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 著者の愛犬は、ジャーマンではなくイングリッシュ・ブルドック。異世界を認知する能力に秀でたシャーマンのような犬だったというわけではない。なのに、このタイトルである。

 

 

【美しい顔】
 ファッチャ・ベロという名前が美しい顔という意味だとは前にも書いたが、その後も彼はいくつも名前がついた。 ・・・(中略)・・・ 。でも僕は最初につけた 「美しい顔」 が彼の天真爛漫な性格を一番良く表わしていると思っている。(p.33)
 イタリア語である。
 ファッチャじゃなくってブッチャーでしょう、と思ってはいけない。愛犬家は性格を愛でるのである。
 チャンちゃんチのワンコは見てくれは可愛いけれど、ときどきイカレポンチになるから桃太郎から桃ジャローに変更した。

 

 

【フェイス・リフト】
「ファッチャには整形美容が必要です」
「なんですって、ご冗談を」
「いいえ、これと同じ患者がいて手術してよくなったんです。ファッチャはおでこの皮膚が厚く垂れてまぶたを押さえている。そのためまつ毛が眼球をこすって。相当痛いはずですよ。抗生物質でもそこまでは治せません。炎症の原因を元から絶つには手術しかありません」 (p.120)
 笑っちゃうけれど、ブルドック君ならではの症状ゆえに、文字どおりフェイス・リフトの整形手術を受けることになった。他にも、喉を詰まらせることによって生じる呼吸困難など、ブルちゃん特有の症状がいくつもあるらしい。だから、ファッチャは始終、トマソという獣医さんにお世話なっていた。この本の多くは獣医さんがらみのお話である。因みに著者は人間のお医者さん。

 

 

【ユリシーズ】

 ユリシーズが20年近い放浪の末、家族や友人との再会を心待ちにして帰郷したとき、飽食のような姿にただ恐れをなし誰も歓迎しなかった。
 そのなかで彼の忠犬、アルゴスだけが変わり果てた姿であっても自分の大事な主人であると見抜いた。(p126-127)
 いつか読んでみよう。
 

【シャーマン・ブルドック】
 「若いお前はまだ、やるべきことが残っているだろう。人間の世界で欠けているものは愛情だ。人間は仲間同士で感情を表わさなくなってしまった」
 老ブルドックはファッチャのおじいさんにあたるイヌだった。
「人間は不思議な資質を内に秘めている。お前はその存在を人間に気付かせ、魂を解放してやらねばならない。そして彼のかけがえのない伴侶として、味方として側についていなくてはいけないんだよ」(p.49)
 これは交通事故にあって治療のために麻酔をうたれ眠っているファッチャの夢の中身を想像して書かれている記述なのだけれど、人間たちの愛情の欠落と人間に内在する不思議な資質の関連を指摘している。
 この意味において、ファッチャは著者と生活をともにすることで、シャーマン・ブルドックとしての使命を完遂することになる。

 

 

【イヌの役目】
 フロイトはかつて、イヌは人間に惜しみなく愛情を示す機会を与え、文明の耐えられない葛藤を忘れさせ、人生を素晴らしいと心から思わせてくれる大事な役目を担っている、と書いた。
 僕がこの文明的でないブルドックに親しみを覚えるのはそのためだろう。彼は社会的通念からだけ出された命令には軽蔑を示した。
 僕は直観と本能に頼って生きることで自由になりたいと考えるようになってきた。ファッチャ・ベロは僕に遣わされた天啓だろうか。(p.70)
 ファッチャは、家の家具のすべてに自分の歯型を残したり、遣りたい放題に近い自由さを享受している。
 ファッチャに好きなことを自由にさせている著者は、意に沿わないことには歯向かわないまでも不愉快さを分からせようとするファッチャの性格が好きだと書いている。
 従順だからイヌが好きという人々は、本当の愛犬家ではない。従順なワンコというのは、ひたすら人間に服従しているのであって、すでにフロイトの言うイヌの大切な役目の基幹部分を失っているかもしれないのである。
 イヌを愛する人は、だれでも大きなパワーを身につけることができる。  ―― セネカ  (p.95)

 ファッチャは僕に常に変わらぬ気持ちを寄せてくれている。いつしか僕もまた無条件の愛情を彼に注ぐようになっていた。さらに、この愛情は僕を温かく見守ってくれる自然界への感謝の気持ちへと発展していった。
 ぼくにはファッチャに宿る偉大な神の存在がわかるようになった。(p.127)

 

 

【好物を出しても口をつけなくなってしまったファッチャ】
 ファッチャはこうしたごほうびをもらうためになにか芸をして見せるというタイプではない。そんな面倒なことをするより、大きな潤んだ瞳で僕を見つめれば済む、まったく飼い主なんてちょろいもんだ、と考えている。そういうファッチャがこの頃は好物を出しても口をつけなくなってしまった。(p.134-135)
 ちょろいもんだと思われながら、応じてやる人間のアホさ加減が愛情の円環を成り立たせているのである。
 でも、好物ですら食べなくなったファッチャには、最期の時が迫っていた。
 トマソは静かに彼を診断し、悲しそうにため息をついた。
 「この子は行く準備をしているよ」   (p.150)

 

 

【ファッチャ亡き後】
 昨夜も僕は彼の声を表で聞いたし、自動蛇口で水を飲む音も確かに聞いた。
 今の僕はサボテンやスズメと自由に話ができるし、砂漠の丘陵に宿る精霊の声を聞くことができるようになった。
 それはファッチャ・ベロが僕を認め、愛してくれたからである。日常のごくなにげない瞬間に、自然界の偉大な力を感じることが増えた。僕は多くのことをこれからも学ぶだろう。
 ファッチャ・ベロは僕のシャーマン・ドックとなった。使いすぎた理性的な頭脳はしばらくの間、休ませよう。かわりに僕の前に新しい感性の世界が現れた。そこは自由に姿を変えることが可能な魔法の世界なのだ。(p.154)
   著者がシャーマンになれたのは、 “ファッチャ・ベロが僕を認め、愛してくれたから” からだけではなく、 “著者もまたファッチャ・ベロを認め、愛したから” だろう。
 “無条件に愛する” という行為は、現代文明によって使われることなく壊死させられている脳の部分を励起し回復させ、やがてはシャーマン脳へと進化させるのである。“条件付き愛” であるうちは、それは起こらない。

 

 

<了>

 

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