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 すっごい厳めしい著者名だから、それだけで読みたくなくなっちゃうような本だけれど、救霊の師匠である深見東州先生がつけたペンネームなのだろうから、きっとお弟子さんである著者は、びびりながらも拒否できなかったんじゃないだろうか。チャンちゃんは、このペンネームが嫌で長いこと読まなかった。得ることの多い素晴らしい本だったのに残念。2000年3月初版。

 

 

【霊の世界を相手にするのは・・・】
 霊を相手にするというのは、生半可なことではありません。霊というものに興味を持って、この本を手に取られた方がいらっしゃいましたら、まず、そのことをご理解いただきたいと思います。できれば霊などというものに気を向けないことが一番です。
 ただ、運命というものを考えるには、どうしても因縁因果や霊というものの存在を無視することはできません。ですから、やはり見えない世界に対する正しい認識がある程度は必要になるわけです。先々死んだときも必ず役に立ちます。
 ひとこと申し添えておけば、巷に出回っている精神世界やオカルト関連の本の類は、実にいい加減なものが多く、内容を鵜呑みにして、そのまま実践すると非常に危険な場合があります。その理由は本書を読みすすめられれば、おのずと明らかになるでしょう。(p.58-59)
 どのような興味でこの本を手にしたにせよ、著者の記述を読み進めれば、正しく美しい生き方が学べるはず。

 

 

【救霊師は霊にすべて見透かされている】
 いろいろな苦しみや悲しみ、挫折や葛藤を味わってきたから、悩み苦しんでいる霊や人の気持ちが判ってあげられる。そういう部分があると思うのです。ですから、これまで苦労の多い人生を歩んできた人間のほうが、救霊師には向いているといえるかもしれません。
 しかし、それよりも大切なのは、救霊師の日頃の生活態度や思いのあり方です。
 霊界には時間や空間という概念はありません。深見先生がおっしゃるには、救霊師がお客様の前に座った瞬間に、相手の霊は時間や空間を超え、その救霊師のすべてをお見通しだということです。
 ふだん、精進努力もせずにいい加減な私生活を送っている人間が、救霊のときだけえらそうに人に道を説いても、日頃の言動すべてが霊に見透かされているわけです。(p.80)
 これを読んで、日頃、飼い犬の桃ジャローとグウタラを競っているチャンちゃんは固まる。
 もしも 「救霊師になろう」 と発願するのなら、「してもしなくてもいい修養」 ではなくなっちゃうのである。

 

 

【精神性の病をもつ人の場合】
 私は始めにはっきり申し上げなくてはなりませんでした。
 「お嬢様のような症状の場合、一回の救霊で必ずしもお客様の期待される結果が得られるものではありません。いえ、たとえ何度か救霊をお受けになり、霊的障害をすべて取り除いたとしても、こと精神性の病に関しては完治するとは限らないのです。現代医学に則った治療と、お嬢を思いやる温かい愛情とがあいまって、はじめて薄皮を剥ぐがごとく徐々に良くなっていくものです」
「それでも構いません。何とかお願いします」
 お母様は必死です。 (p.158)
 このお嬢様の場合、結果的に奇跡が起こったのであるけれど、お母様が著者の話をきちんと理解して果たした役割が大きかったようである。その間の経緯が9ページにわたって書かれている。
 しかしながら、精神科にかかって精神薬の投与を続けるなら、効果はでないどころか、むしろ悪くなります。理由として、以下の動画を見ておいてください。必ずです。
   《参照・動画》   本当に信じられないような内容・・・

 

 

【愛念の祈り】
 神様はいろいろなことを教育しようとしておられると思うのですが、その第一歩は 『愛念の祈り』 だったのではないでしょうか!
 「いつも神様を第一として、愛に生きよ! どんな状況にあろうとも、どんな嫌な相手に対しても、愛と真心を貫きなさい。憎しみに対して憎しみをもって応じてはならない。自分の内と外の魔に打ち克って自在でありなさい。真のエンゼルとなり、神様の御用にお使いいただきたいと発願するならば、その自らの内なる壁を乗り越えよ!」 ということではなかったでしょうか。(p.171-172)
 これは著者の娘さんが原因不明の病気になったのを機に、生き方の原点を再認識できたとして記述されている最後の部分。
「いつも深見先生のそばにいる著者のような方であっても、こんなにキッチリと現実を通じて厳しく学ばされるんだぁ~~」 と、そんなことにビックリしてしまうのであるけれど、おそらく100%の人が、同じような轍に嵌る経験をしているのではないだろうか。
 深見先生のお弟子さんとして救霊などのお取次ぎをしている時は、『愛念の祈り』 をしているのに、案外、日常生活では好悪の感情が普通に野放しにされちゃってる。そんなんじゃエンゼルじゃない。

 

 

【知っていただきたいこと】
 ただ私は、この本をお読みの方に救霊というものをより深く理解していただきたいと思うのです。救霊師というのは御魂磨きの一助として神様が降ろしてくださった救済の法であること。私たち誰もが、神様の大いなる愛に包まれた存在であることを知っていただきたいのです。
 また、私たち救霊師にとっては、お客様の相談を受け、お取次ぎをさせていただくことが、大切な御魂磨きの修行です。だからこそ、さまざまな体験をさせられるのでしょう。救霊師活動を通して、救霊師はいろいろな面で悟るところ大なるものがあるわけです。
 神様のお取次ぎをさせていただく中で功徳を積ませていただき、同時に数々のことを学ばせていただける。こんな幸せな境遇に巡りあわせていただけた御神縁に感謝させていただくとともに、我が慢心、怠りに気をつけ、精進の道を歩んでまいりたいと思っております。(p.191)
 世の中に、霊的なことに関わっている様々な人々がいるけれど、こんなに謙虚に語る人はめったにいない。多分、深見先生のところで救霊師となっている人々は、著者と同じように謙虚で精進を欠かさない人々なのだろう。
 私が以前属していた密教系の修行者の中には、人の財布の中にいくら入っているとか、人の幸せには何の関係もないどうでもいいような能力を鼻にかけているようなヘンな行者さんが少なからずいたのだし、そこでは修養などというと言葉など全く耳にしたことがなかったのである。
 それに比べたら、深見先生のところのお弟子さんたちは、社会常識的にも霊能の点においても明らかに抜きん出ている。たいていのチョイ能力者は黙っているけれど、本を読んだだけでも、自分たちより圧倒的に優れていることを内心では認めざるをえないのである。
      《参照》  『大除霊』 深見東州 (たちばな出版) 《後編》
                 【基礎的な審神の法】

 そもそも、怨念霊のような強烈な霊に祟られている人を救える霊能者さんは、ほとんどいないはずである。そういった人々が最後に駆け込むところが深見先生のところなのである。もしも、深見先生のお弟子さんたちで力が及ばなくても、師匠がいるから大丈夫。
 深見先生は、私たち救霊師が救済し切れなかった霊を丁寧に救っていかれるのです。(p.58)
      《参照》  『神霊界』 深見東州 (たちばな出版) 《前編》
                【日本を守る人々】

 深見先生は、日本を守り世界を救済するためにこの時代を選んで生まれてきた方々のひとりだから、強烈に忙しいらしい。それでも、同時代を共に生きて接することのできる人々は幸運だろう。

 

 

<了>