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 般若心経の核心を著者なりに表現した著作といえるだろう。この本の記述を、現実的な視点で理解しようとしても空しい。認識の視点を、現実側からコペルニクス的に転回した側へ移行させるのがポイントなのだということが分かれば、著者の趣旨は伝わったことになる。右頁にCG絵画、左頁に詩的な短文という構成である。96年11月初版。再読。この本にはページ表記がない。

 

 

【理想を語るにあらず】
 理想の会社、理想の社会、理想の国家、理想の家庭、理想の人生、
 理想を人に押しつけることは、いずれの場合も我の強い思い込み。
 理想を掲げて人を導こうとすることは、迷いとなり、右往左往します。
 理想とは、「理を、我思う」であり、常に自分勝手なもの。
 はっきりこうだと言い切るとき、強さではなく、心の弱さ、脆さを感じます。
 理想を形でとらえ。理想の形に周りの者を近づけたいと願うことは想いを強め、
 映る世、いわゆる幻に心とらわれ、足がすくわれてしまいます。
 理想を求めて旗を掲げ、その同志を探そうとするのは、何をしているのか。
 ただ我の心の中で騒ぐだけのこと。
 探すは、常に心豊かな、静かな海へと続く普通の遥かな道。
 「熱く理想を語れ」ではなく、「理想を語るにあらず」と言うのだから、普通に考えれば「何言ってんの?」と思う人が多いような気がする。涅槃を目的地とする仏教的見解では、執着を離れることが主要な目的となるから、理想であっても度が過ぎれば執着の対象となってしまう。“離想(想いを離れる)”が、「仏教的“理想”」なのである。

 

 

【すべてひとつ】
 ネットワークが完熟した時、そのネットワークは消え、
 その新たな始まりの、さらなるネットワークが生まれてきます。
 それはもはや、ネットワークという概念を遥かに超えた存在となっています。
 光の粒子、光のエネルギーに満ちた瞬時の世界ということです。
 すべてをひとつにするのではなく、
 すべてひとつと気付いている世界の始まりです。
 国境を外して世界をひとつにしなくても、国境は認識であり、知識です。
 そして、わが心の内のこと。
 初めから世界はひとつであったことに気づきます。
 世界をひとつにしようとするエネルギーは自ずと他を分け、
 自らの心の内部で葛藤を生みだすのです。
 この世は心の内、すべてひとつと気づく時、
 世界はそのまま様々な「界」が解かれ、
 ボーダレス(無境界)となり、美しき世が現れます。

 すべてひとつと気づくのは、心の飛翔の創造です。
 すべてひとつという創造をどれほど空間に、心の創造ができるかが、
 空間の現実の鮮やかさとなっていきます。
 すべてひとつと気づいたら、心が飛翔したのであり、その時点での創造は、まさに神の創造である。
 この本のタイトルは、この記述が元になっているんだろう。
 しかし、「すべてひとつ」という認識に達すれば現実生活においてすべてが良くなるかというと、必ずしもそうはならない。人間の生活様式は、認識と現実の間にあたかも遮蔽ブロックのようなトラブル因子を介在させているからである。
   《参照》   『神との友情 (上)』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版)
             【愛の消火剤】
             【愛なのか、必要性なのか】
             【一体化】


 

【直感を拾うには】
 直感(インスピレーション)は、心が安心、平安であると拾いやすく、
 出来事に感情が荒ぶれている時は、
 漏電しているようなもので、拾いにくいのです。
 何も考えていなく、安心している時にフッと沸き上がるものが、
 深くて広いのです。
 “安心”は実に重要なキーワードである。お金が潤沢にあるから安心とか、愛し愛される状況にあるから安心とかって、普通の人は考えるんだろうけど、人やお金や物や状況に依存した安心って、案外脆かったりする。畢竟するに、それらはうつろうからである。絶対的不動の安心を得られるのは、自らの心が目に見えざる世界に依拠している場合だけだろう。
   《参照》   『強運力開発セミナー』 半田晴久 (たちばな出版)
             【ひらめきを得られる人】

 

<了>