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 『ホームレス中学生』 田村裕 のお兄ちゃんが書いたもの。当時の状況をお兄ちゃんの視点で書いてほしいという出版社の依頼を受けて著すことになったと書かれている。年齢が7歳くらい違う兄の視点だから、書かれている内容は殆ど推測できる範囲内。特にこれといって出色の場面は見当たらないけれど、兄・妹・弟という家族構成の人は、共感する点が多くあるのかもしれない。

 

 

【公園のオバケ】
 素っ頓狂な父親の、一方的な家族解散宣言が出された後、妙な勇敢さでひとり生活を初めた弟がまきふん公園で生活を始めた頃、兄姉の二人も違う公園で生活を始めていた。
 ある日、公園で5歳ぐらいの子供の会話が耳に飛び込んできた。
「なぁ、ミカちゃん知ってる? ここの公園、夜になるとオバケ出るらしいで」
「何言ってんの、マーくん! オバケなんかおれへんし、出ぇへんで。うそつきやなぁ」
「嘘ちゃうもん! ほんまやもん!!」
 夜出るというオバケとは僕に違いなかったが、「それオバケちゃうで、俺やで」とは、恥ずかしくて口が裂けても言えなかった。
 ちなみに同じ頃、“まきふん公園”では弟が、“ウンコのオバケ”・・・いや“ウンコの神様”に成り上がっていた。(p.26)
 兄と妹の食事は、兄がアルバイトしていたコンビニの残り物弁当を頂いて凌いでいたという。

 

 

【××親父】
「お父さんは?」
「どこにいるかわかりません」
「連絡はないの?」
「はい、全く」 ・・・(中略)・・・ 。
 4時間後、川井家に金融業者の男二人と共に到着した。
 そこには、清君のお父さんも駆けつけていた。
「研一君もまだ未成年やし、責任能力ないでしょう、もう二度とこの子たちに関わらないと約束してください」
「こっちも金貸してるんやから、そういうわけにいかんでしょう」
 押し問答が続く。しかし、いつしか圧倒的に清君のお父さんが優位に立っていた。法律について詳しく、論理的に話を進める清君のお父さんに、金融業者もお手上げのようだった。 ・・・(中略)・・・ 。
 川井さんの機転と、清君のお父さんの交渉によって、僕たちが厳しい取り立てに遭うことは、その後一切なかった。(p.109-112)
 川井さんというのは、タムキンを泊めてくれていた友達のヨシヤのお母さんのことらしい。
 解散宣言をして3人の子供達をほっぽり出した後、未成年の長男を保証人にしてお金を借りていた父親。兄も弟と同様に決してこのような素っ頓狂な父親のことを悪しざまに書いてはいないけれど、普通の第三者ならやっぱり言うだろう。
 “××親父” って。

 

 

【あったかいお湯】
 ある日、テツ坊のお母さんが、ガス屋さんと一緒に訪問してきた。ガス給湯器を設置してくれるためだ。
「今はまだ暑いからいらんやろうけど、これから冬に向かっていくから、必要になるかなぁと思って」
 正直言って僕は、ガス給湯器の存在を知らなかった。 ・・・(中略)・・・ 。
 実際、冬になると、蛇口からキンキンに冷えた水しか出てこないことを初めて知った。その冷たさは、「痛い」に近いものだった。
 そうして、始めてガス給湯器のありがたさを実感することができた。(p.113)
 何日も公園生活をしていたタムキンが、ヨシヤの家で久々にシャワーを浴びさせてもらった時の快感!を書いていたと記憶しているけれど、あったかいお湯って心身共に人を幸せにする。
 脳から見ると「体の感覚」と「心の感覚」は比例関係にあるらしい。陽光に満ちた国々の能天気ぶりはよく知られたことだけれど、日差しの暖かさはやはり人の心に大きく影響する。
近年は太陽が異常に亢進しているから、外気がたいそう冷え込んでいる真冬でも、晴れていればガラス窓を通して差し込む日差しは非常に強い。北陸地方が大雪中であっても、日本で一番日照時間が長い地域に住んでいるチャンちゃんがたいそう能天気なのは、真冬なのに室内で日光浴していてオカサーファーみたいに真っ黒だからなんだろう。

 

 

【不幸だと感じることがなかったから・・・】
 川井さんは大人になった僕に会う度にこう言った。
「あの時、三人とも明るかったのが救いやったね」
 当時はそんなこと思いもしなかった。明るくふるまっている気もなかた。
 若さゆえにことの重大さを理解し切れなかったから、そして不幸だと感じることがなかったから、あかるくいられたのだと思う。
 川井さんなしでは今の僕らは存在し得なかった。
 それゆえに、このような暖かな人たちに囲まれた僕たちが、不幸なはずがない。(p.163)
 当時大学一年生の19歳だった著者が、不幸だと感じることがなかったのは、妹と弟の支えになっているという喜びの実感があったからなんだろう。それと、高校生の恋人がいたことも大きい。人を助けることに関わって生きることの中に最大のエネルギーが潜在しているという認識に至ったような記述はないけれど、ポイントはそこだろう。
 妹と弟が成長して支えるべき存在でなくなり、恋人とも別れることになった時が、最大の危機だったらしいけれど、良く分かる状況である。
   《参照》   『神さまが教えてくれた幸福論』 神渡良平・小林正観 (致知出版) 〈前編〉
            【「ナガタ」「ナガサキ」:天地を貫く幸せの原理】

 現代は、支えるべき人も支えてくれる人もいない人間が多いような気がする。そういう人々はいっときの著者のように本当に無気力・無関心なアパシー状態になってしまうことだろう。この本を読んでいて思ったのは、そんなことだった。家族がいたって、いないのと同じような生活をしている人々が多いのである。
 小中学生ならば、周りから手を差し伸べてくれもするだろうけれど、それ以上に大きければ、誰も助けてなんかくれない。自分で立ち上がって歩きだすしかないのである。
 
<了>