってきて、他者からも承認されないとなると、人生は相当シンドイものになる。
 現代人の多くが、自分自身に対して「空虚さ」を感じています。しかし、その空虚さを作り出しているものの正体は過剰な価値観だということに気づいてもらいたいのです。(p.227)
 高度成長期を支えてきた親の世代の価値観と、バブル崩壊以降に生まれてきた子供世代の価値観は、社会の経済的実情によって合わなくなっている。当然である。世代によって符合しない時代状況下にあって、旧来の価値観を押しつけようとすれば、単に相手を承認しないという排他的な世界を生むだけである。
 「人は様々な価値観の母体である社会的なコントロール・グリッドに支配されているのだ」という叡智に至ってないと、両者共にいつまでも空虚さに支配され続けるだろう。
   《参照》   『アセンションの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド)  《前編》

             【社会意識(コントロール・グリッド)という檻から出る】

 この本で、価値観は後天的にできたプログラムでありイメージに過ぎないとお伝えしてきました。イメージに過ぎないのでやはりこれも手放すことができるのです。(p.231)
 自分で自分を「価値観という牢獄」に入れない限り自由な世界が広がっているのです。(p.232)
 自ら拘っている価値観を手放せば「自己承認」は容易である。
 その時、承認しようという一切の努力なしにただ他者を受け入れているのです。(p.232)

 

 

<了>