《中編》 より

 

 

【三種の神器】
 いまアメリカ人が最もほしがる日本製品の「三種の神器」をご存知だろうか?
 それは、ウォシュレットに指圧マッサージソファー、そして魚焼き器だ。(p.146)
 ウォシュレットはアメリカ人に限らず、世界中の人々が欲しがる日本製品のダントツ第一位だろう。
 指圧マッサージソファーは、その繊細な動きがセレブのお気に入りだという。
 魚焼き器は臭いを出さないことが重要なポイントだと書かれている。こんなのは日本のガスレンジには標準装備されているけれどチャンちゃんは使ったことがない。わざわざ網やフライパンで焼いて換気扇を回して桃ジャローに臭いの幸せを供給してあげている。

 

 

【「土足で人の家に踏み込むアメリカ人」】
 アメリカには「Might is Right(マイト・イズ・ライト。強いものが正しい)」という語呂合わせ表現もあるほど。そんなアメリカ人気質、他の文化を無視した横暴ぶりから、ヨーロッパでは「Ugly American(醜いアメリカン人)」と揶揄されることもしばしばだ。(p.125)
 「Might is Right」の後ろには「Power is Justice(力が正義である)」という露骨な諺が控えている。弱肉強食という世界観を元にしたものであり、アメリカ人は、強者が法的にも軍事的にも弱者を支配するという支配者側の文化形式に対して疑問を持つことがない。
 僕にいわせれば、アメリカ人の気質を象徴しているのは「土足で人に家に踏み込む」ことだ。これは比喩としての表現だけではなく、現実の生活レベルでの話でもある。
 ご存知のように、欧米では靴を履いたまま家に入るのが当然のこと。それは「外」の世界を「内」に持ち込む行為であり、どこへ行こうと自分のやり方を押し通す生き方にも通じているのではないかと思える。
 逆に日本では、玄関で靴を脱ぐことで「外」と「内」の切り替えが自然にできる。また、靴を脱いだ際にきちんと並べ直す習慣は、生活態度そのものを美しく整えることの第一歩といえるはずだ。使ったものは元の場所へ戻す。借りたものは大事に使い、元の状態のまま返す。そういった日本人の美徳、その根拠に、靴を脱いで家に入るという習慣があるような気がしてならない。
こういう日本の習慣が、「ジョン・ウエイン志向」に嫌気がさしたハリウッド業界人の間で秘かなブームになっている。(p.126)
 アメリカのやり方そのままに、西部劇で映画の勃興期を完璧に成し遂げたハリウッドだったけれど、その潮流が変わりつつある。

 

 

【和やかな文化への移行】
 作り笑いと整形手術で埋め尽くされた、ハリウッドという人生のファスト・レーン(高速車線)。そこに嫌気がさした都会人は、人間味あふれたスロー・レーンを選択する。彼の伸び伸びとした表情に、僕は田舎暮らしを好んだという高杉晋作の言葉を思い出したのだった。
「人は人 吾は吾なり 山の奥に 棲みてこそ知れ 世の浮沈」
 この心情は、日本人にもアメリカ人にも共通するものなのだろう。だからこそ、いま、アメリカの様々な分野で日本文化が真似されているのだ。(p.132)
 ケビンコスナー・やハリソン・フォードといった俳優たちは、ハリウッドを離れて田舎暮らしをしているという。
 この本が書かれたのはサブプライム危機の影響を受けた直後の時期だけれど、契機が何であれ、生き方を変えない人というのは、「おもいっきり鈍感よね~~」って言われても仕方がない。
 日本は本来、成功ではなく幸福を目指す文化だった。その基は“安心”だろう。日本文化の基は何と言っても“安心”である。自然と対立せずに共存し、人と競わずに共栄するために和を結ぶ。すべては“安心”を基点にしているからである。
 自国が震源地となって巻き起こした世界的な経済危機や。奴隷や劣等市民として蔑視していた黒人を大統領に迎えたことで、いまアメリカ、そしてアメリカ人は、Bold(大胆)より、Modest(質素)な生き様に、建国以来はじめて目覚めている。
「Me,me(私が、俺が)」と絶叫する個人文化主義から、人に譲る、人を案じる、人を思うという和やかな文化への移行は一朝一夕ではなしえないが、ハリウッドのシビアな会議の場でも、両サイドがプラスになる「Win-Win situation」(両方とも勝者になれるシチュエーション)という究極の和を求める人が増えていることは確かだ。(p.196)
 Winer takes all.(勝者が全てを獲得する≒我良し) なんて、最低の発想なんだけれど、いまどきの日本人で、これに疑問を感じていない人がいるなら、よほど文化的劣性遺伝子を受け継いでいる人なんだろう。
 21世紀は、地球規模の風水である 『ガイアの法則』 に従って、「安心・和・共存共栄」の日本文化が世界に拡散してゆく時代である。世界が日本のあり方を新たに認識しつある時代に、日本人がいまだに外国カブレしているばかりで日本文化に関する見識が殆どないと言うのなら、もうもうまったくお話にならない。
 ロンドンオリンピックの開会式で、日本選手団は入場行進の途中で会場外へ誘導されてしまい二度と戻れなかったというけれど、意図的な作為だろう。太陽の国・日本を開会式から排除したアングロサクソン文明、即ち英語文明は、どの道、衰微の定めである。この地球における文化的主権は既にロンドンにはないのである。
 アメリカは日本化することでむしろ繁栄を永らえる可能性はあるだろう。
 太陽の国・日本を謀る国は、自ずから衰退を選択するようなものである。

 

 

<了>